5月27日  土曜

 昼、赤江くん来宅。
 通し稽古を一切やらないのが、不安のようだが、
 最近、我々は二人で稽古っていうのが、ほとんど、ない。
 「我らが高田笑学校 しょの10」
 紀伊国屋サザンシアター、
 浅草キッドの新作漫才を下ろす本場所。
 とにかく、キッドの漫才を見たければ、
 木戸銭、払って「この会に来い!」と本腰を入れている、
 オレたちの正真正銘PRIDEのリングだ。
 17時入り。

 高島屋で、遅ればせながら「母の日」の買い物。

 ロビーには本日発売の「笑芸人2」が並べられる。
 表紙や、数々のマニアックなイラストを書いているのは、
 イラストレーターの村松さん。



 お兄さん会のイラストを初期から手がけてくれて、
 しかも、お兄さん会で、最も売れっ子になった人だ。

 そして、立体のイラストを作ったのは佐野さん。
 これを、ロビーに展示したのだが、見事すぎて、
 思わず、どうにか落札できないか、交渉を持つ。
 見てみ!この居残り佐平次のフランキー堺。

 「笑芸人2」は、笑点、ビートたけしのオールナイトニッポン、
 2大特集。

 で、よくぞここまでマニアックに作ったと言えるような、出来。
 全部読み終えるのは3時間以上かかるだろう。
 ちなみにオレもここに
 小野やすしさんについてのエッセーを一本寄せている。

 それから、オールナイトの資料作成協力したのは、
 高瀬くん、この人は、浅草キッドのファンで上京してきた、
 現在はライター兼ウェブ・デザイナー。
 日本一を自負するオレが持っている
  オールナイトニッポンのテープ資料は、
 この高瀬くんに全て預けている。
 彼の情報整理力や、文章構成力、PC技術は、
 オレは一芸に秀でているものだと思っている。
 フリーランスで仕事をしているのだが、まだまだお仕事募集中なので、
 彼がデザイン・構成で作っているトンパチプロの HPのなど、
 ためしに見て欲しい。

 楽屋で、高田先生と小林信彦の「おかしな男・渥美清」話。
 舞台。
 林家太平さん、松村邦洋、山田雅人、
 中入り、
 あした順子・ひろし
 そしてトリが我々の出番。

 今回のテーマは、
 寄席で、40年間無敗の神話を持つ、
 伝説の漫才師、あした順子、ひろしを
 高田笑学校で無敗の王者の我々が迎え撃つ。
 あした順子・ひろしさんは、
 グレイシーファミリーであるとの、
 設定は作ってみたのだが、
 どう見ても、ひろしさんは、エリオ・グレイシーだ。



 オレたちは、「芸能界バスジャック」たっぷり30分。
 舞台という、大きなストライクゾーンで、
 コントロールはともかく、ここまでスピードが投げれること、
 投球を組み立てられるところを見てくれ!
 って気持ちになる。
 TBS『エクスプレス』のスタッフなど見に来てくれて、
 こういう本場所を確認してもらうことはありがたいことだ。

 打ち上げ、
 いつもの日刊スポーツ宴会部長の加藤さんが居なくて、
 赤江くんが物静かなのを横目に見ながら、
 太平さん、松田さんとお話していた。
 帰路、赤江くん、
 「どうにもこうにも褒美が無さ過ぎる!
  もっと褒めてくれないとやってられない!」と。
 そう言えば、このHPに掲示板を無くしているから、
 感想文なり、応援レターなりが、
 オレのところには、くるのだが…って状況が続いているな。
 
 よーし、感想メールコーナー作りましょう。
 オレを家に送り届けた後、スズキとサブが、
 赤江くん宅へ「慰め隊」に行ったら、既に寝ていたとさ。


 5月28日   日曜

 10時起床。
 昼間は「蛇の穴・SPJ」へ。
 「昨日、桜庭選手が来ていたのに…」と聞き、実に残念。
 バテバテになりながらも、イソップに負けるなと言い聞かし…
 (イソップって仇名の少年がいるのだ…)

 18時より、我が家でビデオ上映会。
 前にも書いたが(4/11)ネットを通 じて、
 シュート活字、及び、
 アメリカのプロレスドキュメンタリー映画を紹介して欲しいとの、
 要望のメールを送ってくださった、品川さんが、
 4本の英語版のビデオを、オレに進呈してくれた。

 多忙および、英語オンリーと言うことで、
 しばらく寝かせたママだったのだが、
 この話を聞いて、「ぜひ見せて欲しい!}と、
 紙のプロレス編集部の坂井ノブくんが、リクエストしてきたので、
 彼の熱意に、最良の形で、レクチャーできるように、
 ネットで知り合いになった同時通訳業のMさん、
 およびその旦那さん(プロレスファンでバイリンガル)
 さらにこれまたネットで知り合ったRINGSファンで、
 ネットに氾濫する「シュート活字」を
 正しく伝導しようとしているメモ8さんを
 家にお招きして、手の込んだ上映会を開催。
 (以下、専門的、およびネタバレもあるので、
  関心外、および、直に見たい人は読み飛ばすように。)

 一本目。
 『Hitman Hart : Wrestling with shadows プロレスラーの光と影』

 品川さんが以前送ってくれた解説文。

 今回の全米公開の「Beyond the mat」に至るまでの間には、
 1998年12/20 日曜21:00〜2時間番組で
 USA A&E局で放映された 
 劇場公開映画「Wrestling With Shadows」
 (ブレッドハート主演)
 が非常に重要な役割を果たしたと思われます。

 以下あらすじです

 カナダ人監督によるこの作品は、
 当初の企画ではプロレス大家族を軸に、
 過激に移り行く業界の流れを描きながら、
 リング上のテーマにもなっていた微妙な隣国関係がスパイスの実録物。

 ところがキャラクター名 ヒットマン選手を
 1997年の一年間追いつづけるうちに
 主人公のライバル団体への転出話が追撃。
 従って11月のWWFサバイバーシリーズ大会のフィニッシュが 
 ダブルクロス(裏切り)だった事件がクライマックスに。 
 力道山vs木村政彦の伝説から高田延彦vs北尾まで、
 マニアを知的興奮に駆り立てた裏切りのゲーム。
 
 モントリオールでベルトを落とせと迫るビンスに対して、
 「それは出来ない。ヒットマンキャラクターの暗殺じゃないか?」
 と拒む人間のチャンピオン。

 映画の前半で徹底的にプロレスの仕組みを公開。
 試合の打ち合わせの現場にカメラが入り筋書き通りに
 実際のPPV大会が進行している様子がわかりやすく描写。
 日本のファンには信じられない映像の連続。
 最も映画のラストが悪の首脳部による「裏切りフィニッシュ」
 台本通りの演劇ではありえないという結末に向かうから面白い。
 どんどん試合が成立する過程を一時バラしたうえで、
 一般客を最後の謎にハメる構成が素晴らしい。
 年棒3億円の人気2世レスラーに次々と
 業界の真実と本音を語らせたからこそ意味がある。
 プロレスにそれほど興味の無い人や、
 好きではあってもWWFやBハートには
 特に興味が無い層にも、ドラマとしての一級の完成度を誇る編集。

 と、ま、わかる人にはわかるでしょうが、
 スズキくんに初心者にもわかるようにとメモらせたあらすじ。

 ブレット・ハートというプロレスラーを取り上げた映画。
 19年の長い間、米国マット界で人気者の
 ブレット・ハート(愛称・ヒットマン)が所属団体「WWF」から、  
 ライバル団体「WCW」へ移籍する際の秀逸ドキュメンタリー。 
 最初、テレビで放映されたのだが、余りにも大きな反響に、
 ドキュメント映画として全米で公開された作品だ。

 カルガリーを主戦場とするカナダ人の
 スチュ・ハートを中心としたハートファミリーは、
 全員プロレスに関する仕事をしており、
 12人の子供のうち、9人の息子達は全員レスラーで、
 4人の娘達はレスラーと結婚している。 
 この辺は、ブラジルのグレイシーファミリーが
 柔術に全てを捧げているのと似ている。
 
 その中で(アメリカで)一番成功しているのが、
 ドキュメンタリーの主人公ブレット・ハートなのだ。

 VTRはヒットマンがWWFで最後の試合となる会場から始まる。

 話は遡る
 「できることなら長い間、
 (家族も含めて)世話になり愛着あるWWFを離れたくない」
 ヒットマンは移籍に消極的だった。
 しかし、40歳を迎え、
 従来のギャラを保障してくれないWWFと
 破格のオファーで高待遇してくれるライバル団体
 「WCW」移籍に揺れ動くヒットマン。
 ヒットマンは移籍を選んだ。
 いや、そうせざるおえない状況だったのかもしれない。

 ライバルでウイットに富んだ言動と徹底したショーマンスタイルの
 ショーン・マイケルズに押され始め、
 キタナイ言葉とやりたい放題の言動をする破天荒なテキサス出身のヒール、
 スティーブ・オースティンの人気が急上昇していたからだ

 ファンを熱狂させ子供達に尊敬されたヒーローも客に飽きられ始めたのだ。

 「カナダに帰れ! クソ野郎!!」
 初めてブーイングだった。
 品行方正な正統派が飽きられた瞬間だった。
 「別に気にしちゃいないよ」

 ヒール(悪役)に転向、することに。
 そして、WCWヘの移籍を決める。

 ただ問題が一つあった。
 ヒットマンはWWF王座を保持していたのだ。
 「今までよくやってくれたから、
  どのように最後に試合を組み立てるのかは君に任せる」
 ビンスに確約をとった。

 ラストシーン。

 ヒットマン、WWFで最後の試合。
 いつも子供と一緒に会場入りするヒットマン、表情は硬い。
 息子とジャレ合う、WWFのレスラー達。
 それを遠めに見ながら妻は
 「今日でお別れだけど、これからも付き合いは続くわ…」

 PPVの晴れ舞台で異変が起こる。
 トップロープから相手に攻撃した時に、
 レフェリーが巻き込まれてしまったのだ。
 失神するレフェリー……
 という芝居臭い展開はヒットマンの知るところではなかった。
 「何かがおかしい」 そして、エンディングは突然訪れた。
 対戦相手が自分の得意技「シャープシューター(サソリ固め)」
 を掛けてきた。
 「ゴングを鳴らせ!!」
 誰かが叫んだ……試合終了のゴング鳴らされた! 
 ヒットマン敗れる!チャンピオンベルト移動!!
 全てはビンス・マクマホンが仕掛けた罠だったのだ。
 あっけなく終わった試合に怒った観客がリングにモノを投げ入れる。

 リング上のヒットマンがツバを吐き捨てた。
 それはリングサイドに陣取るビンスの眉尻にこびりついた…
 唾をぬぐうビンス。(スロー再生)

 ブンむくれで控室に戻ってくるヒットマン。
 ヒットマンの妻が対戦相手の仲間だったレスラーに罵声を浴びせる
 「アンタたち、みんな知ってたんだろ!? 
 私たちがいなくなったら、皆で大笑いするんだろ?
 ロクな死に方しないよ!!」

 ヒットマンは、WWFのチャンピオンのままWCWへ行きたいと
 ゴリ押しをしたかったわけじゃなかった。
 誰に言われるのでもない、自分の力で全てを正したかった。
 レスラー皆が納得するようにクリアにしてWWFを去りたかったのに。

 そして、ヒットマンが去ったWWFリング上では、
 ヒットマンの真似をした小人レスラーが出現して、
 笑いものになっていた。

 その後、ヒットマンはカナダに住む父親、スチュ・ハートの元にいた。
 最後にヒットマンのメッセージは
 「レスラーに権威(決定権)を戻して欲しい」という叫びであった。

 さらに、品川さんからのメール解説文。


 先日の同時通訳つき 上映会で私もこういう体験がはじめてだったので
 正直言って 博士に映画の内容がうまく伝わらなかったような
 気がしてなりません。

 むしろヒットマンの映画よりも2本目のunreal story of profesional.....
 の資料映像としての分かりやすさの方が
 うまく伝わったと思います。(内容もよく練れていましたし)
 _______________________________

 私のレスリングオブシャドウズについての感想です

 この映画で最もアピールしたかった事は
  ハート一家の流れを淡々と語る(前半)
   ドキュメントの素晴らしさの部分と
  プロレスの仕組みをはっきりと提示している事と
  アメリカ・カナダの隣国の微妙な問題提起と
  衝撃のダブルクロスの部分の面白さ

 ではないかと思うのですが・・・・・

 (以下私なりの レスリングオブシャドウズの説明です)

 1998年12/20 日曜21:00〜2時間番組で
 USA A&E局で放映された 
 劇場公開映画
 「Wrestling With Shadows」(ブレッドハート主演)

 プロレス映画といえば、
 ロバート・オルトリッチ監督の唯一の凡作と言われている
 「カリフォルニアドールズ」(1981年作)
 (ピーターフォーク主演 ミミ萩原出演)から
 つかこうへい原作・長与千種主演の「リング・リング・リング」まで
 沢山ある

 ブレッドハート(現WCWのトップ選手)主演であり 
 12名の全兄弟姉妹がプロレスラーである
 一家を焦点にし実人生をロードムービー風に描いたこの作品は、
 映像をWWFが全面提供し肖像権を放棄する形で、
 全面協力したにもかかわらずプロレスの裏側を前提とした
 ケーフェイ破りであり日本ではとても考えられない内容

 カナダ人監督によるこの作品は、
 当初の企画ではプロレス大家族を軸に、
 過激に移り行く業界の流れを描きながら、
 リング上のテーマにもなっていた
 微妙な隣国関係がスパイスの実録物だった。
 ところがキャラクター名ヒットマン選手を
 1997年の一年間追いつづけるうちに、
 主人公のライバル団体への転出話が追撃。
 従って11月9日のWWFサバイバーシリーズ大会のフィニッシュが
 ダブルクロス(事前の約束と違い王座が移動)だった事件が
 クライマックスに。
 
 モントリオールでベルトを落とせと迫るビンスに対して、
 「それは出来ない。ヒットマンキャラクターの暗殺じゃないか?」
 と拒む人間のチャンピオン。

 映画の前半で徹底的にプロレスの仕組みを公開。
 試合場の舞台裏にカメラが入り
 筋書き通りに実際のPPV大会が進行している様子が
 わかりやすく描写。

 日本のファンには信じられない映像の連続。
 最も映画のラストが悪の首脳部による「裏切りフィニッシュ」
 台本通りの演劇ではありえないという結末に向かうから面白い。
 どんどん試合が成立する過程を一時バラしたうえで、
 一般客を最後の謎にハメる構成が素晴らしい。
 年棒3億円の人気2世レスラーに
 次々と業界の真実と本音を語らせたからこそ意味がある。
 プロレスにそれほど興味の無い人や、
 好きではあってもWWFやBハートには
 特に興味が無い層にも、ドラマとしての一級の完成度を誇る編集。

 2本目
 『The Unreal story of pro wrestling』

 以下は、某掲示板にあった、解説文。

 これはアメリカの A&E という大手ケーブルテレビ局が制作し、
 去年発売されたヴィデオ。
 「昔は競技だったレスリングが、
 いかにして今日のようなアメプロに発展していったか」
 を歴史を追って解説してくれる
 「ドキュメンタリー作品」。
 友人が貸してくれた。

 はっきり言ってこれ、マニアにはよだれものじゃないかな。
 なんたってまず、
 サーカスやオペラ会場で行われていた時代のプロレスリングが説明され、
 その後ゴッチハッケンシュミット戦、エドサンテル、
 ストラングラールイスなどシュートな英雄達の物語が語られ、
 さらにはゴージャスジョージ、アントニオロッカ、ルーテーズ、
 バディロジャース等の映像がバンバン出てくんだから。
 で、それらをテーズやコワルスキーの頑固親父達、市井の
 プロレス史家やプロレス学者(含む『プロレス社会学』のボール氏)
 が解説してくれる。

 で、俺的にこのヴィデオのクライマックスは、
 80年代アメプロ絶頂期を象徴するイベント、
 レッスルマニア3の裏舞台の説明。
 すでに身体がぼろぼろになっていた無敗の大巨人アンドレが、
 ついにこの大舞台で人気絶頂のホーガンに負けることを承諾する。
 でも、本当にプライドの高いアンドレが
 この「ワーク」を遂行してくれるかどうかは、
 誰にも分かんなかった。
 マクマンが言うには、ホーガンはこの試合が決まって以来、
 気が気じゃなかったらしい。もし試合中アンドレが怒りだしたら、、、
 「アンドレに指図できる人間など、
  当時この世に存在しなかったのだ。」(マクマン)

 でも結局アンドレは a man of his word だった。
 画面ではホーガンのギロチンドロップが炸裂。
 3カウント。そしてホーガンの回想コメント。
 「アンドレはあの日、彼が誰にも渡さなかったものを俺に渡してくれた。
  俺はそのことを忘れない」
 (翻訳適当。このヴィデオにはキャプションがつかないので、
  不安定なヒアリングに頼るしかないのだ。)

 てなわけで、このヴィデオでは、
 もはやアメプロが「ワーク」であることを、
 レスラーも関係者もおおっぴらに認めちゃってるのだ。
 では、アメリカでは「プロレス=みんなが了解しているワーク」
 はもはや常識なのかっていうと、それは違うみたい。

 このヴィデオに出てくるナレーターや関係者やレスラーは、
 口を揃えてアメプロはソープオペラだとか、
 肉体を最高に酷使したスペクタクル劇だとか、
 人間ドラマなんだとかしきりに主張する。
 だからこそすばらしいのだ、と。
 これは結局、アメリカでもまだまだ一般では
 「プロレスは競技であると見せかけたまがいものだ。」
 という意見が根強いことの裏返し。
 そういう日本とまったく変わらん「良識派」の人達に対して、
 アメプロ勢が開き直って
 「競技じゃなくてどこが悪い」と言い返してるってこと。
 だから結局、プロレスの世間での地位は
 アメリカも日本も変わんないんじゃないかな。

 このページの読者が注目すべきもう一つのポイント(?)は、
 基本的にこのヴィデオの底には、「競技からワークへ」っていう
 「進化史観」が流れてるってことかな?
 このヴィデオ、一方で現代アメプロの最先端のワーク、
 アングル技術を誇らしげに見せるんだけど、
 同時に「古き良き真剣勝負時代」を
 ノスタルジックに演出したりもするのだ。
 こーやって見ると、最初から格闘技はワークで、
 真剣勝負っていう観念こそ後から
 生まれたんだっていうノリリン史観は、
 世界でもやっぱり特殊なんだなー(?)

 ともかくこのヴィデオ、結構おすすめなのだ。
 www.amazon.comとかで買えると思うよ。たぶん。

 とにかく豪華絢爛な出演者である。
 要所にコメントする関係者
 ルー・テーズ、バーン・ガニア、キラー・コワルスキー
 DAN GABLE(元五輪レスリング王者)、
 Dr.GERALD W.MORTON(ライター)
 DR.MICHAL R.BALL(?)
 インタビューに答えたレスラー達(登場順)
 ダスティ・ローデス、ダイアモンド・ダラス・ペイジ
 ジェリー・ローラー、リック・フレアー
 ハルク・ホーガン、ビンス・マクマホン
 ジェフ・ジャレット、ハーリー・レイス
 フレッド・ブラッシー、ジン・キニスキー
 ファビュラス・ムーア(女子プロレス)、メイ・ヤング(女子プロ)
 サージャント・スローター、ゴリラ・モンスーン
 ビッグバン・ベイダー、パトリオット(素顔で)
 スティーブ・オースチン、ショーン・マイケルズ
 アウトローズ、Xパック、エリック・ビショフ
 ビッグ・ショー、WCWレフェリー等…

 かなり、お酒を飲んでいたので、一本で十分の雰囲気もあったのだが、
 2本目の資料映像、往年の名レスラー総出演の豪華絢爛さ、
 そして、教育テレビ的とも言える、語り口で、見せに見せた。
 一時間36分、同時通訳してくれたMさんの能力への
 リスペクトも含め、上映後、拍手が。
 いや、まったくドキュメントDDでやれよ!
 ピーター・バラカンにやらせろ!!
 NHKで十分通用する〜と口々に。

 その後は、オレ、永尾さん、宮下さんの共通の知人でもあり、
 この会を催す、遠因ともなっている、
 シュート活字創始者である田中正志さんとの、
 それぞれのエピソード話。
 その著作を読めば、頭脳明晰すぎて、
 鼻持ちならない印象を持たれがちだが、
  なんとも、人間的な逸話の数々。

 に、坂井ノブも、
 「このまま、人物として、
  インタビューでも面白いじゃないですか」と。

 シュート活字待望論としては、
 インターネットの普及で、専門誌の意味が希薄になり、
 また、ターザン山本、週刊プロレス編集長退任以降、
(昭和活字プロレスの終焉を、先日のお兄さん会の
 ラストシーンに象徴させてみたのだが…)
 衰弱、しかも、方法論的には、、
 頭打ちの「活字プロレス」に一つのカンフル剤になるのは、
 田中正志の提唱するシュート活字ではないのか?
 との結論を見る。

 確かに、業界内に情報公開の抵抗があるのは間違いないことだろうが、
 例えば、この日、同時通訳をしてくれたMさんは女性であり、
 我々のようなプロレス的知識や、記憶があるわけではないのだが、
 このシュート活字的なプロレス話法には、興味津々になるものだ。
 それぞれに方法を論議してみるのだが、
 それでも、皆さん、クソ忙しいのに、夜遅くまで。
 なんでこんなことやってるのかは、よくわからん。
 残り2本は次回に。


 5月29日   月曜

 日刊スポーツ、高田先生のコラムに、先日の漫才の記事。

 12時、中野ブロードウェイ、
 喫茶ボン、
 「東京人」中央線特集の取材。
 写真をとってくださる、左内正史さんは昨日、
 ナンバーでヒクソンを撮ったとのこと。
 写真集「わからない」を頂く。
 15時、文化放送「吉田照美のやる気まんまん」
 「オレに言わせろ」コーナーゲスト。
 照美さんに格闘技講座、及び、猪木教布教。
 18時、ビートニクラジオ2本取り。
 一ヶ月ぶり殿。
 体調悪いとのことだったが、大いにご機嫌に語っていただく。
 桜庭vsホイス、ヒクソンvs船木戦のお話。
 「こうなったら、タケシー柔術をやるしかないですよ。
 息子さんの篤くんは、今、グレイシーやってんですから」と説得。
 「『たけしの遺伝子』を継ぐために、
 息子の篤くんを僕に養子に下さい」と詰め寄ると、
 殿、「売ってやる」と。

 2本目、
 翌翌週分「21世紀のビートたけしを探せ!」と題し、
 このラジオのレギュラーをよく休む、
 殿の、影武者をつくることに。
 もちろん、大オーディションが敢行されたのは、
 言うまでもないが、
 最終的に、最終審査に残ったのは、
 落ち武者のターザン山本。
 殿直々に審査する最後の面接試験を行なった。

 ターザンが、殿に合うのは、2回目だが、
 前回は、ジャイアント馬場追悼のプロレス企画であることから
 浪々と語り「全く、あがらなかった」などと、うそぶいていたのが、
 今回は、どうにもこうにもメロメロの失態。
 それでも、殿より合格の認を受け、
 「ビートたかし」を襲名した。
 落ち武者が、ついに世界の影武者へと出世した。

 スタジオに篤くんが来ていたので、食事に行くはずだったが、
 殿は、「体調が悪いのでまた今度と…」
 殿にお食事代、頂き、マネージャーの伊従さんらと共に、
 新中野「焼き肉牛角」で食事。
 その後、我が家で2次会、
 伊従さん、撮影の「BROTHER」写真が、上出来で魅入る。
 

 5月30日  火曜

 篤くんはそのまま泊まり、
 本日は10時からグレイシー柔術ジャパンに行くとのこと。
 オレは、大人の後ろ姿を見せようと、
 朝、8時から、必死で起きて、
 キーボードをパチパチと音を立てて叩きながら、
 原稿を書いていた。

 この音に気付いた篤くんが、目を覚まし、寝ぼけ眼で見て、
 「ああ、あんなに昨日は飲んでいたのに、
  こんなに早く起きて、仕事してるなんて、なんて
  博士は凄い人なんだ」と思われようと思ったのだが、
 一向に起きる気配もないので、仕方なく、9時半に起こす。

 「ああ、もうこんな時間か〜」
 と起きて、何も感心することもなく、
 拍子抜けしてスズキにバイクで送らせた。
 それでも、
 「今日、オレがグレイシーの道場破りに行くからな、
  船木の敵討ちだ!」と付け加えた。
 そして、12時、
 「スズキ! オレたちは、
  ロスのグレイシー道場に殴り込んだ安生だからな!」と言い聞かせ、
 明大前のグレイシー柔術ジャパンへ。



 ここには、現在、殿の付き人を努める、河田くんが、道場生でいる。
 彼は正真正銘の本格的な武道家だ。
 篤くんもそのツテがあって入門したのだが、
 たった、6ヶ月で、あんなに華奢だった体格が、厚みを増して、
 体重が7キロも増えた。
 聞くところによると筋も良いらしい。

 自由練習時間だったので、養父として見学のつもりだったのだが、
 そのまま、オレたちも短パン、T-シャツに着替えて、
 スパーリングに参加。
 とにかく、何一つ、極め技など知らないのだから、
 それから、あらゆる人に極められまくり、
 なんと400連敗。
 「400戦、無勝!博士、最弱!!」の偉業を達成。


 まず河田くんに、極められるのは、当たり前だが、
 篤くんとは、殿の息子さんなのだから「接待柔術」だと思っていたのだが、
 実際、手加減抜きでやっても簡単に極められ、


 久しぶりに会った菅原文太さんの息子さん!にも、
 「仁義なき闘い」を挑んで極めれれ、

 ここまで、やられれば、かなり強くなったであろうと、
 先日のUFC-Jのメインで安生選手に勝った、
 ブラジルの強豪、ブスタマンチにも、
 果敢に挑んでみたが、惜しくも敗れ去った。


 都合、2時間。
 体中が、せっかんされたようなアザだらけになったのだが、
 「ああ、面白かった!」

 夜、阿佐谷の「ふらんす亭」でステーキ。
 
 


 5月31日 水曜

 9時起床。
 朝起きたら、アゴが痛い。
 もちろん全身、筋肉痛なのだが、
 アゴが痛いなんてのは、初めてだ。
 「このアゴが、いてぇんですよ、
 でも、どうってことねぇですよ。ムフフフフ」と擦る。

 13時、渋谷・神代事務所へ。
 打合わせ。ハゲのハゲ屋計画を話すと、すぐに対応してくれた。
 SRSーDXから原稿の催促。
 殿から、「いろいろ渡すものがあるから」とTELで引き返す。

 ターザン山本のウェブマガジン『マイナーパワー』(有料)に、
 このような記事が。

 落武者・編集後記

  えらいことになった。これは今年一番の大事件である。
 5月29日、TOKYOFMに行って
 「ビートニックラジオ」の収録に出演したら、
 ビートたけしさんがいた。
 そこで「21世紀のビートたけしを作れ」という
 オーディション受けた私は、
 見事に合格。たけしさんの”影武者”として
 この番組の準レギュラーになるかもしれないのだ。
 いわゆる”にせビートたけし”になるという寸法である。
 たけしさんからは”ビートたかし”の命名まで受けた。
 こうなったら私は”ターザン山本”を返上して
 ”ビートたかし”になろうと思う。
 
 この話を深夜『紙のプロレス』の山口編集長に電話したら
 「それは面白い。うちの次号の雑誌でぜひ
  ”ボクがビートたかしになった日”という文章を書いてくれ。
  カラーページで載せるから」と言ってくれた。
 山口編集長は大のたけしファン。
 彼の話だとたけしファンは、日本に1千5百万人もいるというのだ。
 でも、私は本当に”ビートたかし”になっていいのか、半信半疑。
 もしかするとこれは「ビートニックラジオ」に出ている
 浅草キッドの仕掛けた罠なのではないか?
 そんな気さえしている。
 キッドさんの家に電話すると
 「いいですか、今日からビートたかしになって下さい。
  あらゆるところでビートたかしを宣伝するんですよ。
  わかっていますね・・・」
 と念を押された。
 ますますもって私はわからなくなってしまった。
 
 スタジオで会ったたけしさんは、
 はっきり言ってむちゃくちゃ格好よかった。
 男として色気がある。
 言葉に味がある。顔も抜群にいい。
 テレビで見ているたけしさんより、
 生で見るたけしさんは100倍いいのだ。
 
 私のこの一件でほかのすべてのことが頭から吹っ飛んでしまった。
 『SRS・DX』の発行人である柳沢さんにこのことを話すと
 「生まれて初めてターザンにジェラシーの感情を持ったよ」
 とそこまで言われたのだから、
 この”ビートたかし”襲名は、大変なことのようだ。
 よし、こうなったら運を天にまかせて、
 これに一丁乗るしかない。
 というわけで私は5月30日、目が醒めるとさっそく
 ”ビートたかし”の名刺を作りに行ったのだった。

 本当に無邪気で微笑ましい。

 20時、殿宅。
 食べるだけで痛風になりそうな、とびっきりの焼き肉をご馳走に。
 さらに本格的に北野博物館の館長に
 任命されたとしか思えない、形見分け。
 なかには、「死後発表すること…」と念を押されるものも。
 すっかり、酔っぱらって、日頃、思ってる疑問を次々に質問。
 殿も、実に客観的に答えて下さる。
 その言葉の一つ、一つを心にメモる。

 帰宅後、またも「宝の山」に囲まれ、
 「ああ、面白かった」と…。


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