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 9月8日  金曜

 今週は、全米オープンテニス中継のため
 『エクスプレス』が休み。
 
 11時半、神代さん、兄貴待ちあわせ。
 食事。

 「スネーク・ピット・ジャパン(蛇の穴)」
 主にストレッチだけのつもりだったのだが、ついつい…。

 トンパチプロ社長・ハチミツ二郎がハワイ帰りのお土産を。
 自称・社長が、ハワイ漫遊とは、
 本当に、社長らしくなっているのが、偉い。

 18時、渋谷ビデオスタジオ
 『チャンネル北野』3本収録。
 マキタスポーツと久々に話。

 昼間、ジムに行ったせいか、
 身体は予想以上にヘトヘトになっているのだが、
 週末のテーマは「外出」だったことを思い返す。
 
 「京都いきた〜い!」と、
 そのまま、東名高速へ。
 徹夜覚悟で向う。

 小学校の修学旅行以来の京都。
 修学旅行で文集で伏見城を寄せ木で描いたオレは
 なんだか、賞を貰ったのだ。
 そんなことを思い返しつつ、
 カーステレオには、真心ブラザーズ。
 マイ・バック・ページを絶唱しながら…。
 ♪ああ、あの頃のオレより、今のオレの方が若い〜

 しかし旅慣れぬ、オレが下準備もなく、
 行き当たりばったりで出かけているのだから、
 すんなり行くはずもなく、
 途中、富士IC、清水IC間が事故で通行止めだったり、
 迂回したら、大渋滞に巻き込まれたり、
 一宮でガス欠を起し、東名に取り残されて、JAFを待ったり、
 「 MI2 」のテーマが鳴り響きながら、
 危機また危機。の展開。
 8時間もかかって、命からがら、朝、友人祖母宅へ辿り着く。


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9月9日  土曜
   
  清水寺、33年に一度の御本尊開帳と言うことで、
 25年ぶりに清水の舞台へ、乗り込む。



 しかし小学生の時より、
 清水の舞台を高く感じなかったなぁ。
 インディー・レスラーなら迷わず、飛び降りるぜ。

 清水寺、隋求堂の「胎内めぐり」は、実にオモロ。
 観光コースの定番、「順正」で、湯豆腐、
 
 金閣寺終了間際に。
 総門を越えて、走っていくと、
 久々に見る金閣寺が…
 そして「ここは金閣寺ではありません、金閣です」
 の立て看板。
 正確には、金閣・鹿苑寺なのだ。

 嵐山に移動。
 桂川の流れ、水面を眺めながら、
 週刊ファイト・I編集長よろしくアントニオ猪木について考えてみた。



 そう言えば、猪木教信者の
 インディーTシャツを作っている瀬戸さんが、
 京都に居た!と思いつく。
 電話をしたら、居た!
 会ったのは、わずか数日前だ。
 それでも、巻き込まれてみる?
 そこから大変。
 山科区に住む彼の家まで移動だが、
 ナビが、バカな獣道を指示し、
 細い山道で行き止まり。崖から落ちそうに…。
 またもMI2のトム・クルーズの休暇か。
 なんとか、難路を抜け出し、
 瀬戸さん宅付近に着いたら、
 さっきの行き止まりに携帯落としたことに気が付く。
 ため息をついていたところ、
 なんとか、瀬戸さんと、連絡がつき、携帯捜索の山道を引き返す。
 いったい、何をしているのやら…
 将軍塚で夜景。
 新福菜館本店でラーメン。
 
 瀬戸さんから猪木T、猪木シールを受け取る。
 どれもこれもオレにとっては宝物だ。

 夜、偶然、NHK「国宝探訪・東寺」の番組をやっていた。
 俄然、仏像見たくなる。
 みうらじゅんさんの本のなかでも『見仏記』は、
 なんにも興味がなかった。
 オレなのに…。
 しかも、明日は仏像の専門家がガイドを買って出てくれた。





 9月10日  日曜

 昼起床。
 「天下一品」の総本店へ。

 今回、ひょんなことから知りあった、
 25歳の若き仏師、冨田さんが案内に。

 三十三間堂、千体の千手観音には驚く。

 

 昔、見たときは、千手観音が、
 全て木製で、一体一体が、手彫りだとは
 思ってもみなかった。
 なんとなく、当時の技術で大量生産していたものなのだろう、
 としか、思ってなかった。
 『見仏記』(文章・いとうせいこう)には、こんな風に書かれてある。
 

 ずらりと並んだ千一体の千手観音。有無を言わせぬ 迫力。
 やっぱり三十三問堂はすごい。
 「やっぱ、ここだよ。すっげえよ」
 みうらさんはひとりごとのように言った。
 「すごいよねえ」二人とも、
 "すごい"という表現しか出来ないことが面 白かった。
 それくらい"多数"のパワーは圧倒的なのだ。
 理性やら観念やらが先行することなどあり得ないのである。
 「ほら……ほら、ほら」
 みうらさんは上下左右に体の位置を変えた。
 「ほら、ね。ほら」
 言いたいことはすぐにわかった。
 視点をずらす度に、パースペクティヴが変わり、
 十重二十重に並ぶ千手観音の印象が変化するのだ。
 「うんうん」
 私はそれしか言えなかった。
 そのまま、ゆっくりと奥に歩いでいく。
 みうらさんもため息をついたきり、何も言わずに歩き出す。
 我々の言葉を奪ってしまった千手観音たちの前に、
 二十八部衆が立っていた。
 以前はいわゆる四天王と風神、雷神を残して、
 すべて裏側の外陣に置かれていたのだが、
 今年から確か創建当時の配置に戻されたのだ。
 この判断は素晴らしい。
 千一体の千手観音というだけでもすさまじい世界観を感じさせるが、
 その前面に異形の仏像たちが立っている様子は、
 なんとも格段に"すごい"。

 東寺に向うが間に合わず。
 桂離宮前の中村軒で「おやし」(抹茶)で一服。
 うなぎ山椒煮をおみやげに。


 仏師・冨田さんのアトリエへ。 
 手先が不器用なオレには、
 彫像なんてものをやろうと言う気持ちがまるでわからない。
 仏師とは、木彫りで、仏様の彫像を作る人である。
 「匠」の技である。
 これほどの、テクの持ち主なら、
 フィギュアの原形師になるほうが、
 今風だろうに…と思うのだが、
 そこは京都育ちである。
 仏像が、彼を呼び込んだのだ。
 そして、25歳の若さで、
 この選ばれし仕事で、この業界の、
 ある位置まできていることも凄いが、
 「彫ってると、最後には仏さんが『もうええよ!』って
  言ってくれる境地にまで達するんですよ、
  まだ僕は経験したことはないですけどね」
 となにげなく語るのも凄い。

 これは、昔、読んだ手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」を思い出す。



 「仏師の世界は、鎌倉時代で、その頂点が止まっているから、
 その鎌倉時代の作品群に追いつきたいんです」とも。
 なんと800年もの時代の流れに、挑戦しようとする
 意気込みも、また、驚かされた。

 猪木教徒として猪木本尊を彫って欲しいと懇願。

 アトリエを出て、わいわいと言いながら、清水寺へ引き返し、
 三年坂から二年坂へと抜けまして、
 山村美砂のお屋敷をまっすぐに、一念坂と歩き、
 ねねの道、円山公園、季節はずれの枝垂サクラを横目に
 八坂神社を抜けまして、祇園、一力茶屋を横目に右に折れまして、
 白川南通りでずいぶん、くたびれた。
 咽喉が乾く。
 モルツクラブで湯葉尽くし。

 ここらで、この旅行も時間切れ。
 夜、高速へ徹夜で引き返す。
 とにかく前も見えないほどの大雨のなかを東京へ。
 後、一日遅れたら、さらにひどい水害だった。


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