2月11日  日曜

 9時起床。
 「テレビブロス」の連載、『お笑い 男の星座』の第2部、鈴木その子篇、
 SRSーDX連載、「底抜けアントンハイセル」
 SRSの格闘バリアフリーネタなど…。
 家から外出せず、黙々とパソコン前でお仕事。

 映画『CUBE』(映画瓦版
 3年前に話題になった低予算のカナダ映画。
 製作費5000万円、唸る。
 ビデオに一緒に入っていた、
 「エレベーター」って短編は資料もなく、
 知っている人いたら教えてくれ。
 
 積ん読になっていたスタン・ハンセン自伝
 『魂のラリアット』読了。



 「金の話ばから書いてある」と聞いていたが、
 これは、週建て契約の外人選手には
 当然のプロ意識であり、普通の人に
 プロレス・ビジネスの紹介するための手法である。
 ハンセンは、現役時代から、
 素で喋ってるインタビューが少ない選手だけに、
 幾つもの箇所で、へ〜っ、
 こんなこと思ってたんだ…って思った。
 
 例えば…

○バウンサーをやっていた当時のブロディについて一一。

「俺はバーで酔っぱらって周りの客に迷惑をかけたやつを
 一人残らず叩きのめし、仮に礼儀多々しい普通の客から話しかけられても、
 感謝されても絶対に口をきかないようにしていた。
 笑うことも絶対にしなかった。
 そうすることで金が多く入ることを知っていたからさ」

フランクが部屋の中をぶらついているというだけで、
客が安心して酒を飲める‥‥これぞ用心棒の手本のような存在だったのだろうし、
多分これが後の“ブルーザー・ブロディ”というキャラクターの
原型になったのだろうと考えられる。
フランクはプロレスラーに転向する以前に、
既に“ギミック”を持っていた希有な才能の持ち主だったのだ。

○プロレス界では、若手が上へ行って
 メインを取ることを“オーバーする(getting over)”と表現する。

この“オーバーする”ことが実はプロレスラーの全てであり、
そこに留まることは、“オーバーする”ことより何倍も易しいことなのだ。
“オーバーした”レスラーは観客を“ヒート”させる。
“ヒート”は今のプロレスで死語になったフレーズだが、
観客がヒールに対して“死んでしまえ!”という感情を持たない限り
“ヒート”は生まれない。

“ヒート”なくしてレスラーの“オーバー”はない。
だから“ヒート”という言葉こそ、プロレスのキーワードだと断言できる
(逆にベビーフェイスにとっては、観客の“ヒート”が乗り移れる存在でない限り
“ヒート”をうみだせず、生み出せなければ“オーバー”できない)。

若い時分にそれを体験できない輩は、言っては失礼かもしれないが、
一生、一流のヒールにはなれない。ヒールとして売り出す機会を与えられたら、
中途半端は自殺行為でしかないということだった。

○新日本のリーダーだったアントニオ猪木についてだが、
 リング上では何百回と対戦したにもかかわらず、
 リング外で会話を交わしたのは確か2回だけだった。

猪木のリング上での動きは、あたかも猫を相手に戦っているようなもので、
とにかく空いての意表をつく攻撃が抜群に巧い。
それがレスラーとして猪木の最も優れていた部分だ。
“強い!”と思ったことは一度もないが、とにかく試合運びが巧妙で、
終わってみたらピン・フォールを奪われている‥‥
猪木との試合は大体いつもそんな調子だった。

猪木が開拓した“ニッチ・マーケット”の異種格闘者との対決は、
現在アルティメット・ファイトという形になって
大きなマーケットに成長しているが、
その部分でも猪木の功績は大きかったと思う。

○ボディスラム、でいつも思い出すのがストロング小林のことだ。
 彼は猪木、坂口に次ぐナンバー・スリーの立場にいたが、
 体が非常に硬く、ラリアット以外の技は仕掛けにく相手だったが、
 なぜかボディスラムだけは容易に仕掛けさせてくれた。
 小林はボディスラムで持ち上げられると、
 右手で相手の急所を握るクセがあった。
 余りにも思いきり叩きつけられると、次にボディスラムで持ち上げた時に、
 思いきり急所を強く握られる。
 小林は腰が悪かったから、投げられる時のショックを
 少しでも和らげようとしていたのだろうが。
 股間をつかまれると確かに力が入らないもので、
 その意味では小林のテクニックは理にかなって?いた。

○その気になれば‥‥という表現は変だが、
 アンドレが本当に私を認めていなければ、
 リング上で私にケガをさせようと思ったら
 ヘッドバットの角度を変えるだけでよかったろう。
 巨大な頭部が、まともに私の脳天を直撃したら
 それだけで試合はジ・エンド。
 ダウンした相手に、体ごと倒れてくるヘッドバットにいたっては尚更で、
 下手にかわしたりしたら鎖骨など簡単に折られていた。
 アンドレにとって、それは赤子の手をひねるようなものに違いなかった。

全日本に移る3ヶ月程前(81.9.23)、田園コロシアムでの
アンドレとのシングルマッチは、私のレスラー人生の中で
最高の試合だったと思う。
アンドレがトップ・ロープをまたいで入場してくるときに
私が奇襲を仕掛けたが、巨大な足で蹴返されて仰向けになり、
試合開始と同時に場内は騒然となった。
あの時、場内を走った“電流”に近い興奮をどう表現していいかわからないが、
私のペースに合わせてアンドレも休むことなく動きまくった希有な試合だった。

「俺は本当に気心の知れた奴にしかボディスラムを許さなかったけれど、
 その中で君にやられたあの試合は一番効いた。
 あれだけ完ぺきなボディスラムをやられたのは、君だけだったよ」

○新間曰く「パラオにある“イノキ・アイランド”を君に譲渡する事も考えている」

○全日本における最初の試合で私の相手となったのは、
 ラグビー出身の阿修羅・原だった。今思い出しても、
 この選手は完璧だったと確信できる。
 私のタックル、キック、そしてラリアットを耐えられるレスラーというのは
 稀にしかいなかったが、原はその数少ない一人で、
 とにかく短い試合時間の中に私の全てを凝縮することが出来たという点で、
 あれ以上の試合は他になかったと思う。

○2月4日、東京体育館における馬場とのファースト・マッチは
 忘れられない思い出だ。時分の試合スタイルは
 “オーソドックス・スタイル”とは最もかけ離れたものであり、
 逆に馬場のそれは世界一の“オーソドックス・スタイル”だったと思うが、
 その相反した二人のレスリング・スタイルが完全な形でミックスし、
 見ているファンに新鮮な驚きを与えたという点で、
 あの試合が私のプロレス人生に与えた影響はとてつもなく大きい。

○ブロディがよく、こうこぼしていたものだ。
「鶴田との試合は疲れる。足が地に張りついたようで、
 持ち上げるのに一苦労だ。その点、馬場が相手だと楽だ。
 スタンにタッチすると途端に馬場が出てくるのはフェアじゃない。
 俺の担当を馬場にして欲しいよ」

○この頃、私は一人の日本人女性と真剣な恋愛関係にあった。現在の妻である。
 WCWに移籍して大金を稼ぐことなど、
 彼女に会えることに比べたら何でもなかった。

ともあれ、現在の妻にめぐりあい、シェイバー、サミュエルという
素晴らしい息子二人に恵まれた私の人生は、
あの時にWCW、WWFという選択をしていたら有り得なかった。
この件は今でも妻と話題にすることがあるが、
要するに人生には就職以上に大切なものが一つだけ存在する、ということ。
私にとっては、それが妻だった‥‥ということを誇りを持って書いておきたい。

○ブロディにとって一番欲しかったのは、
 プロモーションのナンバー・ワンになるという名誉だったのだ。
 金が全てではない、プロレスラーとしての飽くなきエゴイズム‥‥
 そこにブロディのブロディたるポイントがあったと思う。


 『TIME』の殿のカバーストーリー。
 「笑芸人」の名編集者、浜女史から
 訳文、FAXしてもらう。
 実に長い文章で、
 どう考えても間違いだろう
 ってところもあり、笑えるのだが、
 なんと俺が出てくるところもある。

 たけしはカルトである。
 たけし軍団は、たけしに憧れ、弟子となり、
 彼を見習っている若きコメディアンたち、
 およそ百人からなるグループで八三年に出来た。
 彼らは東京の新宿の焼肉屋一一たけし行きつけの店一一
 に集まっては、たけしを一目見ようと待ち受けている。
 おかげでその店はたけしの聖なる杜として知られるようになった。
 また、軍団のメンバーは次第に
 たけしを“殿”または“師匠”と呼ぶようになった。
 「僕らはただ一目殿を見るためだけに、外で四時間も待ってたんです」と
 岡山生まれながら、少しでもアイドルのたけしのそばにいたいと
 東京の大学に入った三十八歳の水道橋博士は当時を振り返る。
 たけしはこれらグルーピーの中から、
 自身のテレビ番組に出る芸人や作家を募ってさえいる。
 日本の商社やヤクザのように、たけし軍団には上下関係があり、
 トップダウンで指示がなされ管理される階級組織になっていった。
 「拳銃の代わりに笑いを武器にしてるんだ」と
 自分のヒーローであるたけしを人生の見本にしている博士は言う。
 シャイな彼はたけしの大胆さに惹かれたという。
 「たけしさんは自分の言葉でしゃべり、
  すべきことは自分自身で決めているんです」と博士は説明する。
 皮肉なのは、こうしたコメディアン志望の若者たちが
 すべてたけしのようだということ。 
 結局、それこそがたけしの本当の魅力なのだ。



 いつから、たけし軍団が100人いるのだ、
 「羅生門」がどこで「聖なる杜」と言われてるのだ、
 と突っ込みが入りつつも、
 これもまた良しとしようではないか。

 松村くんから、引越祝いに、
 談志師匠のCD全集送られてくる。
 嬉し。
 
 深夜、20分走。

 日本テレビ、『ドキュメント01』多重人格の少女。
 既に何回も放送されている家族なのだが、
 これをドキュメンタリーとして、
 しかも「病」としてテレビで放送すること、
 「これはアリなのか?」違和感と共に思ってしまう。
 この放送を見て、
 こういう「病」を自己主張しだす人たちは増えるだろうに。

.
 
 2月12日  月曜

 11時、お台場へ。
 談志師匠、「ゆめの寄席」のCDを聞きながら、
 ニッポン放送入り。
 『ラジオビバリー昼ズ』生出演。
 久々に高田先生とお話。
 先生の前では、いつも緊張ぎみになる。
 「あの本は、売れるな」と褒めて下さる。
 永田杏子ちゃんが、「私も読みました、面白かった…」と。
 一安心。
 若い女の子でもオモロに読めるのかは、疑問だったのだ。
 若い、女、子供よ、活字量に恐れおののく前に読んでくれ!
 読めば分かるさ!!

 移動、六本木・D-COMPLEX 会議室、
 『SRS』格闘バリアフリー2本収録。

 板橋サティ、ワーナーマイカルへ。
 マイカルカードに学生証を提出して入会!
 『アンブレイカブル』(映画瓦版
 M・ナイト・シャラマン監督。
 この監督は腕のいいマジシャンだ。
 こんな、しょうもないネタをテクニックだけで見せている。
 明らかに破綻しているテーマを映画にしていると
 思われるのだが…。
 まさか、テレビCMで、公開している映像からは、
 こんな映画だとは思わなかったところで、
 術中にはまってる。

 タイ料理「BAAN~ESAN」へ。
 ジムの先輩、梅さん、大森さん、ビル・ロビンソン先生と。
 お休みの日に、部屋で一人でいると退屈だろうと、
 梅さんが、外へ連れ出しているのだが、
 世話好きで、なかなかエライことだ。

 英語堪能な人がいたので、
 ロビンソン先生が上機嫌。
 それでも、ヒクソンの息子の急死を哀しんでいた。
 インド映画に出演した時の話から
 世界中を裸一つで、闘った男の想いで話。
 面白くないハズがない。

 「次は、あなたのクラスで会いましょう!」と別れた。
 
.

 2月13日  火曜

 ロビンソン先生との約束を果たすため
 「スネーク・ピット・ジャパン(蛇の穴)」へ。
 俺の顔を見て、ロビンソン先生がウインク。
 組技クラス・初級。
 実に久々に。
 たいしたことやってるわけじゃあないのだが、
 体中がアザだらけになる。
 
 「牛舎」、初食い。カニのキッシュ。

 本日放送の『未来ナース』辺見えみりブチぎれ乱闘篇、
 メール殺到。
 実にオモロではないか。
 

 2月14日  水曜
 
 『夜のエクスプレス』収録が、急遽なくなる。
 それはいいのだが、
 当てにしていた、エクギャルからのチョコレートがこれで貰えない。
 毎年、バレンタインには何の興味もないのだが、
 初めてチョコもオイシイと思っている時に、
 しかも赤江くん(玉袋)など、今や、チョコフリークで楽しみにしていたのに…。
 残念。
 結局、一昨日貰った、一つだけ。
 ああ、不人気者。

 『マグノリア』ビデオで。(映画瓦版)
 3時間長の長さは、娯楽的でない。
 しかし、何パターンものストーリーが、
 ジグソーパズルのように最後にはまっていくのは快感。
 ラストは(知っていたのだが)確かに想像を絶するもんだった。

 体中(特に首)が痛いのだが、
 「スネーク・ピット・ジャパン(蛇の穴)」へ。
 プロキックボクサーのラビット関選手らと一緒に、タイ式縄跳び4R。
 スズキ(同居人)と、スパーリングごっこ。
 プロに比べれば、本当に、
 子供の遊び程度の、ごっこなのだが、体中、顔中、
 打ち身、アザだらけに。
 
 「BOSCO」でパスタ。

 一日中、筋肉痛を抱えて、のたうちまわっていた。

 なんと『お笑い男の星座』の4刷りが決定!
 目標の3万部をクリアー。
 このところ、毎日のように、この本のことを書いているのだが、
 今や、出版不況は、深刻で、本は売れない時代だ。
 「出版幻想論」(藤脇邦夫)を読んで以来、
 本を売る手法についてさまざまに考えていた。
 コンビニの弁当のように賞味期限が切れると、
 本は、ごみ箱へ、そして裁断される運命だ。
 実は、作家(書き手)は、そのことに対して、
 現状を嘆くばかりで、あまり抵抗しようとはしない。
 自らが商売人・宣伝の発想はないんだもん。

 タレントがテレビで自著を宣伝するのは、確かにアザトイ。
 それでも、なりふりかまわず「でもやるんだよ!」しかない。
 確かに効果ですら、疑問だ。
 しかし本が出ていることを知らしめることが一番なのだ。
 そこに読者が一人でも増える可能性があるなら…。
 たぶん、今回はこの数字で、絶版への速やかな本の墓場ゆきは免れた。
 浅草キッドの本の基礎票は、8000である。
 宣伝なくても、この程度の数字は、はける。
 その3倍以上なのだから今回の俺たちなりのプロモーションは功を奏している。
 今後は、本の力しだいだ。
 口コミしだい。
 浅草キッドを知らずしても、純粋に読み物としての評価で、
 とりあげられたい。
 幸い、この日記は、編集者によく読まれてる。
 ぜひ、批判でも、議論でも、なんでもありで取材してほしいもんだ。
 「いつ、何時、誰の取材でも受ける!」
 専門誌、女性誌なんかでもOKだ。
 
 
 懇意にしている桃太郎電鉄で有名な
 ゲーム作家のさくまあきらさんのHPに書評が…。

 新幹線のなかで、『お笑い 男の星座』(浅草キッド・文芸春秋)を読む。
 先日、放送作家の福本岳史くんが、浅草キッドのふたりに会ったとき、
 贈呈本を私の家に送っているので、
 感想を聞きたいといったことを伝えてくれた。
 ところが、本は家には届いていなかった。
 最近どうも、我が家の郵便事情は悪いようだ。
 いしかわじゅんサンの『鉄槌』もずいぶん届かなかった。
 連絡が取りやすい人は、確認しやすいのだが、
 ますます郵便は立場が悪くなりそうだ。

 でもどっちみち買うつもりでいたので、さっそく購入して、
 あっというまに読き切ってしまった。おもしろい!
 浅草キッドのホームページのほうを読んでいれば、
 この本を書いているのは、
 水道橋博士のほうだということはすぐわかってしまうので、
 博士の著作物として、感想をいう。

 (漫才師のパブリックイメージはそのままで良いし、
  あえて書く必要はないと思うのだが…。
  親しいさくまさんまで、こういう先入観があるようなので、
  書いておこう。

  これは、完全に、さくまさんの誤解である。
  この本はあくまで浅草キッド名義で、
  赤江くん(玉袋)との共著である。
  俺たちには原稿作り、ネタ作りにちゃんと役割分担があるのだ。
  複眼であるから、よりディテールが細かく書けるのだ。
  そして、CPは飛躍的に、共作の機能を高めた。
  こういう話は、今度、文芸誌「リトルモア」誌で
  たっぷり字数をとってインタビューあるのでお話しておきたい。)
 
 この本は、単なる芸能界の暴露本ではない。
 芸能界のルポルタージュである。
 浅草キッドは、この本で、芸能界の沢木耕太郎になった。

 沢木耕太郎さんという人を知らない人も多いだろうが、
 マスコミ業界にいて、この人の名前を知らない人はもぐりである。
 私も20代の頃に、むさぼるように読んだ。
 『電波少年』の猿岩石のアイデアのきっかけにもなった
 『深夜特急』を始め、その代表作の多さは尋常ではない。
 『敗れざる者たち』『路上の視野』
 『若き実力者たち』『一瞬の夏』…、
 とにかく数え切れない。

 この本は、その沢木耕太郎さんと並ぶ名著だ。
 登場人物たちの背中が、とても物悲しいところまで似ている。
 故・宮路社長、島田洋七、岸部四郎、水野晴郎、ターザン山本…。
 沢木耕太郎さんという人が、
 ルポする相手に入れ込めば入れ込むほど、
 相手は不幸になっているところまで、酷似している。
 沢木耕太郎さんの場合、
 取り返しのつかないところまで追い込み過ぎると思うのだが、
 その点、浅草キッドの場合、笑いが入っているので、救われる。


 芸能界の沢木耕太郎か。
 もちろん褒め過ぎだが…。
 本を書いている時は意識したことはなかったが、
 俺も20代の時、むさぼるように読んだクチだ。


.
 
 2月15日  木曜

 大塚美容歯科へ。

 新宿紀伊国屋で、『お笑い男の星座』チェック。
 入り口のベストセラー本の平積みになっているではないか。
 ここの棚は、担当者のチェックが厳しいので有名なのだが、
 嬉し。
 しかし、まだ初版本があるのが、不思議だ。

 伊勢丹地下でちょっと高めの梅干し購入。

 こうじんクリニック点滴。
 

 夜、『エクスプレス』ネタ作り。
 いろいろ面倒もあるのだが、白けずねばる。
 
 18日のサイン会用に、先着100名に
 2000年の余った年賀状をプレゼントしよう。
.

 博士の悪童日記<2000年2月中旬〜後編>へ

最初

98年

99年

00年

01年

前回

次回

 

 

 

 

読み逃げ厳禁! 読んだら 感想メール を送りなさい! 目次に戻る