6月1日  金曜

 『笑芸人』編集部、浜さんにTEL。
 東さん原稿、何度もいじってるうちに、わからなくなる。 
 話をしているうちにスッキリする。

 12時、『サロン・ド・ビカ』へ。
 偶然、どっこいサブの現場を押さえる。

 「スネークピット・ジャパン(蛇の穴)」へ。
 今日は、メニューを増やす。
 変則タイ式縄跳び、6分×4に。

 新しく出来た本屋『オオトリ』へ。
 俺の周囲で本屋が充実するのは、嬉しい限り。

 23時半、テレ朝入り、
 『
虎の門』生出演。
 「アントニオ猪木と長島茂雄、どっちが日本一のヒーローか?」

 俺たちの、おはこ、お手の物と言うより、
 もはや、猪木さまをネタに仕事をする、
 経済効果も春一番を超えたかも。

 やくみつる、蛭子能収、海砂利・上田、パンチ佐藤、
 勝俣ちゃんのメンバーで。
 この話題で、次週に持ち越しに。

 勝ちゃんに、
 「いとうせいこうさんに薦められて、
  『お笑い男の星座』 ようやく取り寄せて読みました。
  最高に面白いですね」と言われる。

 楽屋で、やくさんが
 蛭子さんにサインを求めて、コレクションを
 増やそうとしているところをパチリ。
 やくさんのこの姿をコレクションしてやろう。

 4時半帰宅。




6月2日  土曜



 眠る暇なく、朝8時半、TBS入り。
 TBS『クローン・キッド』3本撮り。
 ナニワキッドの連中と。
 村川絵梨、田野あさ美、
 上原香代子、川田由起奈、
 どじょう救い報告、キッド祭り告知。
 ガッツ先生の作詞。
 ガッツさんの暴走ぶりは、
 ガッツさんのオモロのピークを良く知る、
 俺ですら、最高にオモロだった。

 彼女たちのライブも決定。
  しかし、彼女たちの支持層、 現在での人気の実態が、
  俺には、さっぱり見えない。  
  今回から彼女たちの写真をアップしよう。



 控え室で、冨田Pと戸上マネージャーと話。


 四谷ビデオセンターへ移動。
 テレビ朝日、『愛のエプロン2』収録。  
 前の撮影でいた、元ルナシーの真矢くんと久々に顔を合わす。
 5年前に、名古屋の番組で一緒にレギュラーをやっていた。  
 「いやぁ、どうも、電話代えました」とわざわざ電話交換。  
 俺ごときにと思うからなのだが、本当に、根っこがいい人だ。
 
 そう言えば、この番組で
 TOKIOリーダー・城島くんと競演するのも初めて。
 リーダーがおなかを差して「次に仕事あります?」と聞かれ、
 相当の覚悟がいる番組なのだなぁと思った。  

 磯野貴理子、鴻口可南、三津屋葉子の3人が、
 徳島、阿波尾鳥を素材に、鶏の照り焼き、鶏そぼろを作る。
 
 磯野貴理子が、たいへん上手で驚く。
 俺の心のなかには、
 例えば「まずいラーメン王」のような後ろ向きの企画〜
 まずければまずいほど番組が盛り上がるようなことに 、
 いささか抵抗があるので、
 貴理子さんが、上手で、それでいて番組が盛り上がることが、
 よろしいことであった。    

 今度は、 お台場へ。  
 BSフジ『お台場トレンド市場』3時間生放送、
 朝から5本もお仕事が駆け抜け、
 同行している マネージャーも、スタイリストさんも、
 さすがに、へとへとのようだ。
 が、俺、大丈夫、大丈夫。
 疲れないを分けてあげたい。

 

 6月3日  日曜

 朝6時起床。原稿書き。
 『SRS・DX』、『お笑い男の星座』一段落。

 「スネークピット・ジャパン(蛇の穴)」へ。
 スズキ、二郎も一緒。
 ここのところ、連日。
 フェイントで、3Rを4Rに増やしてやったら、
 奴らの「えええっ!」と泡を食った顔がオモロ。
 コーチの気持ちがわかってきた。
 が、俺も同じことやるよ!
 30代も終わりの俺だけど、若い奴には負けんよ。
 …と言い聞かせながら。

 14時、大日本プロレスへ。
 石丸元章夫人の、OKA-CHANG に誘われて。

 ペーパー・ドライバー、二郎の運転。
 もう3年も運転してないんですけど…と。
 事故たったら、全責任はとってやるから、
 とりあえず、運転してみろ!
 「どっちがブレーキですか?」とマジにコントのような応答。

 でも、やるの。

 カナケイ警備のホイッスル渡辺こと、渡辺準さんと待ち合わせて、
 秋葉原駅昭和通り口広場へ。

 ファイアー・デスマッチがメインとのこと。
 火事場見物だ。
 

 熱い日差しの屋外会場の雰囲気は、懐かしくもあり、
 古きよきプロレス興行を思い出す。
 場外乱闘のたびに、
 「たいへんだよ!ねぇさん!!!」
 まるでカツがオ漫画の吹き出しが出ているように、
 大騒ぎで駆け回る横チンはみだし小学生の石丸さんがオモロ。

 一部ファンにカルト人気を誇る、
 デスマッチの帝王、 ザンディクの試合を初めて見る。
 なるほど、かっこいいではないか。
 ファイアー・デスマッチ を試合を終え、
 血だらけの ザンディクと一緒に見た。

 これぞ、「リングサイド留学」。  
 一つの目標だったので、 感慨深い。
 場外乱闘で、死角になった俺を、ザンディクが肩車してくれた。
 みんな、うらやましそうだった。

 

 俺が観戦中、大きな男が、にじり寄ってきた。
 「博士さん、オレ"新宿鮫"なんですけど知ってますか?」
 「新宿鮫?」
 「FMWで、レスラーやってます。」
 「ああ、そうなんだ、聞いたことあるなぁ。」
 「で、普段は、建築のほうやってんですけど、  
  博士の家のキッチン、オレが入れたんですよ。」  
 「そうですか!」とがっちり握手した。
 人にはさまざまな出会いがあるものだ。  、



 石丸元章一行と『肉の万世』へ。
  初めて行った。
 ファミリーレストランだと思っていたら、
 10階建てのヒエラルキーまるだしの、肉の殿堂。
  ビーフかつ、万世サンドも美味し。
 

  カナケイ警備へ移動。
  渡辺さんが、漬けたニラ醤油と、青唐辛子味噌、を貰う。
 
  渡辺準親子と『天狗』 へ。
  前に一度会ったことのある、息子の靖幸くん、20歳。  
  親父と息子が飲んでいる姿は、
  他人の俺から見ても ライフ・イズ・ビューティフルだ。
 
  アジアン・ミートパイ、ナンプラー添えは美味い。

 今夜も、渡辺劇場全開であった。
 俺の知る人のなかで、最も血中浪花節度が高い人であり、
 限り無く、フーテンの寅さんに近い人情の人である。
 息子を目の前にして、昔話などされたら、たまらない。

 元・船乗りの大航海時代、そして子供の成長、
 俺なんか、涙、涙、涙、
 海水より、濃かったよ。
 

 

 6月4日  月曜  

 朝5時起床。

 さすがに、これは早すぎる。
 のだが、パッチリ目が覚めているのだ。
 スズキ(同居人)を起こすのも、悪い。
 朝もやのなか、なんと散歩する。
 老人か、俺。

 『ダカーポ』に、竹中労についてのアンケート、書面で。

  天王洲『火の玉スポーツ列伝』収録へ。
  B級スポーツニュース。  

  熱弁スタジアム、「清原は、ヒクソンに勝てる」が、命題。
  プレゼンテーター、伊集院光、ターザン山本。

 ターザンをスタッフに大推薦したのは、我々だけに、
 ステージ・パパならぬ、ステージ息子の心境。
 ターザンさん、テレビの仕組みを理解してそうで、してないので、
 どっちに転ぶのか心配だった。
 しかし、本番になれば、
 名レスラーである伊集院がターザンのヒールキャラに気がつくと 、
 即座に応対。
 素晴らしいタッグワークに。

 2本目、熱弁サミット、
  「最強の格闘家は誰か?」
 
 メンバー
 ・なぎら健壱   / 大山倍達  
 ・北野誠     / ジャイアント馬場  
 ・渡嘉敷勝男   / マイク・タイソン  
 ・スマイリーキクチ/ 佐山サトル  
 ・有坂来瞳    / ヒクソン・グレイシー  
 ・来栖あつこ   / 小川直也  
 ・関秀章     / アンドレ・ザ・ジャイアント 、
 ・浅草キッド   / アントニオ猪木

 観客投票で、最強の格闘家を決める。
 果たして結果は。  

 目黒のブックオフ。 3階建て、掘り出しものだらけ。
 業者のような大量買い。
 ちなみに、ゾマホンの本も2冊100円コーナーで購入。


 
 6月5日  火曜  

 12時、「スネークピット・ジャパン(蛇の穴)」へ。  
 今日も二郎が一緒。  
 いつもの、2分を1分伸ばして、
 3分×3R×3の変則タイ式縄跳び。  

 シャワーを浴びて、
 渋谷、南平台、RINGS本社へ。
 『格闘伝説』誌、前田日明の対談相手として。

 初めて訪れる、RINGS本社に、背広、ネクタイで正装していった。
 
 山本と成瀬も、そして田村も退団。
 WOWOWとの契約も見直されたとのこと。
 そして、さまざまなプライベートの騒動。

 この時期、あの前田日明と対談するのは、
 前田日明のメンタリティーを知るものであれば、
 誰でも躊躇するものである。

 昔の俺だったら、いらぬ杞憂で、しばらく悩んだことだろう。
 だが、今の俺は違う。
 今こそ、前田日明の声を直接聞くべき時ではないか。
 
 今や、敬虔な猪木教徒である、俺であるが、  
 今なお、熱烈な前田信者である。
 その点に曇りはない。
 そして、案の定、前田日明は、前田日明だった。

 


  「プロジェクトX」の話から2時間、
  ノンストップ・トーク。
  俺たちが、聞いてないことまで、答えてしまう、
  フランク過ぎるところが、前田日明だ。

 

 前田日明が問い掛けるものは何だ?

 対談の途中、おもむろに前田日明が語った。

 今の若い奴に聞いてみたい。
  お前は誰だ?
  お前の親はどんな人間だ?
  お前は誰の子供だ?
  お前は何処で生まれた?
  お前に友達はいるか?
  お前は、その友達を信頼できるのか?
  お前は、その友達に信頼されているのか?
  お前の仕事は何だ?
  お前は今、何をやりたい?
  お前は将来どうなりたい?
  お前は、この質問に答えらるか?
  お前はこれを周りの人に言えるのか?
 

 前田日明に魅せられて、集いながらも、
 前田日明の下を去る人は確かに少なくないだろう。

 しかし、観客の俺たちは、前田日明の心のなかでの兵隊だ。
 将軍の窮地の この期にこそ、
 私を棄てて 前田日明のために役に立ちたい。

 
 前田日明が直接目を通す、愛のある目安箱のようなものを出来ないか?
 今、ホームページ上にある以上のものを。

 待ち時間、富ヶ谷、こうじんクリニック。
 プラセンタ点滴。  
 なんと3日前に 猪木さんが来訪されたとのこと。
 ちょっと興奮。福崎会長にご挨拶。

 越智先生の心霊体験話。
 
 西麻布『宴』へ。
 TBS『クローン・キッド』スタッフ・ミーティング。
 酒の席に無粋だとは、自分でも思うのだが、
 俺、大演説。

 中学時代の同級生より、手紙。
 『お笑い男の星座』の書評が入っていた。

 彼は、官僚であり、歴史研究家でもある。
 いったい、どういう読みかたをしたら、
 あの本を、こんなにも、謳いあげることが出来るのか?
 とは、思うのだが、 オモロなので紹介。

 

 「お笑い男の星座」は現代の「史記」である。

 浅草キッドの「お笑いのための文章」で最も感服する点は、
 オチを導くまでの間に延々と、
 「掛け言葉・縁語」をつなぎ合わせていく技法である。
 この技法は、漫才台本以上に
 東スポ連載の「捨て看板ニュース」で顕著だが、
 この技が如何に面倒かは年に数件替え歌の戯作を作る筆者にも、
 容易に想像が付く。

 作者サイドは文末のオチを見定めながら、
 そこまで流していく過程で
 あらゆる「掛け言葉・縁語」を駆使していく。
 文書を初見する読者には、
 言葉が奔流の如く流れるように見えるが、
 実はその流れ行く先は予定調和により定まっている。
 作品はさながら一つの宇宙であり、
 作者は神として宇宙の全てを調和させなければならない。
 常に「創造主」としての苦労を背負わされているのである。

 ただ、「掛け言葉・縁語」を並べて
 宇宙を創る作業を日々続けるのは、途方もないストレスである。
 言葉は奔放に見えるが、使えるパターンには限度がある。
 言葉の使い方はパターン化していつしか精神にも垢が溜まってくる。
 たまに新しい言葉を「掘り当てる」喜びもあるが、
 締め切りに追われるプロには喜びよりも、
 溜まる「精神の垢」のダメージの方が大きかろう。

 そして、知識が溜まることも「お笑い」には実に有害である。
 知り過ぎていることは笑いの対象にできない。
 対象の構造をいじれなくなるからだ。
 素人は無知だから何でも言えるが、
 「素人」にしか言えない「飛び抜けた」ネタはプロにはできない。

 筆者の経験だが、
 昔、国会でPKO法案を巡って「牛歩戦術」をやっていたころ、
 「横山ノックがタコ踊りをしながら歩いていた」
 という素人ネタがあった。
 しかし、国会を少しでも知っている人間にはこれは書けない。
 ノックが法案に「賛成」の側で、
 牛歩などしないことを知っているからだ。
 「ノック → 牛歩 → タコ踊り」という言葉の流れは、
 最初で切れているからこうしたネタはできない。
 一つ知識が増えれば、
 おそらくそれ以上の数の言葉の回路が断ち切られるだろう。

 これは一例だが、さように知識はギャグの「敵」である。
 殊に、「掛け言葉・縁語」を連ねていく場合は
 「不純物」は排除せねばならず、
 「知識」がこれに拍車をかけると、語彙はますます不自由になり、
 結局手垢まみれの言葉を使わざるを得ない。
 これは読者に安定した笑いを与えるが、
 一方ではオチヘの予断も容易に与えてしまう。
 かといって突飛な形で裏をかくことは、
 完全無欠な宇宙の破壊になってしまうからできない。

 
キッドが、こうした言葉を集めて張り付けていく日々の作業に、
 何となく嫌悪感・倦怠感を持って居るであろうことは想像に難くない。
 そしてこれは「プロ」であり続ける限り続くであろう。
 筆者はまず、それでもプロとして
 飽くなき言葉探し・張り付けを続けていく、
 キッドに敬意を表する。

 ただ、「お笑い男の星座」には、
 こういった倦怠・不快が透けて見えない。
 これが本書を引きつけるものにしている理由であろう。
 無論、キッドが本書でいつもの
 「掛け言葉・縁語」のマジックをやっていない訳ではない。
 プロレスを語る部分では余り見あたらないが、
 水野晴郎編などでは、
 「ホモ」に関わる掛け言葉・縁語を無数に散りばめて、
 達者なところを見せている。

 本書でキッドの倦怠・不快が見えてこない理由は、
 「元ネタがしっかりしている」ためだろう。
 予め語る内容・枠が決まっていれば、
 それ自体をいじることはできない。
 あとはその内容をどう料理していくかということで、
 語り口も制限される。

 キッドは本書では
 「宇宙を創る」のではなく「宇宙を語ろう」としており、
 「素材の味わい」を生かすものとなっている。
 そうして見ると「お笑い男の星座」という題は意味深長である。
 普段は小なりといえども「宇宙」を創っているキッドが、
 今度は既存の宇宙の「星」を語ろうというのだから。
 自ら言葉の排列に苦労することなく、
 他人の言葉の排列を語るところにキッドの気楽さがある。

 しかし、既存の宇宙の「星」を語る場合、別の苦労がある。
 ひとつはどの星を選ぶか、
 もう一つはどの角度から星を語るかということだ。
 物理学者はそれを「法則」と呼び、
 歴史学者はそれを「名分」という。

 水道橋博士は少年時代は歴史小説を結構読んでいた。
 同じような趣味だった筆者はそれが長じて素人ながら
 「歴史学者」の末端に連なった。
 末端に連なるとこの「名分」というやつが大変面倒なのに気付く。
 キッドの本書での「名分」はぼんやりとした言い方ですれば
 「戦士への共感」であろう。
 
 その戦いがモンキー・ビジネスであろうが、聖戦であろうが、
 場に立って五感・第六感を使い、最後は神に祈る。
 それが戦士である。戦士は畏れを知っている。
 戦士同士の見分け方、
 特に一流か否かのメルクマールはこの「畏れ」である。
 「畏れ」が先に立っているうちは一流にはなれないし、
 「畏れ」がないやつは超一流にはなれない。
 この分水嶺は何とも分からないが、この世界にいる限りは分かる。
 それが「匂い」というものだろう。
 
 閑話休題、本書には、
 「一等星」から「六等星」まであらゆる星が並んでいる。
 星屑も混じっている。
 しかし、六等星にせよ「自ら光る」ものは
 衛星・隕石の類とはゼロと一の程の差がある。
 本書は、「自ら光る」ものを選び、その基準から排列している。
 そして、星を語る者は「自ら光る」ものと
 「他に照らされているもの」を、
 粛然と分けなければいけないという「名分論」に支配される。
 この二つの差を知っている限り、
 例え六等星であっても「嗤って」はいけない。
 これが「畏れ」とである。

 しかし、キッドは「嗤ってはいけない」ということを知りつつ
 敢えて「嗤って」見せる。
 これが自分の「モンキー・ビジネス」であるという自覚によるが、
 それ以上に自分も又六等星かもしれないが、
 「自ら光る」ものであるとの自負があるからである。


 
そして、自らが「嗤われてよし」とする覚悟もある。
 自負と覚悟が底流としてあるからこそ、
 本書の格調は格段に高まっている。

 本書に出てくる星々の排列は列伝形式である。
 「列伝」と言えば歴史を多少齧った人間に直ぐ思い浮かぶのが、
 前漢の司馬遷が記した「史記」の「列伝」であろう。
 ただ、筆者が本書を「史記」と比すべきと思った理由は、
 単に列伝形式を採用しているからだけではない。
 歴史学の上でしばしば見られる
 「『創話』が『史 実』になる瞬間」の原型が正に本書にあるからだ。
 「事実は一つ」という言葉が特に刑事訴訟の世界において語られるが、
 こんな「事実」こそ何処にもない。
 事実は人の数だけある。
 そして「事実」は媒介者を通じて加工・発展・歪曲され、
 やがて結実して「真実」となる。
 東洋最古の史書の「史記」の記載で「史実」とされていることすら、
 そうした過程を辿ってきたということを、
 支那学の泰斗・故宮崎市定博士は
 「『史記』を語る」の中で述べている。
 それによれば、史記列伝に出てくる逸話のいくつかは、
 当時の都市の広場で行われていた芝居や漫談のネタを、
 そのまま拾ってきたものだというのだ。
 そして、そうして拾われたネタが「史記」に排列された後、
 幾百年を経て「定説」と化し、
 「歴史的事実」として揺るぎなくなっているのだ。

 そうした目で本書を見渡せば、
 キッドが五感を通して得た星々の「事実」が、
 随分「加工・発展・歪曲」されているなと
 多くの人は漠然と受け取るだろう。
 だが、ここで大切なのは、
 その事実が「真実」に昇華し得るかということである。
 その点において、本書の鮮やかな語り口は、
 事実を「真実」に昇華させ得る説得力を持っている。
 この点が、本書がいずれは芸能界の
 「史記」たり得ようと筆者が感じた理由である。

 二昔前の「ビートたけしのオールナイトニッポン」の
 村田英雄コーナーで披露された、
 いくつかの「創話」が、真実として一人歩きしたことがあった。
 本書はそれを活字媒体によりより大々的に行っているということで、
 遥かに「歴史」に残る所為となっている。
 このように歴史を「創る」という点においても、
 本書は「史記」に比肩し得る内容なのであり、
 その形式ともあいまって作者は
 本書を現代の「史記」と評するのである。
 「史記」の列伝は文庫で5冊分ある。
 本書の末尾にも「第1部 完」とあることから、
 「第2部」が当然想定されているのだろう。
 続編が待望されるものである。

                 平成13年6月6日 久保田正志


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