5月1日  金曜日

9時起床。
アサイー』ジュース作り。

12時、TBSラジオ入り。

町山智浩さんのインフルエンザは、
新型ではなく、従来型のインフルエンザと判明。
もし、新型なら、引く手あまたであった。

13時、『小島慶子 キラ☆キラ』生放送。

本番前、何気ない子育て話。
今、まさに幼児を育てる気苦労と不安。
今の俺には親身にわかる。
小島さんの目、キラキラ。
働く母の顔――。

メール募集テーマは、「あだ名列伝」

ペラペラもテーマに即して、
「芸能人のニックネームの由来」

ジャパネットたかたの通販コーナー。
毎回、かなりの激安価格なのだが、
今回のロイヤルゼリー、思わず俺も購入。

町山智浩さん、高熱でフラフラになりながら、
オリバー・ストーンのインタビューの話。
新作のブッシュじゃなくて、
次回作のチャベスの話になるかと、
と思っていたが……。

終了後、移動。

16時半、全日空ホテルにて、
『博士の異常な鼎談』打ち合わせ。

ロビーには佐藤優氏や、宮崎学氏など。
宮崎さんと、談笑。
次回は、ジャーナリストの松田賢弥さんをゲストに迎える。

帰宅。

ガンビーノ小林、U字工事の二人と食事会。

U字工事が売れっ子で、なかなか実現しなかったが、
小林の仕切りで今日に。

ガンビーノ小林も、
ここのところ、俺たちとの絡みが増えた。
チャンネル北野の特番2本、
『週刊新潮』での芸名対談など、
打順でも大抜擢している、
こちらの、期待以上の活躍をしてくれている。

殿話では、今、軍団内の第一人者だ。
不良エピソードも、まだ無尽蔵にあり。

なんとか、この能力を売りだせないか?
一度、じっくり話をする機会を設けようと、
約束したところだった。

19時、我が家集合。
タケシ、フミちゃんと面会。
フミちゃんがU字工事になついた様子。

『肴や 小兵衛』へ。
小林とU字工事の二人は、
売れない頃から兄貴会という飲み仲間。
長いつきあいになっている。

主に、俺とガンビーノの芸人話を、
U字工事の二人が聞いている構図だが、
とにかく、『浅草お兄さん会』出身者で、
この大ブレークは、俺たちも仲間も嬉しいものだ。

美味い酒の肴、和やかな話。

結局、5時間以上呑んでいた。


《 国内初感染?17歳男子高生 隔離女性は感染していなかった 》
《 横浜市長、神奈川県松沢知事は舛添厚労相“勇み足”を批判 》
《 「事実を認め反省」草なぎ剛は起訴猶予処分 》
《 永作博美 映像作家。内藤まろ氏(39)と結婚 》




5月2日  土曜日

8時起床。
二日酔い。かなり深刻。
もう深酒は止めようと、本気で思う。

GW、俺も休みが続いているのだが、
最初は、潮干狩りを予定したが、
調べてみれば、潮目が悪くて断念。
しかし、遠出は、伝えられる渋滞を考えれば、
気が引ける。

結局、子供二人を自転車に載せて、
いつもの善福寺川緑地公園へ。

しかし、前の駕籠に、フミ、後ろにタケシ、
3人で話をしながら、
無心で自転車を漕いでいると、
一瞬、宙を浮かんでいるような、
それはもう至福な気分。

釣り堀『武蔵野園』へ到着。
通り過ぎるのは、何度もあるが、
目的地にここへ来るのは初めて。

早速、竹竿に練り餌で糸を垂れる。

3度、大きめの鮒を釣りあげ、
タケシも手にその当たりの感触を楽しむ。
フミも様子を見ながら楽しそう。

自転車移動。
善福寺川公園内の杉並児童交通公園へ。
タケシは一人で自転車に。
俺はフミと一緒にカートに乗る。

帰宅後、松田賢弥、雑誌連載、資料読み。

HDDチェック。
『ワンダー×ワンダー』(結晶洞窟、凄い)
『ニュースキャスター』

インフルエンザの話題もりきりのなか、
殿、第一声。
「結核の死者数は、一日5千人。
 日本の自殺者は、1日100人を超える」

と殿が言えば、改めて、アナウンス効果大。

番組最後に、忌野清志郎死去の報。


聴いている音楽、ミュージシャンの話は、
この日記にあまり書いていない。
が、それでも、RC、清志郎の話は、なんどか書いている。

俺の世代では、矢沢永吉の影響を語る人は多いが、
俺の場合、永ちゃんに人生を左右されるような影響は、
ほとんど受けていない。
しかし、清志郎には、本当にお世話になった。

初めて清志郎を意識したのは、高校生の頃。
林義夫のパック・イン・ミュージック、
ユア・ヒットしないパレードのベスト10で、
ずっと一位をキープした曲、「雨あがりの夜空に」だった。

その後、新譜も、旧譜も買い揃えるようになった。

高3の時、クラスで演奏会が企画され、
クラスの中の、いけてないグループは、
そのなかでも、最もいけてなかった俺の提案で、
『トランジスタラジオ』を演奏した。

俺は、そのとき、もちろん、ボーカルでもなく、
しかも、楽器は何も出来ず、
パーカッションもどきをしていたが……。
真っ暗闇の高校生時代で、
少しだけ陽が差していた時間だった。

あの歌詞を聴くたび、
時々、思い出しては、泣きそうになる。

高校時代に、『シングルマン』、『EPLP』
を何度、聴いたかわからない。

『君が僕を知っている』、『わかってもらえるさ』は、
歳を経ても、その頃の想いが、
沁み入るように蘇り、切なくなる。

そう言えば、芸人になる前に、
岡山から九州まで車に乗って旅行した。
車中泊であったが、
カーステレオで、『スローバラード』をいつもかけていた。
特に広島球場の駐車場で聴いていた、
スローバラードは忘れ難い。
とは言え、あの子と手を繋いでいたわけではなく、
ボンクラ仲間と男二人きりだった。

あの頃は、悪い予感のかけらしかなかった。

その後、『!』(アイオー)という映画の主題歌で
スローバラードが使われるのを聞いて、
なんとももったいない、と思ってしまった。

4年も続いた、ワイシャツ屋のバイト時代、
来る日も、来る日も、
「いいことばかりはありゃしない」
が流れ続けていた。


そう言えば、早坂好恵ちゃんの誕生日に6枚組の
ベストアルバム『コンプリートBOX』をプレゼントしたことも
あったなぁ。

思いだした、
RC解散後に清志郎とチャボが共演した日比谷野音、
ワンナイトライブ、その日、俺は、ニッポン放送で
『奇跡を呼ぶラジオ』の生放送があったが、
ずっと野音の横に車を止めて、本番前まで聴いていた。

確か、ラジオの最終回に『BLUE』の中から曲をかけた。

芸人になってから、
自分が清志郎ファンであることを広言しなくなった。
音楽を軽々しく、好きって言えなくなった。
何故なら、俺より、ずっと清志郎のことを熱烈に好きな人が
たくさんいるのだから。(例えば、原タコヤキ君とか……)

なにしろ、俺は、ビートたけしという、
世界で一番好きな人の弟子になれたのだから、
僕の好きなミュージシャンとか、僕の好きな芸人とか、
名前をあげるのを控えるようにしていたのだ。

それでも、神様は機会を与えてくれる。

1998年6月には、
『ビートニクラジオ』で、
殿と清志郎と共に同じ時間を過ごした。
殿と、清志郎が、すごろくゲームでトークした。

当時の日記には−。

 嗚呼、清志郎様って…会えるだけでも
 失神してもイイくらいの、
 俺にとっての憧れのロックスターでありながら、
 想いも伝えられず。そういうものだ。

と書いている。舞い上がっていた。

そして、2002年9月には、
渋谷『ON AIR WEST』で、
『TV Bros』15周年記念ライブで、共演した。
ロマンポルシェ、清水ミチコさんと一緒だった。

当時の日記には……。

 清志郎と同じステージに立つた。
 なんと光栄なことか。
 眩しく見つめてしまう。
 清志郎さん、自転車にて来場。
 すっかり、ポルちゃんやめて、自転車マニアなのだ。

清志郎は、「セムシーズ」を名乗り、
覆面スタイルで演奏した。

舞台袖でお話したが、
ロックスターのオーラのようなものを消し、
威圧感が無いのには驚いた。

ステージとはまるで違う印象だったのだ。

青春時代、これから生き続けると思うことすら、
しんどい暗闇のなかにいた。
でも、サンボマスター山口くん風に言えば、
清志郎は、そんな俺の"夜にしのびこみ"
まるで俺一人のためだけに、やさしく歌ってくれている
とまで錯覚させた、偉大なるバンドマンだったのだ。

小さな声でしか言えないけど、
ホントにホントにホントに、いてくれてありがとう。

《 忌野清志郎さん(58)、がん性リンパ管症のため死去 》
《 大泉洋 フジテレビプロデューサーと結婚 》
《 新型インフル隣国へ 韓国で感染初確認 》




5月3日  日曜日

9時起床。
『アサイー』ジュース作り。

GW中は、家族で外出も、いろいろ、計画していたが、
新型インフルエンザや、渋滞情報を見て、
しかも、腰の具合も悪いので、取りやめ。

松田賢弥氏が連載する『週刊現代』の資料読み。
実に、昨年10月から、なんと24週に渡って、
反・小沢一郎キャンペーンを張っていたのだなぁ。

予定した、家族旅行の代わりに、
新宿のビックカメラへ。
カミさんの欲しい家電リクエストにお答えする企画に。

デパ地下食。たんまり。

夜、WOWOWでボクシング、
マニー・パッキャオの試合を。
ラスベガスにてリッキー・ハットンと対戦。

1R、2度のダウンを奪う。
2R、左、一発で相手が失神、完全KO勝ち。

もともと、フライ級の世界チャンピオン。
フライから数えると8階級上の
Sライトの選手を相手を一方的なKО。

今や、イチローに匹敵するほどのアジアの英雄だ。

《 忌野清志郎さん通夜…三浦友和、井上陽水ら最後の別れ 》
《 卓球・世界選手権、男子複12年ぶり!岸川、水谷組メダル!石川佳純は逃す 》
《 ボクシング・ベガス震撼!アジアの英雄・パッキャオが12億円KOショー 》
《 メッツの高橋建投手が日本選手最年長となる40歳と16日でメジャーデビュー 》
《 楽天5連勝 貯金は球団史上最多の7に 》




5月4日  月曜日

9時起床。

タケシと一緒に、
DS『にほんごであそぼ』。これは面白い。


『西松屋』で赤ん坊用品買い物。

青梅街道沿いの『とんでん』で食事。
ファミリーレストラン形式だが、
パーティションのある個室があり、
0歳児、2歳児、5歳児がいる、
我が家としてはホッとして食事が出来る。


『はじめの一歩』35話から再開。
タケシのトレーニングにも刺激に。

今、タケシは、なんでなんで?の質問魔。
輸入って何?って話から、延々と話は続き。
ルパン3世って何人?話などに、一問一答。

《 忌野清志郎さん葬儀「雨上がりの夜空に」でお別れ 》
《 新型インフル20カ国・地域で感染者1000人超 》
《 「都議選より衆院選」麻生首相7月総選挙も 》
《 巨人戦11連敗で止まった!阪神が6―0で快勝 》
《 日本人男性シャンソン歌手1号…高英男さん死去 》



5月5日  火曜日

9時起床。
昨日の禁酒、効果あり。
体、楽になる。

子供の日、アキラは初節句。
ずっと気に病んでいた、湿疹。
昨日あたりから、治りが顕著になり、
顔が白くなる。なによりだ。

母が送ってくれた、
兜の掛け軸を飾ってお祝い。

腰痛、ぶり返したのは、雨模様のせいか。

『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)
再読。

著者は、取材拒否にあった小沢一郎とは直接やりとりはないが、
野中広務とは、何度も、顔を突き合わせて、言葉を交わす。

胸襟を開いて、会話しながらも、
オフレコ話を書いてしまう、著者。
(当然だ、記者クラブの一員ではなく、
 スクープを一本釣りするフリーの雑誌記者なのだから)

政局の窮地や、世間のバッシングだけでなく、
ジャーナリスト達の、略歴の検証にも、
傷づけられた野中は、過去、何度も「辞めたい」を口にする。

そして、ある日の二人の会話。

「野中さんは、私を言論人と言うが、その器ではない。
 辞めたいと思うことが何度かある」
「俺もお前も、嫌だ、辞めたいと思いながら辞められないんだ。
 同じことだ」

この個所がグッとくる。

『朝まで生テレビ』4月放送の「どうなる小沢・民主党」
3時間分を丹念に見る。


18時、芝浦のスタジオ入り。
博士の異常な鼎談』収録。
宮崎哲弥、一緒。

ゲストは、ジャーナリストの松田賢弥さん。
テレビ出演は3度目とか。

確かに、これほど、雑誌で
気鋭なルポライターとして名が知られながら、
顔と名前が一致しない人はいない、
ネットで検索しても、(1954年 岩手県・北上市生まれ)以外は、
経歴すら出てこない。

後は、著書リストだけだ。
 
<1994年>
「初めて書かれた小沢一郎『裸の履歴書』」を連載。
* ゼネコンからの献金疑惑などを追及。
* 以後今日に至るまで『週刊現代』は
  小沢氏の会見・取材など全て出入り禁止となる。

<1999年>
「『日本の最高実力者』野中広務の正体を暴く!」を連載。
* 自自公連立の誕生や"加藤の乱"鎮圧の裏側など
  キングメーカー野中の暗躍を説いた。
* 連載に書き下ろしを加えた
  『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』を03年に上梓。

<2000年>
* 小渕首相(当時)の秘書らがNTTドコモの未公開株で
  巨額の利益を上げた疑惑を追及。

<2006年>
『月刊現代』で「逆臣―青木幹雄と平成研のタブー」を連載。
* 参議院のドン・青木氏の権力への執着欲を暴く。

<2007年>
* 事務所費問題のスクープで赤木農水相(当時)を更迭に追い込む。

<2008年>
「小沢一郎の金脈を撃つ」を連載。
* 民主党・小沢代表の政治資金や資産の問題を追及


トップ屋の凄み、漂わせ、「雑誌ジャーナリズム」の衰退、
取材の裏側などを聞きながら、タイムアップ。


帰宅後、子供たちと、じっくり遊ぼうと思っていたら、
川の字になって、スヤスヤ寝ていた。

幼児には、こどもの日も関係ないもんな。

《 Uターンラッシュ 前に進まぬ高速道路 》
《 感染国行ってないのに…都内で92件確認 病院が発熱の診察拒否 》
《 野球・横浜の工藤が46歳誕生日にピシャリ!最年長ホールド 》
《 琴欧洲が日本人女性との婚約発表、欧州出身初親方も 》
《 さんま&しのぶ“癒やし系長女”IMALUが女優デビュー 》


 

読み逃げ厳禁! 読んだら 感想メール を送りなさい! 目次に戻る