「スネークピット・ジャパン(蛇の穴)」について

博士の練習風景

ビル・ロビンソン先生と

PRIDE.90に参戦へ
 この日記を読む女性やプロレス・格闘技に門外漢には、
 この「スネークビット・ジャパン」というジムが
 そもそも何なのか、さっぱり分からないとメールもらう。確かに。
 常日頃、俺だけが分かるようなことは書かないよう
 心掛けているつもりなのだが…。
 蛇の道は蛇。詳しく説明しておこう。
 


 U.W.F.スネークピット・ジャパン 電話03-3337-1889

 1999年4月、東京都杉並区、高円寺、環状7号線沿いに、
 元UWFインターのレスラーで「Uインターの頭脳」と呼ばれた、
 宮戸優光(63年生)が設立したシュートレスラー養成機関。
 及び、年齢・男女を問わず一般に開放されたスポーツ格闘技ジム。

 その理念は、かつて英国はマンチェスターに実在し、
 カール・ゴッチをはじめ、
 数々の名レスラーを輩出したビリー・ライレージム、
 通称・スネークピット(蛇の穴)に倣うものである。
 ちなみに、劇画タイガーマスクの「虎の穴」とは、
 この「蛇の穴」のもじりである。

 ヘッドコーチは伝説のプロレスラー・ビル・ロビンソン。
 ロビンソンは日本、しかもジムの傍の高円寺に定住して、
 レスリングの基礎と言われる
 「ランカシャー・レスリング」のスタイルを基に、自ら指導。
 自身が育った英国のスパルタ・レスリング道場
 「ヘビの穴」の再興を目指す。

 ■ キックボクシングも習える

 また組技・レスリング以外にも、
 立ち技・キックボクシングコースも併設。
 元UWFインター立ち技部門に所属し、
 元シュートボクシングカーディナル級王者、
 元キックISKAライトウェルター級王者の大江 慎が指導。

 昼間は、キックのチャンピオンクラスの練習と共に
 ジム生が個々に自主練習を行い、
 夜は、19時より、
 曜日ごとに各種コースによる、合同練習が行われている。

 初心者には通常はキックやパンチ等の打撃動作や、
 組技、防御体制などをコースで教示。
 特に難しいことはなく、
 体操を覚えるような感覚で反復習得を心掛けている。


 ■ 伝説のレスラー ビル・ロビンソン

 鉄人ルー・テーズ、神様カール・ゴッチと共に 
 世界を代表するレスラー。

 1939年9月18日英国マンチェスター生まれ。
 54年ビリー・ライレー・ジムに入門、
 59年アマレスデビュー。1963年6月にプロレス入り。
 英国、欧州マットを制覇して68年4月に国際プロレスに初来日。

 傑出した技術をもつ、正統派のテクニシャンとして、
 当時としては珍しい外国人エースとして絶大な人気を誇る。
 日本で初代IWA世界ヘビー級王者となり
 ダブルアームスープレックスを必殺技に
 世界中の幾多のタイトルを手にし、
 「人間風車」の異名をとる。

 特に新日本の“燃える闘魂”アントニオ猪木との名勝負は名高い。
 85年の引退後も、なお伝説のレスラーと
 世界中のファンに崇められる。
 99年よりU.W.F.スネークピットジャパンの
 ヘッドコーチに招聘され来日。

 以下は専門的になるので、興味の無い人は飛ばしてくれ。

 ■ ランカシャーレスリングの起源

 イギリスで生まれたレスリングスタイルが
 「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイル」である。
 グレコローマン・スタイルが
 上半身のみの攻撃しか許されていなかったのに比べ、
 「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」は、
 全身どこを攻めてもよく、関節技も行われた。
 
 この「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」を安全にし
 (=関節技を禁止)、スポーツ化したのが、
 現在のフリースタイルレスリングである。

 ビリー・ライレージムの歴史

 蛇の穴、ビリー・ライレージム出身のレスラーとして有名なのは、
 「プロレスの神様」カール・ゴッチ、
 「人間風車」ビル・ロビンソン、
 「爆弾小僧」ダイナマイト・キッド。
 さらには、バート・アズラティ、ブルーノ・アーリントン、
 カール・クラウザー(カール・ゴッチではない)。

 ビリー・ライレージムは、1920年代初頭、
 イギリスのランカシャー地方のウイガンという町に
 ビリー・ライレーが建てたレスリングジムだ。
 当時、ウイガンは炭坑の町。

 坑夫達の娯楽と言えば「力くらべ」、
 すなわちランカシャーレスリング。
 そんな中で生まれ育った
 ビリー・ライレーのレスリング技術は抜群。

 噂を聞いてやって来る男達を、叩きのめし、
 それで得たお金で、母親に家をプレゼントし、
 さらにジムまで建てたしまった。
 それがビリー・ライレージムである。
 ジムの全盛期には、狭いジムに30人ほどのレスラーが出入りし、
 激しいトレーニングが行われていた。

 カール・ゴッチもそのうちのひとりである。
 初めてジムに来たゴッチは、
 1952年ヘルシンキオリンピックベルギー代表で銀メダルと、
 グレコローマンスタイルでの実績こそ輝かしいものがあったが、
 サブミッション(関節技)の技術を持っていなかった。
 その為ゴッチは、ライレージムの一番弟子である
 ビリー・ジョイス(1968年国際プロレスに来日)
 にろくに触れることもできずおもちゃの様にされた。
 ゴッチは衝撃を受け、ライレージム入門を決意した。
 ジムでどの様な練習をしていたのか?
 「シークレット」だったためその実体は知られていない。
 ライレージムのレスラーは、マットに倒されても
 すぐさま立ち上がり、攻撃を仕かけてるしつこさい、
 いつしか「ライレージムの奴等は蛇のようだ」
 と言われるようになる。

 炭鉱の町ウイガンは
 町中至る所にPIT(炭坑の穴)があることから、
 ライレージムは別名「SNAKE・PIT」(蛇の穴)と
 呼ばれる様になった。

 ライレージムの衰退の始まりは
 トレーニング器具の揃ったボディビルジムの浸透、
 テレビ放映で黄金期を迎えたため、レスラー達が巡業に行き、
 ライレージムで練習する事が少なくなったこと、
 時代と共に様々な娯楽が増えはじめ、
 若者もレスリングから離れていったことである。
 1982年ビリー・ライレーの死。
 50年以上もの長期にわたって活動してきたライレージムは
 魂が抜け廃虚と化してしまった。
 さらに1989年春、放火によってライレージムは全焼した。
 1979年カルガリー経由で初来日した
 ダイナマイト・キッドは末期の練習生だ。

   U.W.F. スネークピットジャパン
 東京都杉並区高円寺北2-15-1-2F(JR高円寺駅から徒歩5〜7分)
 Tel:03-3337-1889

 

 

 

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