浅草キッドが語る 「浅草フランス座」修行時代

『キネマ旬報』 2006年10月特別上旬号 No.1468号

ビートたけしの軌跡に憧れて

博士 浅草フランス座での修業は、
当時、たけし軍団の恒例ではあったんだよな。
かの昔、劇場主の岡山社長がたけしさんと昔コンビを組んでいたこともあって、
そのまんま東さんとか松尾伴内さんとか、
とにかく、ずっと、たけし軍団が送り込まれてきた。
僕らが軍団に入った時期、ちょうど劇場で人手が足りないんで
「二人欲しい」と言われてた。

玉袋 俺達の軍団の同期が5人、
殿から「行きたいヤツいるか」って聞かれて、
俺と博士だけだと思っていたら全員が手を上げた。
フランス座が何たるかを知らないヤツもみんな。

博士 当時たけしさんの人気は絶頂。
おかげで、たけし軍団まで雑誌のカラーグラビアまで飾ってた。
だから、俺たちは
「このままたけし軍団の下っ端にいてもどうにもならない」と…。

玉袋 軍団だけで、既にキャラクターは十分足りていた、
バカ、チビ、デブ、ハゲ……。
俺らはキャラクターもない芸もないって。

博士 たけしさんの軌跡をたどって行きたい気持ちも、俺は強かった。
たけしさんは
「小林信彦さんが書いた『日本の喜劇人』を読んでフランス座に行った」
って話しているのを、弟子入りしてから聞いたんだよね。
その声に押されて俺もフランス座に行ったようなもん。
そして、貧乏志願というのも非常にあった。

玉袋 時は1986年、バブル絶頂期。
時代の逆目をはりたかったんだよね。
俺も高校卒業したところだったけど、
同級生は卒業式にはベンツやソアラがいっぱい乗り付けてた。
そんな時代。

博士 で、実際に浅草に来てみると……。
これだけ取り残された街があるのか、と。
だって、何人も道ばたに行き倒れてんだもん。
それに、ひさご通りがショックだった。
あそこの立ちんぼ見たときに、
「あれを買う人がいるのか」って……すっごい驚いた。
衝撃。今行っても驚くよ。
60歳過ぎのリビングデッドのような婆さんが立っているんだ……。

玉袋 夕涼みしてんのかなと思ったんだよ、
団扇であおいでいて。
そしたら明け方までいるの、なんてこと無い、客とってるんだよ。

博士 俺、歌舞伎町でバイトしてたから、
大沢在昌の『新宿鮫』チックな「悪い場所」には慣れてたけど、
ここまで人間の終着駅な感じはあり得なかった。

玉袋 俺は幼稚園のころ、よくおばあちゃんに花屋敷へ連れてってもらってた。
ディズニーランドもない時代だったからね。
その頃は、まだ賑わってたような。
それに高校時代は浅草東宝に通って、
大好きなクレイジーキャッツ特集をオールナイトで見てた。
朝になって宿泊目的のお客さんが外に出て
仲見世通りをゾロゾロと歩いている光景はまるで「ゾンビ」!。

博士 「異人たちとの夏」で鶴太郎さんが歩いてる亡霊みたいだったな。
「今、1986年だろ?」って。
たけしさんが行ってた1973年頃と何ら変わんないじゃんか、と。
貧乏を望んでいったら、それ以下だった!

玉袋 フランス座の日給もたけしさんの20年前と変わってなかったんだよ。

博士 1日1000円で劇場8時間、
その後、社長の経営するスナック8時間手伝って、16時間労働、
時給にすると50円ちょっと。
ホントに「貧乏以下」に突入するんだよね。

玉袋 部屋なんかないから、もとからいる人が5人と新入り俺たち5人、
合計10人がそこここに住む。
ふとん部屋に照明室のらせん階段、夏は舞台で寝たり。

博士 どこでも、ところかわわず、ざこ寝。

玉袋 トイレでウンコしたときは涙が出てきた。
洋式に慣れていたから和式だったのよ。
その汚ねぇフランス座のトイレ。ほんっとにきったねえんだよ。
もうウンコに申し訳ない感じ。ウンコより汚い。

博士 劇場の社長は常に反動勢力を追い出したがっていて、
俺は民主化を掲げていたから(笑)。
社長にとって目の上のコブとなっていじめ抜かれてたなあ。
20年前の日記に、どれだけいじめられたか詳細に残っている。

玉袋 仕事は、踊り子さんのパンツ運びから照明係、
そしてコントまで、とにかく何でも屋。
友だちには「うらやましいよな、女のハダカばっかり見られて」って言われたけど、
「ぜんぜんうらやましくねえよっ!」って。

博士 年金もらってるような踊り子さんばっかり。
でも、玉袋は面白そうに照明当ててたよな。

玉袋 曲でライトを変えたり、時間計算したりするの面白かった。
劇場回しているような気がしてさ。


磨かれ時代

玉袋 肝心のフランス座のコントは、初めて見たとき、
「なんだこの時代遅れ」って思った。さびついて、ひどいったらない。

博士 朝と昼のコントは先輩たちが作ってやっているんだけど、
レベル低いんだよ。
客は5、6人、それも競馬の合間に来ている人たちだから、
彼らに合わせようとしていて。

玉袋 そう、だから「なんだ、この浅草」って思った。
ところが、夜は、はとバスのコースのひとつに入っていて、
それが見せ場なんだけど、これがチビっちまうくらい面白い!

博士 フランス座の伝来のコントなんだけど、これはすごい。
たけしさんの「フランス座伝説」は有名だけど、
俺らのときにも豊かな芸の伝承はやっぱり感じた。

玉袋 今でもあの衝撃は忘れないね。女国定忠次とか。
長谷川伸の原作を喜劇にしているんだけど、ホントよくできてた。

博士 当時の座長の岡山社長にはいじめ抜かれたけど、
芸は確かだったよ。
コント55号の師匠だった阿部昇二先生もいたね。もう老齢だったけど。

玉袋 そんなのを見ながら、俺らがコンビ組んで舞台に立ったのは、
フランス座修行から3カ月目経ってたかな。でも客受けは無反応。

博士 お客が2、3人だから、壁テニスやってるようなもんですよ。

玉袋 ウケてるんだかなんだかわかんない。反応ないし。
でも、つらくはないんだよね。
自分じゃ進歩はしてるんだって思いながらやってるから。
ある意味、得難い体験だね。

博士 でもそのうち、二人で
はとバスのお客さんの前でやれるくらいになってきた。
気持ちよかったな。
時事ネタを入れて、つかこうへいの影響があるネタなんかも作ってた。

玉袋 ただ、俺たち、浅草っていう場所で考えれば、
たぶん頭デッカチのネタやってたね。

博士 だけど、フランス座で、そのサバイバル感、
どん底の感じがすべてなのかもしれない。
「どこへ行ったって、ここよりは環境はマシだろ」っていう覚悟ができた。

玉袋 俺、洗濯物を干しながら、
屋上にいる看板書きのおじさんと話すのも好きだったんだ。
なんだろうなぁ、あのペンキの匂いとか。

博士 劇場の歴史の生き字引だったよな。
ずうっと一人で劇場の看板書いてる世捨て人みたいな匂いのある人。

玉袋 70歳近かったけど、腰は曲がってないし、話せば何か言ってくれる。
「やっぱり声が出てなきゃダメだよな」って俺たちが屋上で発声練習始めると、
ただ黙って聞いててね。

博士 その頃、呼び込みをやっただろう。

玉袋 そうそう、今度は「声を出すには呼び込みだ!」って勝手に思って、
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ようこそストリップ、ヌードの殿堂ッ!」
なんて吠えちゃって。そうしたら、社長にぶんなぐられた。
「バカヤロー、そんな大声出したら入りづらいだろっ。
ストリップなんてコッソリ入ってくるもんだよ」って(笑)

博士 死ぬほど大きな声でやってたもんな。
ああいう台詞を浴びせかけるのがおもしろかった。
「ヌードのお客さん入りました!」ってわざと叫んだり(笑)

玉袋 その頃から、俺は「フランス座、何年もいよう」っていう気になったよ。
それもやっぱり逆目だったんだろうな。
テレビ見ると、『オールナイトフジ』にはとんねるずや、
ちびっこギャングとか当時売り出しの芸人がテレビに出て好き勝手やっててさ、
「チェッ」なんて見ている。
だけどね、あれは自分にとって、何ともいえないいい時代だった。
他人から見たら「天国と地獄」だったかもしれないけど、
俺はこっちが天国だと思ってたから。

博士 地獄は地獄の面白さがあるって。


生きていくのはサバイバル

博士 消火栓を持ち出した風呂が最高だったよ。

玉袋 そうそう。夏場に銭湯代浮かそうとしてトイレで水浴びしてさ。

博士 それを屋上でやろうって持って上がって。
で、全員で水をかけあって。象だよ(笑)

玉袋 美しいねえ、若者がフリチンでさぁ。
あんときはなんか、背中に天使の羽根が見えたねえ。
ほんと、よかったよ。

博士 芸がナントカっていうより、集団生活がおもしろかった。
先輩たちがあいつを出し抜こうとか格が上とか、
渥美さん時代みたいに渥美さんが座長格とか、
そんなのはもう俺らの頃にはなかった。

玉袋 単なるサバイバル(笑)。

博士 偶然、劇場前でみのもんたさんにも会ったよな。
レギュラーがテレビ東京の『お好み演芸会』だけだった頃。
収録に来て演芸ホールの前に歩くときに、話をしていた。

玉袋 やさしかったよな。
「そうか、たけちゃんとこのヤツか。がんばれな」って。

博士 あのとき、俺たちには温かかった。

玉袋 たけしさんが来てくれたときも、かっこよかったよな。
「フランス座に預ける」っていう初日に、
社長に紹介するためにわざわざ来てくれたんだ。

博士 マネージャーも連れずにたった一人で、
ポルシェを国際通りに横づけして。

玉袋 「3年くらいはいろよ。それくらいいるといい芸人になるからよ」
、そう言い残して、帰って行ったっけ。

博士 住み込んでからも、木曜の夜の『オールナイトニッポン』のときは、
その後にたけし軍団がたけしさんの飲み屋に集合していたから、
フランス座の諸雑用から抜け出せた。
そこで、「社長に給料もらってないんですよ」ってたけしさんに言ったら
「何っ?」って。

玉袋 小遣いくれたね。「これで飯食え」って。
当時『風雲たけし城』って番組があって、
それのエキストラで行くと5000円もらえて、
帰りはそれで焼き肉行ったり。

博士 俺らにはめったにない"豪遊"。
普段は袋菓子とウーロン茶しか腹に入れてない。

玉袋 俺は3カ月で28キロ痩せたよ。
しかもダニに喰われていた。
だから、実家に帰ったとき、裸を見たお袋は
「やめて帰って来い」と泣いたね。

博士 俺の親も岡山から迎えにきたよ。
それこそ、「新興宗教から脱会させる」みたいに上京して。
「息子がストリップ小屋で働いている」ってのは、
保守的な家にしてみたら…。

玉袋 サーカスに売られたようなもんだね。

博士 親戚にはずっと「フランスに留学している」って言ってた。

玉袋 "フランス"までは合ってる(笑)。

博士 見るに見かねた踊り子さんたちが炊き出しやってくれたんだけど、
そのメニューが「すいとん」。

玉袋 「いつの時代かよ!」って感じ。
すいとんって、そのときに初めて食ったよなあ……。
当時、暇があると映画には行っていた。
浅草の興行街にあるパスを借りて無料で。

博士 「天空の城ラピュタ」も2人で劇場抜け出して見たなあ。
あと、トレイシー・ローズが愛染恭子とからむヤツね。

玉袋 2人で、映画館で思いっきり射精したよ!

博士 でも、あの頃一番堪えたのは、
お客がストリップを見ながらこいていった精液を掃除するとき。

玉袋 床を拭きながら、
「何やってんだろう、俺は」って、情けなかったなあ。

博士 どん底。俺は「堕ちてるなあ」って思った。

玉袋 堕ちてるよ。堕ち切ってますよ。
だから他の劇場で自分がコイたのが、なんとなく背徳感があったりしてね。


卒業後にその意味を思い知る

博士 フランス座を出ていく時はあっけなかった。

玉袋 入って7カ月、経営者が変わって。
折しもたけしさんがフライデー騒ぎで捕まった直後。
「お前らに戻る場所はない。勝手にしろって殿(ビートたけし)が言っている」
って、たけし軍団の先輩から言われて。どうしていいかわから無くなった。

博士 でも、それはあとでその先輩が嘘を言っていたことがわかったんだけどさ。
そこから、「俺たちがフランス座で得たもんが通じるのか」って試す時期ともなった。

玉袋 他に出るとこないんだから、仕方ない。
いろんなとこに殴り込みに行ったな。
ショーパブに客で入って、やおら「俺たちにやらせろ」って言いはなつ。
迷惑な客。

博士 当時、東京で一番活気があった若手ライブの
『ラママ』のコント大会にも行ったっけ。

玉袋 フランス座の客の前で7カ月やってきて、
いざ外の世界でウケるのかって不安で不安でね。

博士 しかもハゲツラ、ちょび髭の、コテコテの時代遅れのメークでね。

玉袋 他の芸人や、審査員にバレ無いように着こんで、
「つぎ、浅草キッド」って呼ばれたら、「エイっ」と浅草でやってた、
ベタベタのプロレスコントをやったら……。

博士 「コント赤信号」の渡辺(正行)さんが、大爆笑。

玉袋 絶賛してもらった。

博士 そのネタ見せ、下ネタは禁止だったけど、
浅草キッドだけは例外になった。"出が違う"って。
渡辺さんも渋谷のストリップ劇場出身だから、匂いがわかる。
市井に生きてきたヤツが作る、薄い下ネタと違う。

玉袋 「他のヤツはないけど、浅草キッドは匂いがある」とも言われた。
まだこんなヤツいたのか、って。
若い芸人はDCブランドのスーツでキメてる、
そこにイキナリこんな浅草の泥臭い男二人が出てくるんだから。

博士 それも必死でね。

玉袋 ああよかった、と思ったよ。
フランス座でジリジリしたことがどうにか実を結んだって。
迷いは消えてなかったけど、でもやってきたことは間違いなかったって思えた。
でも、劇場を出てからは、浅草に行くって言ったら、
回想ものの番組撮影くらいだね。

博士 5年前、篠崎誠監督の「浅草キッドの浅草キッド」の撮影でも行った。

玉袋 今は演芸場になったフランス座が、
撮影のために当時に忠実に舞台を作ってくれてた、
すごくそれがなつかしかったね。

博士 20年前のたけしさんの軌跡をなぞろうとフランス座に行った俺が、
その18年後に「ビートたけしを演じるため」にフランス座に……
そのプレッシャーとタイムトラベル感は、両方すごかった。

玉袋 短期間の撮影で、みんな住み込みで撮ってたから、
劇場に住み込んでたときみたいで。あの頃の気分を思い出したよ。

博士 もう、それくらいしか行かないかな、浅草には。
でも、たけしさんも永六輔さんも言ってるけど、
「浅草は人情があるって言うけど、
浅草の街や人たちを愛してるかって言うと全然そんなことない」。

玉袋 殿はよく、「俺は浅草、蹴っ飛ばして出てきたんだ」って言う。
俺たちも、名前に"浅草"って付いてるけど、
じゃあ今でも浅草に入り浸って、煮込み食って、
昔話してるかっていうと、全然やってない。
生活はしたが、戻る気はない街。世話になった女みたいな街なんだよ!

博士 "人情の街"ってのは一種の幻想だと思うな。
だけどそれだけ、独立したしっかりしている人がいるってことでもある。
職人さんとか。自己主張が強い人たちなのかも。

玉袋 たけし軍団の後輩の若手も、
浅草大勝館で大衆演劇の人と仲良くしてもらっているし、
ロック座の斉藤会長は「座頭市」のプロデューサーだし。
たけし門下の血は脈々と流れているのかもね。

博士 フランス座はたけしさんが修業し、巣立っていった誕生の地。
さらにその上をたどれば、渥美さん、井上ひさしさん、
萩本欽一さんたちを輩出した場所でもあり……。

玉袋 俺らも、ね。まあフランス座の系譜で言うと
最後の"透かしっ屁"浅草芸人って感じだけど。

博士 まぁ、偉大な先輩方に比べれば、俺らは、正当的じゃない。

玉袋 だけど今、もしも俺たちみたいなヤツが出てきたら俺も
「お前ら、匂いがある。待ってたぞ」って言うと思うな。

博士 芸人の底辺みたいなところに浸かって染み付いてから来る人間と、
そうじゃない人間……だね。
もっとも、今のテレビじゃその匂いがない芸人が受けてるから。
みんなデオドラントされていて、
俺らは染み付いた泥水を洗うのにたいへん(笑)。

玉袋 だけど、俺はフランス座に行かなきゃよかった、
なんてこと、夢にも思ったことないよ。

博士 俺もまったく思わない。
あそこに行ってなかったら、俺はきっと芸人を辞めていたな。
今の若手の貧乏自慢なんて、俺らのフランス座時代に比べたら、
「まいりました」だろ。

玉袋 「どうだ! ざまあみろっ」と思うくらいにね。

 

 

 

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