『百瀬博教の柳橋キッド』第13回 2003.6.23 放送

 文化放送 毎週月曜 深夜1:30〜 


オープニング


先週、先々週とアントニオ猪木さんをお迎えしましたが、
反響が多かったですね。



――そうですか。それはよかったです。


リスナーからのお手紙です。
最近毎朝電車でかわいい女の子をみかける。
お近づきになりたいが、どうやって
最初の一歩を踏み出せばいいでしょうか?
ちなみに僕のルックスは、
坂口征二の息子に似ていると母にいわれる。


――まあ、坂口征二の息子に似てるって言ってる野郎だから
ろくなもんじゃないんだよ。
僕は大学生時代からの付き合いで坂口のことも良く知ってるんですよ。
だから、坂口からすればあの息子っていうのは
ほんとに2枚目ですごいなーと思うんだけど、
似ているっていうのはそっからもうだめなんだよ。
誰にも似てない顔で、
女の子はお友達になってもらわないことにはだめなんだよ。

それでねー、えーっと、俺も市川高校っていうところに行ってた時に、
京成電車の真間駅っていうのにいつも通っててね、
そうすっと、同じ時間帯で電車は一緒じゃないんだけど
駅を降りてくる国府台女学校の女の子がいてね、
それで、きれいでいつも見てたんだけど、僕が毎朝見てるもんだから、
女の子も見られてうれしいので、ちらちら見たんですよ。

そんだからね、僕も、僕は勝手に思う人間だから、
ラブレターを書いて、で、待ち伏せして、その女の子に渡したら、
嫌がったんで、そいであの、胸のあいてるとこから
さっとラブレターを入れてね、戻ってきたら、
うち帰ったら国府台女学校の先生が来ましてね、
「手紙をお返しします」っていうことなんですよ。
「君の事はよくお風呂屋で会ってて、体の大きい人で、
 よく知ってるんだけど、彼女は高校1年生で派手なところはあるけど、
 まだ真面目な子なのでお付き合いできない。
 ってことで僕が一応断りにきました」いうことがあってね、
それを今これを聞いてね、
あーそれは僕が結局50年も前のことなんだけど、
おんなじことをしてるんだなーっていうね。
人間って進化しねーな、って。そういうことでね。

でも僕はね坂口征二の息子にも、そーですね、
ぶんぶく茶釜にも似てないんで、あのー、要するに、顔じゃないんですよ。
心と押しとですね、がしっかりしてないと、
この女の子はまーなかなかうまくいかないと思いますね。
ですから、自分が坂口征二の息子に似てる、って思ってれば、
彼女の方は松嶋奈々子に似てる、って思ってるので、坂口征二の息子の負け。
と、こういうかんじでですねー、
えー、この彼女とうまくいく、っていうのにはよっぽどに気を入れて、
やってかないとうまくいかない。

だからとにかくね、手紙を書いてね。
だってほら、メールの番号なんてわかんないじゃない。
そうでしょ? いきなり君を好きだー、って言ってもしょうがないし。
手紙で「僕は世界で一番君が美しいと思う」とか、
そういうことを書いたね、手紙を渡してみるっていうのがね、
ひとつの手じゃないかと思います。

それから後はね、彼女の反応を待つ。これしかないですね。


不良手帳

「ナンパ」
百瀬さんは、美人を見つけるスピードが
物凄く速いということなんですけど、秘訣はあるんでしょうか?



――いや、簡単ですね。ブスは目を伏せて歩いてる。ね。
美人は毅然として、誰かに見られようと思って歩いてる。
目線が合うのが早いんですよ。美人のほうが。
時々ブスで、自信のある女とも会いますけど、
でもそれはやっぱりいくら頑張ってもブスはブスなんで、
あのやっぱり美人のほうに目が行きますね。


じゃあ、目が合ったらどうなさるんですか?



――目が見た時に、向こうの目の動きで、
これは僕には興味がないな、あるな、
ってとこが向こうの黒目に映ってますよ。
オーディオメーターみたいのが。
パッパッパって、こういうふうに。かんじますねー。

犬だって向こうから歩いてきて、こいつは噛み付きそうな犬だな、
とか顎の下なでてやるとクンクンってやるな、
っていうのがわかるじゃない。それと同じですよ。


野生の感で見極めて、
それで、どうやって仲良くなるんですか?



――だから、要するに、パートナーのあなたに言っても、
あなたいつも疑いの目で見てるから。
だから、「藤木さんお食事行きましょう」って
今まで一回も言ったことないじゃない?


そうですねー。(笑)



――だからもっともっとさー、あなたのほうでシグナルをさー、
「百瀬さん好きよ」っていうのをばんばんって出してくださいよ。
したら俺の方でね、「おい、行こうか」ってかんじですよ。

必ず女の人はね、自分を見て、とか自分を誘って、
とかそういうサインを出しています。
だからそこを見ればいいだけですよ。


なかなか見つけられる人は少ないと思いますよ。



――いや、だからそれはもー、一生ね、
ハンチクな女を恋人にして死ぬしかないでしょうね。ほんとに。


見極め方、っていうのをみなさん知りたいと思うんですよね。


――だからやっぱりね、歩いてきた時からね、やっぱりかわいくしてますよ。
そのナンパされよう、って女の人は。ええ。
一生ナンパされない女っていうのは
ナンパされない体質っていうのがあるんだろうねえ。

だからやっぱりいい女だなー、っていう時は、
昨日もくやしかったんだけど、実はあの、K−1の谷川と二人でね、
六本木ヒルズのほうに行ったんだけど、
その時にねえ、すごいきれいなアベックが二人で歩道でキスしてたんですよ。
それは信号の、車止まってるときで、
この二人ってかっこいいなあーっと思ってね。
ほんと見ましたね。

普通はなんかもうね、猿に近い女とね、マントヒヒに近い男みたいのがね、
なんか、映画の見よう見まねでやってるけどね、それはもうほんとにねえ、
うちでやればいいことなんだけど、その二人だけは外でやってて。

なんかニューヨークで見たね、安西水丸と見た、
フルトンマーケットんとこで見たね、
二人のアベックみたいにきれいでしたね。すごい素晴らしかった。
特に女の人がきれいでしたね。


なかなか世の男性は
断られたらどうしようとか思って声がかけられないんですが。


――でもさ、断られるなんていうのはさあ、当たり前じゃない。
だって、僕なんてさ、天才的なナンパ師であってもだよ、
打率っていったらさあ、ほんとにあれですもん、1割2分3厘ぐらいですよ。


百瀬さんでもそうなんですか。



――そうですよ。
だから、100人に声かけて、
やっと10人が返事してくれるっていうかなあ、そのぐらいですよね。

だからよく野球って何割とかあるじゃないですか。
あれはもう1000本の中で、
300本打てるっていうのがすごいってわけだから。
で、後の700本は全部打てないわけだから。
ナンパも失敗しても、ひとっつも恥ずかしいことじゃないですよ。
三振あり、エラーあり、みんなあるんですから。


照れずにどんどんということですが、
百瀬さんが初めてナンパなさったのは?


――俺がナンパしたのは、ナンパっていうのは
俺もすごい下手でずっとできなかったんですよ。
で、片思いとかそんなことずっとしててね。
ナンパのやり方っていうのわかんなくて。

自分がほんとにナンパしたっていうのはナンパの先生について、
そのナンパ2段ぐらいになってからが、僕の経験だと思いますね。


ナンパの先生っていうのはどなたなんでしょうか?



――僕の2歳年上の人でね、自分の恋人にはですね、
それこそブラジャーも買ってあげないんだけど、
自分だけはね、その頃から160万ぐらいのオープンカー持ってるっていうね。
そういう見栄っ張りの男でしたけどね。
ナンパの天才でしたね。その人が僕の師匠ですよ。


どういうこと習ったんですか?


――要するに僕はですね、大学生の女の子とか、堅気の女の子にですね、
ちょっとエッチな話なんかしちゃいけないんだ、
っていうことですごい慎んでたんですね。
自分がそういう話すると、すごい下品だと思われる。

ところがですね、堅気ほどそういうなんかこう、
エッチな話とかですね、なんかを、聞きたがるものはないんだな、
っていうのをそのナンパ道場に入って、2段ぐらいのときに思ってね。
で私も3段、4段となってきて、今は大体8段くらいなんですけど。
でも師匠はまだ抜けませんよ。


打率があんまりよくないという話でしたけど、失敗談なんていうのは?



――打率がよくないって言ってるけど、打率がよくなくても、
一生懸命やらない人っていうのは、いつでも女の人がいるようなかんじで、
すごいなー、なんかうまくいってんだなーって思うかもしれないですけど、
その間に女に振られてですね、
橋の下で泣いたりね、牛乳飲みながら後悔したりさ。
そういう姿っていうのはナンパの名人って見せないじゃないですか。
苦労してるところをさ。

だから、ナンパですごい人でも、
女の子をすぐナンパできるみたいなかんじだけど、
それは失敗の積み重ねの上にあるナンパだっていうことを
みんなも承知してですね。
ひとりや半分に振られたからってね、全然どうってことない。
こんなに女の人がいっぱいいるんですから、ね、
君みたいなほんとにぶすでまぬけな男でも、
惚れてくれる女の人がいるんだから、
安心して世の中生きてって欲しいと思います。


じゃあ、どんどんナンパして・・・



――そうだよそうだよ。ほんと、ナンパ、ナンパ。
だから、親しき仲にも早い者勝ち。
これが私の考えですね。

出会いがないっていうのは・・。



――出会いがないって言うのは自分が出会いがないっていうだけであってさ。
出会いなんてつくるものですよ。ほんとに。
好きな女がいたらさ、3年ぐらい街角で構えていればいいじゃないですか。
それで「初めてお会いしましたね」とかさ。
やっぱりそれくらいの努力がないと女の人ってできないね。

だから、失敗したらどうしようとか言ったらさあ、
人生って失敗だらけなんだから、そうでしょ?
だから、どんな天才でも、成功するって言うのは、ほんとあれですよね。
そうだね、浜辺の砂の中から一粒の砂を探すくらい難しいことじゃないですか。

それに比べればさ、自分が砂浜で500円玉を落とした。
で、「500円玉―」って言っても500円玉には耳がないから、
戻ってくることはない。

でもね、どんなブスな女でもどんなきれいな女でも耳がついているんですから。
もうありったけの賛辞を言うとかさ、ね、
「やー君はバラのようだ」とか「女優さんのようだ」なんか
そういうこといえば、「嘘だい」って思いながらも 嬉しいのが
女の人じゃないですか。

500円玉に「君はバラのようだ」ってたって
500円玉は何にも聞こえないですけど、女の人は聞こえるわけだから。
どんどんどんどん褒めちぎってください。
そうすれば自ずといい結果がでるんじゃないかと僕は思います。

東京カルチャー見聞録


「柳橋に次ぐ第二の故郷市川」
『駅前の闇市』


――はい。闇市ってね、あのー、女物の下駄とかね、
ねぎとか、いろんなもの売ってたんですよ。最初の頃はね。

僕が最初の思い出が、大きいピストルの形で、
かちゃってやるとライターになってるのが、
僕が6歳くらいに最初で闇市で見た一番面白いものでしたね。

闇市も進化しますから1年2年経ったうちに、
闇市でお金を残した人達がたいしたもんではないんですけど、
木で長屋みたいの作ってですね。
60軒がね、そのところに入って、睦会って言う会を作ったんですが、
僕たちは「闇市、闇市」って言ってたもんですから、
もう大学生になる頃まで「闇市、闇市」って言って、
それが僕らの駅前のマーケットの呼び名でしたね。


じゃあ、商店街みたいな。



――そうですね。商店街まではいかなんですけど、
あんな立派じゃないんですけど、でも、商店街でしたね。


よくお遣いに行ったりされたんですか?


――はい、行きました。
僕はね、父親のラッキーストライクっていうね、
父が外国のタバコ好きでね、
「ラッキーストライク買って来い」というんですね。
で、買いに行くんですよ。
で親父はカートンで買いに行くんですが、
それが小間物屋で売っているんですよ。闇で。
で、僕が行くとですね、「こんにちはー」って行くと
僕の顔を知っててですね、「じゃあこれ」って新聞紙包んで
ラッキーストライクの1カートン渡してくれて、
お金を払ってそれでもう戻ってくるんですけど。
えー、それがない時にはキャメルっていうの買ってましたね。

で、そのキャメルがない時にはクールっていうのを買ってましたよ。
で、クールを買っていくと親父に怒られてね、
「こんなはっかくさいタバコは飲めない」
言われたりなんかしてましたけどね。
でもやっぱり子供の時から気が効いて、
何にも買わないで帰るよりは、ほめられましたね。
はい、それはそうですねー、7歳くらいの思い出ですかね。


普通はタバコを子供に売っちゃいけないっていうのがありますけど。



――そんなことないですよ。だって闇市ですから。
普通のタバコやだったらそうかもしれないけど、闇市なんだし。
僕の父親を知ってますから、そこの人が。
だから僕が買いに行って、ですから、そのー、
そういうことでは僕も父もその闇市のタバコ屋のおばさんからは
絶大なる信用を受けてたんでしょうね。
この親子は口が堅い、(笑)ていう感じだと思いますよ。
だから、さっさっさっさとくれましたね。


『市川学園』


――市川学園っていうのは本八幡ってところにありましてねー。
古賀米吉っていう人が15年ごろにね、
3つくらいの教室で始めたとこなんですよ。
梨畑の中で。で、中学だけあったんですけど、
その中学が結構さかんになりましてね、
それで昭和24年ごろに高校も作って、
どんどんどんどんすごくなってってですね、
今はもう、なんか千葉県の慶応って言われるくらいですね、
なんかすごいらしくって。

自分もそこの学校出てですね。僕は市川学園にいた時にですね、
父親が柳橋の顔役だったもんですから、母親がね、
「喧嘩なんかすぐしちゃだめよ」ってことだったんで
結構まじめな学生だったんです。

僕はですね、公衆道徳委員長っていうあの、あれでね、生徒をですね、
赤いマフラーしてきたりね、ピアスしてんじゃないかとかね、
そういうようなことで見張ってるね、
そういうほうの僕はそこの委員長でしたね。


風紀委員みたいな・・・



――え、風紀委員の上ですね。
風紀委員っていうのは運動会の時に
風紀委員っていうのがあるんですけど、
僕のはもっと上で、公衆道徳委員長ですから。


じゃあ、みなさんどちらかというと、
百瀬さん怖いな、っていうかんじで。



――そうですね、だから学校で一番挨拶されるのは
校長より僕の方がたぶん挨拶して、
先生たちがうらやましがってましたね。はい。
だから僕の3年上、それから僕の3年下、
全部僕を知らない人がいませんでしたね。


では、当時からそういう交遊があったわけですね。


――ええ、そうですね。


今でもあるんですか?


――ありますね。だから、こないだもちょっと柳橋でね、
藤原ヒロシと写真を撮ったんですよ。
柳橋ってとこがありまして。こないだ話してた。
そしたらカメラマンが来て、
それが小暮トオルっていう有名なカメラマンなんですよ。

彼とその時初めて会ったんですけど、
小暮トオルは市川だったもんですから、
僕とちょっと年が離れてるんですが、でも10歳も離れてないんですね。

「百瀬さんのことは中学生の時から知ってました。
 それで、とにかく、怖くて、乱暴で」っていう話だったんですよね。

それで面白いのにはね、
僕の小学校の市川小学校というところに
初めて市川市立図書館っていうのが出来た時に、
「爆弾3勇士」とかそういう戦争の本は
読んじゃいけないっていうんで捨てたんですよ。その当時。

で僕が拾ったのをくれたのが、小暮さんのお父さんの、図書館長だった。
そういうつながりもありましたね。


市川学園には立派な先生は?


――いましたねえ、たくさんいましたねえ。
とにかく、古賀米吉っていう先生が立派だったんですけど、
それからスガタリョウガクっていう教頭も立派でね。
僕が漢字なんか書けないと、
「どうしてそんな漢字が書けないんだ」ってね。
「日本人に今漢字を教えないっていうのは、
 こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど、
 アメリカが、日本の教養っていうのをもっともっと低下させよう
 と思って教えないんだから」っていうこと言ったんです。

僕が中学1年生の時にね、忍山っていうお相撲さんが好きでね、
その忍山のライバルに錦島部屋のオロシガタっていうのとですね、
シオドシっていうのがいたんですよ。
でシオドシっていう字書けたんですね、僕は。

それはですね、シオドシの鎧ってものがあって、
普通中学生がシオドシの鎧なんてかけませんよ。
大学生でも書けない。それを書けた。
それをですね、
「ひろちゃん、君はすごいなすごいな」って褒めてくれたんで。

あの時僕が、「アイアムジャック」とかですね、
「アイアムジャックジョーン、アイアムボーイ、
 アイアムスクールボーイ」とかね、
そういうところを褒めてくれれば僕は英語の方にすすんだんですけど。
シオドシの方を褒められちゃったんで、
「よし、それじゃあ俺は命懸けで漢字を覚えよう」ってことだったんで、
漢字の方に行ってしまった、っていうことで。

ま、今考えると先生を恨んでるところもないことはない。
それから能村敏郎っていう俳句の名人もいまして。
能村先生っていう先生はお亡くなりになるときに、
日本で1・2の俳人になって、お亡くなりになりましたね。


じゃ、あの、百瀬さんも俳句を?


――はい、作りましたね。


再会なさったり?


――ええ、しました。
で僕はそれで俳句好きになってね、俳句の本500冊くらい読んでね。
僕が一番好きなのは、まことっていう人が作った、
「いつか父とねむる地球山吹色」これが一番好きですね。
僕はマザコンなんですけど、死んで二人でねむるのは、
母親じゃなくて、父親ですね。


『真間山の石段』



――柳橋から引っ越してきて、
市川の須和田ってところに行ったんですね。
そこでですね、小網町のおじさんが来てですね、
その、真間山の石段に上ってったんですよ。
でも僕はですね、高いところが嫌いなんでね、
這う様にしてあがっていったんですね。
5歳、6歳くらいの時ですかね。
そしたらひとつだけね、濡れた石があるんですよ。
そこがちょうど真間山の63段くらいの石段で
22段くらいのところにあるんですけどね。
何で濡れてるのかな、ってわかんなかったんです。

そいで、ま、上までやっと上って、帰ってきて、
それからずーっと経って自分が刑務所に入りましたよね?
その時にいろんなこと思い出した時に、そうそう、って思ったのは、
高校生の時に読んだ本にですね、
「夜鳴き石」っていうのがあるんですよ。

その夜鳴き石ってのは、
もう日本中にいろんなところにあるんでしょうけども、
その時に、なんだっけなあ・・って思ったら、
そうそう、真間山の濡れた石が、涙石だっていうことを思い出して。

それで僕はね、刑務所から出て帰ってきてですね、
一番最初にですね、帰ってきた次の夜にですね、
自分のうちから走ってですね、
それであの真間山の夜鳴き石を見に行きましたね。
すーごいきれいなんですよ。市川と思えないくらいね、
素晴らしい佇まいのね。
真間山護法寺っていうんですけど。
そこの石段のね、ことがすごい思い出があるな。
一度ご案内しますよ。


今もあるんですか?


――もちろん、もちろん。
あんなもの全然動かせませんからね。これから100年後もありますよ。

エンディング

なんかこう、回を重ねるごとにね、
美しくなってく藤木さんみたいなかんじでですね。
あのー、これを作ってくれてる放送作家のね、
ほんと努力っていうのが感じられて。
もっともっとね、面白い話をしなくちゃいけないな、って思って。

僕は、ほら、話の筋がキリっとしない人間だから、
きっとよくわかんないと思うんですが、ずっと聞いてれば、
トータルして聞いてれば、あ、あの時はそういう話をしたんだな、
って思うと思うんで。

嫌がらずにひとつ聞いてください。
今日も真間山のこととか思い出して、とってもおもしろかったです。


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