| 『百瀬博教の柳橋キッド』第15回 2003.7.7
放送 | | 文化放送 毎週月曜
深夜1:30〜 | 
リスナーからのメールです。
猪木さん目当てで聞き始めたが、最近ではすっかり百瀬さんファン。 現代のヒーロー猪木のプロデューサーを務める 百瀬さんにとってのヒーローは誰ですか?
――僕のヒーローはもうあれですね、石原裕次郎ですね。 毎回話してますけど、石原裕次郎がヒーローでしたね。 石原裕次郎がヒーローっていうよりは、
僕が石原裕次郎の映画を見て、 そいで、いろんなこと言う人がいるんですけど、 「嵐を呼ぶ男」っていうのがありましてね。 それを高校3年生の冬休みが終わってですね、
学校行きましたら、都築っていう学校一ひょうきんなやつが、 両手に鉛筆を持ってね、机を叩いてこんなやってんですよ。 で、周りに人が集まって見てた。
「都築、なに?それは」って聞いたら、 「おまえ見たことないの?嵐を呼ぶ男だよ」って言うんだけど、 全然見てないわけですよ。
それで、おもしろいぞっていうことで見に行ったんですよ。 僕はその時市川に住んでいたんだけど、 あれがなかったんですよ、あのー、映画館が。
日活の映画館がなくてね。 錦糸町の映画館に行ったら、もう錦糸町の方でも場末の方のね。 ところがそこでも満員でね、見ましてね。
内容はまーまーってかんじだけど、 ドラム合戦っていうのを石原裕次郎と笈田敏夫っていうのがやるんだけど、 その前の日に石原裕次郎が高品格っていうボクサーに
喧嘩ふっかけられて手が痛んじゃっててできない。 あの、スティックを持てないんだけど、 その時にですね、勝負がドラム合戦だから負けるっていったときに、
やおら、横にあるマイクを手にとってね、それで歌いだすんですよ。 僕は今までそういう映画見たことないんですね。 中学生ぐらいの時から、
級長の内田ってのが「愛しのシバよ帰れ」とかね それからあと、そういうなんていうんだろうな、 結構シリアスな映画を見てたんですけど、
そういうなんかこうものすごい虚構極まるっていうかな、 そういう映画を見てね、あーかっこいいなーっていうことで。 やってる石原裕次郎よりも、
石原裕次郎扮してる国分正一っていうドラマーに憧れて、 こういう人になりたいなーっていうのが 僕の石原裕次郎を好きになってった、一番のあれですね。
だから、石原裕次郎本人がどうのこうのよりも、 石原裕次郎が演じてる役、みんなそうだと思うんですよね。 だからそんなことでね、僕はそれをすごく好きになって
そこから僕のヒーローにどんどんどんなっていきましたね。 その当時は日本中のヒーローが石原裕次郎さん?
――そうですね。嵐を呼ぶ男で、その一本で、 倒産しそうだった日活が立て直っちゃったんですね。 そのぐらいすごいんですよ。 だから石原裕次郎がもし映画俳優にならなかったら、
日活はありません。はい。全然ない。 現代で言うと、誰くらい人気があったんですか? ――そうですね。
浜崎あゆみとキムタクとそれから、チューブとかね、 そういうのが抱き合って、あの、あれじゃないですか、 ボブサップの上にのしかかっても
まだダメだっていうくらいじゃないですかね。 でもやっぱりね、いくら石原裕次郎がスターでも、 時代と共に忘れられていくんでしょうけど。
でも、まだね、もう忘れられないっていうのがすごい力だと思いますね。 今日は石原裕次郎さんをたっぷり語ってもらいたいと思います。
――わかりました。宜しくお願いします。 本日は百瀬さんが人生で最も影響を受けた人物、 「石原裕次郎さんとの思い出」をテーマに語ってもらいたいと思います。
そもそも大ファンだった裕次郎さんと、 どのようにして知り合ったんですか? ――もうねー、会えるなんて思ってもいないし、
そういう考えは全然なかったんですよ。 自分は立教大学の相撲部に入って、相撲も弱いしですね。 これから何やったらいいかな、っていうふうに考えてた時に、
ちょうど父親が、新しくニューラテンクウォーターっていう ナイトクラブができてね、 「そこに行ってちょっと働いてみろ」ってことで、そこ行ったんですよ。
そしたら用心棒みたいなことさせられて、 最初は自分の背広とか上着とかそんなの着てですね、 お店行ったんですけど、そういうんじゃだめだからっていうことで、
ロスキンのダブルの背広を作ったんですね。 で、できて、出来上がってきて数日後に 石原裕次郎がニューラテンクウォーターていう
ナイトクラブの長い階段を降りてきたんですよ。 その時に、ジーンズみたいなスタイルでですね、 マンシングのシャツを着てね、ジャンバーを持って、颯爽と現れたんですよ。
一人でしたね。誰も付き人はいないんですよ。 で僕はそれを見て、 「こんばんは」って言ったら「こんばんは」って言って。 で「僕ファンなんですけど、一緒に写真撮っていいですか」
って言ったら「どうぞ」っていうことで。 で、中にポラロイドでね、写真写す写真屋さんがいたんです。 その時ですね、地下鉄が全線乗って20円の時に、
500円でしたね。高いですね。 もちろん白黒なんですが、その人呼んで、で写して貰った。 その写真も今持ってますけれど、えー。 それが最初でしたね。
石原裕次郎さんが席についてしばらくしたら、 ホステスの一人が僕を呼びに来て、 「ママが呼んでるわよ」 「どこ?」
「裕ちゃんのテーブルで」っていうことで行ったんですよ。 「先ほどはどうも」って言ったら、 「僕は君みたいな熱血漢が大好きなんです」って言うんですよ。
それで僕が嬉しくなっちゃってね。言葉って翔ぶからね。 女に「ぶすぶす」って言ってて、もてる男っていませんよ。 どんなブスでも「目がかわいい」とかさ「歯が美しい」とかさ
「色が白い」とかさ、「僕が小学校の時習った先生にそっくりだ」とかさ、 なんかそういう嘘をつかないとさ、 やっぱりさ、なかなかもてないと思うんですよね。
でも彼はほんとに心から「僕は熱血漢が好きだ」って言ったんで、 僕は言葉で翔んでしまってね、 もう、有頂天になってしまいましたね。うん。
それから仲良く? ――そうですね、仲良くったって大先輩だし大金持ちだしね。 もう、それこそ雲の上の人ですから、
友達づきあいなんてできるわけもないし。 だけど、一応そのマンシングのシャツぐらい買うぐらいは真似できるんで。 苦しい家計から買って着たりね。してましたね。
お宅に遊びに行ったり? ――もちろん。それはもう呼んでいただいてね。 ごはんご馳走してくれたりしましたね。
お互いなんて呼び合ってたんですか? ――僕は「あにき」って言ってましたね。 裕次郎さんは?
――「博坊」って言ってましたね。 裕次郎さんの魅力っていうのは? ――うーん。言葉遣いの美しさかな。
それはもー並大抵のものじゃなかったですね。 まず、敬語の使い方がうまいんですね。年上の人に対しての。 それでその場面を見る雰囲気とか、
こういうことするとこの場面はこうなっちゃうな、 っていう空気を見る天才だったんじゃないですかね。 そういった部分では裕次郎さんは
特筆すべきスーパースターだったんですね。 ――そうですね。 とにかくね、絵とかね、小説とか、そういうのを、
いろんなことを教えてくれましたね。 本なんかも読んでくれたりね、しましたね。 裕次郎さんはやっぱりお兄さまの影響を受けて?
――いや、そうじゃないでしょう。 お兄さんの影響ももちろんあるけど、 だから、もう、お母さんっていう方が立派な方でね。
お兄さんはまあ特別勉強ができたんでしょうけど、 石原裕次郎自身も勉強できて、 それであの、すごい才能のある人でね、 絵もうまいし、それから、小説も読んでるし。
だから、ちょっと休憩してる時に、 「あにきあにき」ってこういうかんじでは行けないくらいに ちっちゃな本でも読んで。時間があるとしてましたね。
「スペインの庭師」なんてクローニンっていう人が 書いた本があるですけど、そんなの読んでてね。 えー、じゃあ俺も読んでみようかなって思ってね。
で、「帽子屋の城」なんて本読んでみたんだけど、 めっちゃくちゃ面白くなくてね。 あっはっは。 それでね、一回でやめちゃいましたけどね。
でも何でも真似ですからね。はい。 はっはっはっは。 裕次郎さんは、もちろんかっこいいだけでなく、 ちょっと茶目っ気があったといいますか、
ユーモアのセンスもおありになったと? ――そうですね。あのね、この話すると 多分マガジンハウスの木滑会長が怒るんですけど、
僕が石原裕次郎のお供で銀座行ったんですよ。 そしたらね、みんな「わー」ってホステスが群がってきてね、 まー12・3人いるお店だったんですけど、
8人くらいから9人くらい来ちゃったんですよ。 その時にね、なぞなぞ遊びをするんですよ。石原裕次郎が。 その時にですね、おもしろい話をしよう、とか言ってね、
「中国に壺作りの名人がいるんだよ」って言うんですね。 それで、 「彼はいつも壺をこうやって作る。で、うまいんだ。 でもね、絶対にこの親指は使わないんだ」って言うんですよ。
こうやって親指を叩きながら。 「どうしてだ?」って言うんですよ。 で、みんな女たちが考える。 あなたは?なんでか? あなたがおせんべいをちゃんとね、
500円で後で買ってくれるって言うんだったらね、 俺が答えを教えてあげるけど、頑張ってあれするんだったら考えてよ。 私だけわからないんですかね??
――わかってない。教えてもらいたい? お願いします。 ――それはさー、これがヒントなですよ。
この親指を絶対使わない。 みんなさー「なかったから」「それが秘訣なの」とか言うのよ。 そうすっとね、 「よく見てろよ。この親指は使わない。
この親指は、石原裕次郎の親指なんだよ。 だから、壺作りの名人は自分の親指は使ってるんだよ。 だけど、この親指は使わないんだよ」
そうすっとみんなわーっと笑う。 そういうおもしろい人でしたね。 もうとにかく、もう、面白すぎるくらい面白い人でしたね。
ここで石原裕次郎さんの歌をかけたいと思います。 百瀬さん、何に致しましょう? ――裕次郎の歌は、もう好きな歌たくさんあるんですけど、
自分が全国指名手配の時に聞いた、めっちゃくちゃなつかしい、 「ひとりのクラブ」っていうのがあるんですね。 それを聞きたいと思います。
どんなかんじの曲なんですか? ――「傷付け合うのがつらくって、おまえと別れてきたけれど」
ってそういうふうな感じなんですね。 ♪ひとりのクラブ♪ あと、あだ名のつけ方が結構面白いという。
――そうね。 あのー、「どうした、博坊、あのホステスは?」っていうんですよ。 「誰ですか?」「ほら、ロバがとろろ食ったような顔した女だよ」
だから、そうすっと俺がさー、 「あーやすこね」ってわかるんですよ(笑)。 だから、そういう人だったね。それを俺が習っちゃって。
石原慎太郎が聞いてたら怒るけど、 今、石原慎太郎さんてぴっかぴかじゃない? だけど、今から5年くらい前は、 ちょっとね、自分の思ったことが通らなくて、国会もやめて、
俺に言わせれば、「雨に濡れたこけし人形」みたいな顔してたんですよ。 石原慎太郎が。 だからね、そういうこと言うんで、慎太郎の奥さんが
「百瀬を殺してやる」みたいなね、こと言うらしいんだけど、 「殺すなら殺せこのヤロー」ってかんじでさ(笑)。 だから、そういうおもしろいことってのは、
実はね、石原慎太郎さんのご舎弟の石原裕次郎さんから学んですよ。俺は。 ルーツは、裕次郎さんだったんですね。
――すーんごいおもしろいんだから。 「猿の味噌漬けみたいな顔してる」とかね。 「たぬきの燻製」とかね。 そういうようなことってね、どこで習うか知らないけど、
そういうのがうまかった。 きっとご尊父とかご母堂がね。 裕次郎のお父さんお母さんが、そういうこと言ってたり、 そういう友達がいたんでしょうね。石原裕次郎に。
それがうまかったんですよ。 発想もすごいですね。 ――「とろろ食ったろば」っていうのがおっかしくておかしくてさ(笑)。
あーってわかるとこがね。 ――わかるんだよ。 なんか口がだらしなくてさ、 とろろこぼしそうなやすこだなー、ってすぐわかるわけよ(笑)。
やすこさん聞いたらちょっと気悪くするでしょうけど・・・ ――もうやすこさんはね、聞いてないですよ。
おばあさんになっちゃって。 もう寝てますよ。8時ごろに。 養老院で聞いてた、なんて言ったらまずいけど。 もう時効ですからね。
なんと百瀬さんは裕次郎さんの映画にも ご出演なさってるんですよね? ――はい、でました。はい。
どういうきっかけだったんですか? ――それはね、石原慎太郎さんが週刊明星にね、 「雲に向かって起つ」っていう小説を書いたんですね。
新聞記者がいましてね。 その新聞記者が初めて国会を訪ねたときに、 その国会の中でね、いろんな人に会うんですけど、 訪ねるっていうか取材に行くんですけど。
その、平気でね、記者だからって待たせた代議士やなんかに腹を立ててね。 それは総理大臣だったんですけど、あんまりね待たせるんでね、
「きをつけー」って言うんですよ。 でその総理大臣が驚いてね、椅子から落っこっちゃうのね。 そういう熱血漢の新聞記者が主役のね。 それから自分の父親が、今で言えばテロで殺されて、
自分が父親の意思を継いでね。 また国会に行って、働いている女の人が浅岡ルリコでね。 そういう話なんですよ。 それで浅丘ルリコのうちに、
「痛快会」っていう会の下宿してる人がいてね。 その中に相撲やってる、バンダエモンっていうのが僕でね。 あと、ボクシングやってる人間とか、
他に、今亡くなった波多野憲さんとか、 今でもお付き合いしてる山田吾一さんとか。 それからこの武藤さんって言う人も亡くなったんですけど、
そういう人達がみんなそこのうちに下宿してて。 それで最後にですね、 石原裕次郎扮するところの記者の力を借りて敵討ちをする、 という、そういう物語でね。
その中に石原裕次郎をね、投げ飛ばすシーンがあるんですよ。 だけど、石原裕次郎って体が大きい人だし、 新劇の俳優とかそういう人たちでは似合わないんですね。
で石原裕次郎が「あー、そうか。博坊ならいいな」ってことで 僕のとこ来て下さって、 それでその「お前出ろ」っていうこと言われて、で僕は出たの。
直々のご指名? ――そうです。そうです。明日来いよ。 っていうことでね、日活に行きましたよ。
その時に僕もですね、 かっこつけなくちゃいけないっていうんで、 瀬野豊っていう人のポルシェに乗ってね、で行きましたよ。 そしたら石原裕次郎が呼んでね、
「博坊、お前だめだよ。 そんなポルシェなんて乗ってきちゃだめだよ。 調布の駅に、みんなが乗ってこっち来るバスがあるから、 その時間に来て、バス待って、それに乗ってこなくちゃだめだよ」
それを教えてくれましたね。 だからそういう見栄を張ったりね、そういうことはしちゃいけないよ。 ってことはその時に教わったんですよ。えー。
アドバイスはありがたいですよね? ――でもね、ありがたかったけどね、 みんなね、何でもいいから朝の9時に来いって言ってね、
9時に呼ぶんですよ。 でもね、仕事がないんですよ。出番が。 他の奴はぶらぶらぶらぶらしてるんですよ。 だけど、俺はすごくいらつく人間だから、帰ったりね(笑)。
だけど、それでまたね 「おまえね、待つのがあれなんだから、 そうやって待たなきゃだめだよ」って教わったりしてね。 でもほんとにねー、石原裕次郎が男子一生の仕事でないっていって、
毎日石原裕次郎中心に組んでいる撮影であっても 石原裕次郎でも浅丘ルリコでも待たされるわけじゃないですか。 いわんや、ぺーぺーなんて、
もう二日も三日も干されて待ったらいい、みたいなかんじでね。 やってるわけじゃないですか。 こういう稼業はやだなーってその時思いましたね。自分は。
でも、もう一作出てるんですよね? ――そうそう。それはね、「花と竜」って映画でね。 それでそれもやっぱり石原裕次郎と喧嘩して勝ってね。
沖縄歌手のね、百貫デブの役で出たんですよ。 石原裕次郎と喧嘩になった時にね、 こんな鉄の棒をね、目の前でぐーっと曲げちゃうんですよ。
それで石原裕次郎がひるんで。 浅丘ルリコが、やっぱり「おまん」って役で、 「玉井金五郎」が石原裕次郎で、「花と竜」って映画なんですが。
だから、僕がその、私生活では全く勝てなかったけど、 映画の中では2回勝ってますね。裕次郎に。 はい。2勝0敗ですよ。ほんとに。
石原裕次郎さんに勝った方ってなかなかいませんけどね。 ――映画ん中ですけどね。虚構ですけどね。
今ビデオでも見れるんですか? ――見れます。見れます。 よろしければ、「雲に向かって起つ」と「花と竜」
――そうですね。 「花と竜」は最初のとこ見ないと、すぐ死んじゃいますから、 だから、最初から目を凝らして見てないとだめですね(笑)。
感想などもね、メールで送っていただきたいと思いますが。 裕次郎さんと出会ったおかげで他にも体験できたことは?
――だから、海外旅行ですね。 僕が石原裕次郎と会って、海外旅行したいなー、 って一番思ったのは石原裕次郎と出会ったからですね。
あの、「世界をかける恋」っていうのがありましてね。 それでいろんなとこに、 フランスとかオセロとかいろんなとこ行くんですけど。
オセロか?オスロ? それを見た時にね、なんてかっこいいんだろうなー、って思ってね。 自分はね、もうほんとに石原裕次郎と比べて
雲泥の差のスタイルをしているのにね、 髪の毛だけは石原裕次郎の頭のかっこにしてね、(笑)行きましたね。 スウェ−デン、デンマークね、イギリス、スペインね。全部行きました。
そうだなー、石原裕次郎とまず知りあわなかったら、 羽田空港に行くっていうことが、 あと5年くらいは遅れてたんじゃないかと思いますね。
だから、石原裕次郎がよく海外旅行しますよね。 で迎えに行ったり、万歳三唱したり。 そういうかんじで、あのー、行って、羽田っていうところに行って、
こういうところが東京にあるんだなってことを。 柳橋生まれですからね。 そんなの大体うちの身内でですね、 海外に行くような人はひとりもいませんからね。
だからそんなことで、飛行機乗って行こうって人はいなかったんで、 僕は石原裕次郎と会って、こういう人生を送ってる人ってすごいな、 僕も真似したいな。
やっぱりそれも苦しい家計から、お金を集めてね、 23歳の時にね、ヨーロッパの10カ国くらい周った事があるんですけどね、 それはもう石原裕次郎さんのおかげですよ。はい。
今日はほんとになつかしい方の話をできてとっても嬉しいです。
今日話したんですけど、一部の一部の大一部ですからね、 これから16時間ぐらい話をしたいですね。 そうすれば、「雨に打たれたこけし人形」もですね、
どっかで聞いて、笑ってるかもしれませんね(笑)。 TOPに戻る
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