『百瀬博教の柳橋キッド』第2回 2003.4.7 放送

 文化放送 毎週月曜 深夜1:30〜 


オープニング

お花見シーズンですが、何か思い出はありますか?


――吉野の千本桜は行く。必ず一緒に行くのが安西水丸です。
秀吉がお花見をした場所があるんですが、
2度ほど行っても発見できなかった。
3年目に、格闘家の佐竹と行ったら、彼がその場所を一瞬で見つけた。
花見で一番驚いたことは、
めちゃくちゃ馬鹿にしてる佐竹がそこを探し出したことです。
奥の方にあって、全部が見渡せるところなんです。
単なる行楽で来ている、大恋愛してるアベックとか、
離婚寸前の夫婦とか、そういう観光客がいない。


学校が7日から始まりますが、
何でもご存知の百瀬さんの小さい頃は?



――勉強しろと言われたことはない。
小学校2年か3年まで自分の名前が書けなかった。
4年の時の授業参観で、「勉強」っていう漢字が書けなくて、
鈴木先生に馬鹿にされた。
でも、相撲大会の時、その先生が、
「ヨーイドン」と掛け声をかけていたので、
「違うよ。はっけよい、とやるんだよ」と教えてあげたら、
先生の態度が変わった。
先生でも知らないことがあるんだな、っていうのがわかった。

大学の時、英語の授業で、「シャーロックホームズ」をやった。
競馬場の場面で、「チケット」という単語が出てきて、
「不正に馬券を売る人」と訳していた。
「先生、そんなのだめだよ。そういうの、呑み屋、っていうんだよ」
と教えてあげた。
先生は呑み屋を知らなかったので説明してあげました。
中山競馬場の呑み屋の取り締りの人にその話をしたら
「坊ちゃん、もしよかったら私が大学行って説明しましょうか」といった。
それ聞いて「はっはっは」って笑った記憶があります。
だから、勉強とはその人が歩いてきた筋道で出会ったり、教わることです。

僕が、本当に勉強の必要生を感じたのは、
24歳のとき、拳銃不法所持で捕まって、地下の取調室にいた時です。
そこで机上辞典を読んだ。
「紫陽花」という漢字、英語では「ハイドランジア」。
菊も英語で「クリサンサマム」ということを知った。
大学生のときに気付けば不良にはならなかった。

例えばあなたが独身なら60歳でも年頃です。
勉強も同じで、40歳からでもいい。
高校生のとき、おかまみたいな先生がいて、馬鹿にしていた。
でも、その人のエッセイを読んで感心した。
その時初めてそのひとの弟子になった。
「なんだこの馬公」から「先生」に。
最後には日本で3番目の大家になった。
名前言っちゃうと、読売新聞の選者で、能村先生です。


長くなりましたがこれがオープニングなんですね。



――うあはははは(豪快)

不良手帳

今日のテーマは「知識と教養」です。
秋田でみっちり勉強なさったとのことですが、
その経緯を教えてください。



――19歳で用心棒になった時、
120キロくらいあったので誰と喧嘩しても勝っていた。
でもあるときピストルをみて震え上がった。
もっと防衛しなくては、ピストルに勝つには機関銃だなと思ったんです。
講道館をご案内したのが縁で、クウェート人の知り合いができた。
その人に話したら、来ればあげるよ、と言われ、
23歳のとき初めての海外旅行に行った。
それで、機関銃をみせてもらって、ピストルだけ持ち帰りました。
「もってますか?」「もってません」でだいじょうぶだった。
通関の金属探知機は僕が捕まってからできた。
笑っちゃうのは刑法も3年から7年になったんです。

金に困った時があって、
敬愛してる不良のところに行ったら気持ちよくお金をくれました。
ピストルをあげたら、それが見つかってしまった。
それで捕まってしまったんです。


秋田の監獄は百瀬さんにとって大学のようなところだったんですか?


――はい。そうですよ。大学院よりすごいです。
それまで勉強したことないんですから。
僕は、喧嘩も弱いし度胸もないけど、男の乾分をつくりやすい。
ホモっ気があるからだとおもいますが。それで独房に入れられました。

そこで、本でも読め、と監視さんが言ってくれて、
新しいのはなくて、昭和26年くらいまでの本がたくさんあったんですが、
最初、「シラノ・ド・ベルジュラック」をくれたんです。
それから森鴎外の「渋江抽斎」。
その出会いがよかった。
渋江という天才の医者がいたのですが、
道でみえをきってしまうほど市川団十郎が好き。
患者がいっぱいでも、太鼓がなると歌舞伎を見に行ってしまう。
その本で、森鴎外が好きになりました。

三島由紀夫の「荒野にて」という短編のなかで、
女が歯を磨く姿にさえ男はうっとりするのだといっていた。
ある日森鴎外の「雁」を読んだ時、
末造という男が妾のおたまが歯を磨く姿にうっとりする条が出てきた。
三島も鴎外ファンで、たくさん読んでたんだと思う。
うまいひとでも真似するんだ、影響されるんだと思ったら、
本がどんどん好きになった。

本が本を解説する。しりとりみたいなものです。
例えば、モーパサンなんかは、
「彼女はバラのような頬をして、チューリップ色の服を着て、
 髪がどうのこの・・・」ってくだらないこと書くんですよ。
ところが森鴎外は、
「水が飲みたい」というとき、「水がきた」それしか書かない。
『長安の春』の中に、
「家家楼上如花人(かかろうじょうはなのようなひと)」という言葉がある。
清川虹子、小池栄子、松嶋奈々子みたいな顔してる人、
っていうと、好き嫌いがでる。
でも、花のような人、といえば、誰にでもあてはまる。
それが、いいな、って思ったことが、
ピストル不法所持で捕まって学んだことです。
はははは(豪快)


東京カルチャー見聞録

「古本屋のある風景」
百瀬さんの本との出会いの原点は秋田より前とお伺いしましたが。



――そうですね。
中1の時手塚治虫の「マンガ太平記」が
100円から130円に値上がりして、高いなと感じたんです。
その時と同時に、近所の古本屋に初めて入ったら、
分厚い昔の本が、1冊30円、50円で買えたんです。
佐藤紅禄30円、100円で3冊、といった具合でした。

小さい頃から経済的知識がありましたから、結構面白いなと思った。
古本屋のおやじとの駆け引きや、万引きを捕まえた時の話しなど、
色々人生の縮図を勉強した。「たからや」って本屋でした。


ご主人はどんな方でしたか?



――絶対不良にはなれないような人でした。
おやじの乾分にはいないタイプというか。
よくこんな暗い所で一日中平気だなとか。えばらない人でした。
ひろちゃんひろちゃんと呼ばれた。色々なこと教えてくれました。

古本屋がもう一軒あったんです。
子供の時からなんですが、僕は最初に受け付けにお金を預けるんです。
そのときも、100円分預けて、本を買おうとしたら、
「お金は預かってない」って言われて、だめだなこいつ、って思いました。
それからだめな奴ってわかるようになりました。特に早稲田はだめ。
3冊あっても1冊だけ出して、高い値段で売るんです。
商売ってこうなんだな。そして、人を見る目が養われました。


いい本を見つけるコツは?



――めっちゃくちゃ教養ないけど、金儲けしたい、
っていう古本屋に入らなければいい。
自分自身も本好きだから色々教えてくれる。
「お父さんが今いないから値段わかりません」なんていう古本屋はだめ。
今は値札がついてますが、昔はついてなかったんです。
それで客を見て値段を決める、
ちんけな寿司屋みたいなところがありましたが、それもだめ。


神田以外でお勧めの本屋さんのある街は?



――色々なとこにあるけど、
一番最近では福岡にいった時の古本屋が良かった。
あし書房という本屋さんで、2時間くらいいました。
親切で、無い本なんかインターネットで調べてくれた。
日本中のをみて、教えてくれた。
いい女には出会えないけど、いい古本屋には出会ってますね。
あーはっはっは。

エンディング

今日の話し、難しかったでしょうね。
今、活字離れしてますからね。
わかんないことは無理して聞いて下さい。
いつかは身につきますから。


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