第6回 2003.5.5 放送 

パーソナリティ:百瀬博教 聞き手:藤木千穂(文化放送アナウンサー)


オープニング

百瀬さんはよく相撲を見に行かれるということですが?


――ボブサップと相撲に行った時、
前から7番目くらいの升席だったんですが、
幕の内のお相撲さんが土俵にあがっているのに、わーっと人が来た。
「お相撲さんに失礼だからやめろ」
って怒鳴りつけたけど、全然聞かなかった。
どんな見たい人、どんなに会いたい人でも、
思いやりっていうのがあるじゃないですか?
今お相撲やってるわけじゃないですか。
ボブ・サップが来てても、
遠くから見てるっていうのが教養だと思うんですよね。

今相撲の人気が翳ってきたっていうのは、
教養のある人が相撲を見なくなったから。
教養のある人が少なくなったからそういうことがいえるのでしょうが。
あと、あまりの物凄いボブ・サップ人気っていうのもあるんでしょうけど。
自分さえ握手できれば、自分さえ写真撮ればいいんだ
っていうところでやってるところを見ると、
本当に相撲を愛してて見に来てるんではなくて、
なんとなく券をもらって来てる人達なんだな。
本当に相撲が好きなら我慢して、
相撲を1に立てて、2・3がボブ・サップなんです。
そこを感じました。ボブサップにも失礼。


今度の日曜日から大相撲の5月場所が始まりますが、
百瀬さん注目の力士は?



――病気になってしまったんですが、若勉ていう力士。
僕が大学生時代に稽古をつけてくれた中尾三郎さんていう
元学生横綱のご子息。
若勉って名前を取ったんですが、
幕の内、十両と病気で幕下に下がったんで、
本名の中尾っていう名前で出てる。

その人と、黒海。
ロシアから来たお相撲さん。
下のほうではこの人に注目してる。
後は、長崎県出身で、
錦絵に書いたような相撲の風情を持ってる高ノ若。
バスケットの選手でピアノも弾ける、すごいお相撲さん。

不良手帳

「相撲」
百瀬さんが相撲を好きになったきっかけは?



――ちょんまげですね。
くり髷っていうんですけどね、幕下の人が結ってるのは。
でも、10両幕内の取り組みの時には大銀杏。あれが魅力がある。
男だったら一回結ってみたい、
っていうのが相撲を好きになった一番の理由。かっこよさですね。


生まれが柳橋。
両国でもあるということなんですが。



――柳橋っていうのは、僕の生まれたところから
100メートルもしないところに両国橋っていうのがありまして、
それを靖国神社のほうから来まして、
錦糸町のほうに渡っていたところに、
昔、69連勝した双葉山の時代には、国技館があった。
国技館があったから両国には相撲部屋があるんです。
でも、戦争のとき、空襲を受けて、
焼夷弾とかそういうのを撃たれて炎上してしまった。

この間千代大海が優勝カップを取りましたけど、
本当だったら消失してしまって、ないんですよ。
お相撲さんがカップの入った金庫に水を朝までかけて、
命がけで守ったんです。
そのかけた人っていうのも、
僕が立教大学で教わっていた原田さんていう人。
里錦といって、10両まで行った方。
根性があって、引退後も相撲協会に残って後輩の指導をされていた。
彼が、10人くらいの弟子と6時間くらいバケツリレーを朝までして、
守ったんです。 

疎開していた出羽の海親方が来た時、
金庫を開けたら優勝カップがひとつも傷がつかないで残ってた。
その話を聞いて、大横綱が男泣きに泣いた、
というエピソードがあるんです。
戦争が終わって、燃えてしまって、
進駐軍に撤収されて、蔵前に新しい国技館が出来ました。
それまでは、後楽園の野球場や、浜町公園でやっていた。
その時お金を出した人が明治座の社長の新田新作。
高校出たら養子になろうかなという間柄の人。
浜町に国技館を建てた時、3000万をポーンと出して、
力道山の大スポンサーでもあった。

隆盛していた町両国が取り残された町になっていた。
お店がどんどん潰れたりした。
そのままで下町博物館なんじゃないかっていうくらい。
また国技館が戻ってきて隆盛しましたが。
江戸時代は両国といえば見世物小屋のメッカで
その賑わいといったらなかったらしいです。
時代と共に町は変化していくわけです。


高校で相撲部をおつくりになったんですよね?


――高校3年生の夏休みに、自分のお金で作った。
できたのが8月20日頃。
で、9月10日頃の試合に出た。
いい結果を残して3人の選手に選ばれて、
関東大会に出て2位になって、国体に行った。
でもその時に自分の限界がわかった。

第12回静岡大会だったんですが、
世間にはすごい人が、強い人がいるんだなっていうのを突きつけられた。
立教に入って、100キロの体を見込まれて相撲部に入った。
4つ後輩に堀口圭一っていうのがいましてね。
7・8年前に会った時おもしろいことを言った。
「先輩、うちの女房が怒るんですよ」
「なんで?」
「あんまり優勝カップがありすぎるんで置くところがないんですよ」
60回くらい優勝してるんです。
「じゃあ、アマチュア選手権のときの優勝カップ持って来い」
って言って、盗っちゃいました。
うちに大事に保管してる。
強い人っていうのはそういう悩みがあるんですね。

話がとぶんですが、その堀口を見て、
すごい強いんだな、俺はこういう風にはなれないな、
って自分の相撲の実力を見極めた。
いくらマリリン・モンローに惚れてもかなわないように、
相撲を諦めました。


立教相撲部っていうのは
映画「シコふんじゃった」のモデルでもあるんですよね?



――はい。
つくった監督が周防正行っていうんですが、彼は立教の仏文科を出てる。
物凄い頭のいい人なんですが、何が面白いかなって考えた時、
弱い相撲部が勝っていく話っていうのが
面白いんじゃないかな、っていうことで。

立教も昔はそこそこに強かった。
僕が入る1年前は全国大会3位、関東大会では優勝するくらいだった。
でも、勉強しなくちゃいけない、勉強、勉強っていう風になってきて、
いい選手が集まらなくなった。
女の子に負けちゃうくらい弱くなった。
それを見て、周防監督は面白いんじゃないかなって思った。
そしたらその映画は、いろんな賞をとったりして大当たりした。
教立って書いてありますよ。立教のさかさまです。
「女の園」とかには校内を貸す立教が、
「シコふんじゃった」の時は、
世界的な監督の周防が言ったのに貸さなかった。
相撲部が弱いとかじゃなくて、なめてたんでしょうね。


今は後悔してると思います。



――そうですね。
物凄いしてるでしょうね。


もし立教校内で撮られたとなれば
立教相撲部の人気も上りますしね。



――そうですね。
すばらしい建物だし、美しい学校なんですよ。


ズバリ、百瀬さんにとってお相撲とは?



――様式美の最たるもの。
相撲からいろんなこと習ってる。
あんなきれいなきらびやかなスポーツって他にはないですね。

東京カルチャー見聞録

「お相撲の町、両国・蔵前」
「柳橋からの風景」



――僕は柳橋で生まれたので、折に触れて行くんです。
自分はそこで3歳4歳くらいの時、
三輪車を裏返しにして、ペダルをグルグル回しながら、
「アイスクリン、アイスクリン」
なんて言って遊んでたことを思い出したりね。

それで、藤原ヒロシって裏原宿の王者みたいな人がいるんです。
でも彼は田舎者なので、柳橋とかは知らない。
ナウイところは知ってるかもしれないけど。
この前案内したら柳橋の美しさを気に入った。
時間があれば、夕方でいいから、JRの浅草橋から近いですから、
二人で渡ってみるっていうのもいいかなって思います。

昭和4年に普通の橋にしたまでは木の橋だったんですがいい橋です。
隅田川も見られるし、神田川の一番最後のところなので風情もありますし。
小松屋の船が浮かんでますし。
どんなところでも見られないくらいの風景が楽しめると思います。
浅草橋から歩いて5分です。


「隅田川花火大会」



――昭和26年か7年くらいに初めて隅田川の花火大会が行われた。
父親に連れられて見に行った。
近くの桟敷で天から降ってきた落下傘を拾った。
早い時間だから人が来ていないので、桟敷から桟敷に飛んで、
上から降ってきた落下傘を拾った。
帰りにすごい人ごみで、
「お父さん、誰がこういう桟敷つくるの」って聞いたら、
「これは清水建設が作ってるんだよ」そういうことで、
すげー建設会社なんだな、っていうのが中学1年生くらいの思い出です。
川幅が狭くて、火事になっちゃうってことで中止になったことがあるんです。
今は、隆盛してますけどね。 

この花火っていうのは見る人に思い出を与える。
僕は、水中金魚っていって、
水の中に金魚が走るっていう仕掛けの花火があって、一番好きだった。
川の中に金魚が2.3メートルすーっと泳いでいく。
仕掛け花火なんですが、どういうふうにするんだか、
花火を作る人に一度聞いてみたい。

後は、すごい簡単なんですけど、
100メートルくらいの長さのナイアガラの滝とかも好きでした。
後は、仕掛け花火で「日立」とか「ナショナル」とか、
文字が浮かぶやつもありましたね。


夏が待ち遠しいですね。



――そうです。
でまた話変わりますけど、さっき出た、浜町をポーンってくれた人が、
花火の仕切りのほうもやってたんで、
だから僕がそこもただで、枝豆なんか食べながら、
お土産いっぱいもらって、お小遣いもいっぱいもらって。
だから、楽しい思い出でいっぱいですね。


「50円のカレーライス」



――高校1年生の時、相撲錬成道場っていうのが
国技館の中にありましてね。そこで稽古してた。
当時、盛とかかけが30円だったんですよ。
安い中華ソバ屋さんは30円、高いとこは40円だったんですけど、
50円のカレーライスっていうのを両国駅前の
中国飯店で見つけてですね、母親のと比べてうまいんですよ。
ぞんざいじゃないんですね。

立教時代朝稽古があった。
朝起きて市川から両国まで行くんですが、
その稽古が終わってからいつも2杯食べていました。
そのうまさっていうのはいまだに忘れられない。

ラテンクウォーターで19歳で働き出してからは、
美しいホステスなんかに、
「君、カレーライス食べに行こうよ」なんて言うのは
5流の男ですからね。
だからもうそういうことは言っちゃいけないな、って思ったら、
すごい仲のいい安西水丸 っていうのは、
50を越してるのに美しい女に
「カレーライス食べに行こう、食べに行こう」って言うんですね。

で僕は彼の真似をしてカレーライスの研究をした。
で、平凡社からカレーライスの本を6人くらいで出した。
僕も雑魚の一つ混じりでそこに入れてもらった。
東京でうまいとこを5件出すとかってね。


それはどこなんでしょうか?



――僕の好きなのはキャンティーのカレー。
メニューにはないんですよ。
だからそんなこと言うと聞いてる人たちが腹立っちゃうかもしれませんが
多分4200円くらいです。
それから、こないだ、1週間くらい前なんですが、
高田と僕と猪木がホテルオークラでご馳走になった、
伊勢海老のカレーって言うのを見たら4800円って書いてありましたね。
税金入れると5000円くらいになるんじゃないですか。

でも、そんなのでも、
高校1年生のとき食べた50円のカレーには勝てない。
だから、何を食べてるかって、カレーの思い出を食べてるんですね。
僕にとっては最高で、忘れられないんです。

エンディング

柳橋のこととかカレーのこととか、あなたが僕にふってくれたので、
中学3年から高校1年生の時の思い出が走馬灯のようにくるくる周っています。
また明日にでも柳橋に行ってみたい気持ちになりました。

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