『百瀬博教の柳橋キッド』第7回 2003.5.12 放送

 文化放送 毎週月曜 深夜1:30〜 


オープニング


昨日は母の日でした。
日本一のマザコンを自称される百瀬さんは、
毎年カーネーションを送ったりなさってたのですか?



――全然しませんね。
おふくろを好きになったのが高校2年の時で、
それまでは、理不尽なババアだと思ってました。
なんでこんな家に生まれちゃったんだろう
っていうくらい母親が嫌いだった。

高校2年の体育祭の仮装行列でソーラン節をやりました。
僕は柔道部で50人くらいいたんですが、
坊主頭で姉さんかぶりをやると落ちちゃうんです。
でも新聞紙で輪をつくって姉さんかぶりをやると、落ちない。
で、50人分を、一所懸命作ってくれたんです。
それくらいから好きになっていった。

カーネーションですが、小学校5年生の時、
「お母さんありがとう」っていうのがついたカーネーションを
胸につけるんですが、その時に
白いカーネーションをしてる子がいたんですよ。
お母さんいないんだなってことで、
それからその子のためにもカーネーションつけるの止そう、と思いました。
それがカーネーションを買わなくなったきっかけ。

ぼーんと話が飛んでね。
ディズニーランドなんですが、
電気入れると色が付くカーネーションがありますよね。
そこで修学旅行の中学生くらいの女の子が、買おうか買おまいか迷ってた。
僕が「買ってやるよ」って言ったら驚いて逃げ出して
先生のところに言いつけにいったんですよ。
そしたら先生が来て、「買ってもらいなさい」って言って、
「ラッキー」ってその女の子達が言ったんです。

最初に女の人に贈ったのはカラーかくちなしかどっちかでした。
母親に花を贈ったのは一度もない。


プレゼントは?


――古本屋でパーマネントが出ている本があって、それをあげましたね。
常に感謝の気持ちがあって、特別にはしないということです。


不良手帳


「マザコン」
定義?



――親孝行な子供しか持たない感情。
母親を敬愛してる、愛してる、子供がマザコンなんです。
母親のことを自慢できない子供は、マザコンではなくただのぼんくら。


マザコンというと、悪いイメージ、
冬彦さんのイメージがありますが。



――テレビってのは碌なことしない。
冬彦さんっていうのは、ただ精神が薄弱で、情緒不安定なだけであって、
本当のマザコンはあんなもんじゃない。
世の女性の考えは大間違い。
マザコンには、フニャンとしたやつは一人もいない。
みんなかっちりとした男だけ。


「ママに聞いてみよう」というのがイメージですが。



――それはテレビ的な演出。
とにかく「ママに聞いてみよう」なんてやつはマザコンなわけがなくて、
マザコンの風上にも風下にもおけない。
そんなのは見たらぶん殴っちゃう。


ではどういう人が?


――やっぱり、北野武みたいな人や、ただ強がってるテリー伊藤とか、
おふくろで死ぬまで苦労する野村克則っていうのがマザコン。
カツノリはね、大学生のとき友達が
「おまえいい加減にしろよ、あのおふくろ静かにさせろよ」って言ったら、
「違うんです。おふくろはあれが生きがいなんですよ。
 僕は親孝行してるんです。マザコンじゃないんですよ」
っていうのをいつも言ってたみたいですよ。

沙知代さんっていうのは本当に大ばかですからね。
「あなたはいつも私を貶める」とか言ってるけど、
自分で貶めてるんですよ。(笑)
でも僕とつきあうようになったら、かなり女っぷりもあがったし、
考え方も立派になってきた。
ご主人の野村監督には、「百瀬さんすいません」っていうことで、
優勝した時のジャンパーとか、グローブ、時計とか、
まああんまり碌なものくれないんですけど。
自分は何百万の時計をしといて、私には何千円のものしかくれないんですが。
でも一応感謝の念は表してますよ。


お母様のお話を聞きたいのですが、どんな方だったんですか?



――日本一のほら吹きですかね。


褒めてないような・・


――いやいや、とってもいいことでしてね。
佐野真一の書いた『石原慎太郎のすべて』なんていうのを読むと、
「自分のおふくろっていうのはすごい吹く人なんだ」
ってことを言ってるんですよ。
女の人っていうのはロマンチックだから、もてもしないのにもてたとかね。

例えば僕が秋葉原でですね、きれいな女の人がいて、
「お嬢さん」って声かけるじゃないですか。
そうするといきなり、「私には主人がいます」みたいなこと言うんですね。
「違うよ違うよ、財布落としたんだよ」っていうくらい自意識過剰なんですよ。

僕の家を建て直したとき、獅子舞をやった。
そのとき、お囃子をやる女の人の中に、セクシーな女がいて、
目をつけて見てました。
「お祝儀をあげようかなー」って思ってたら、
あげる前に、僕の視線を感じて、「私には主人がいます」って言いましたよ。
その女の人はえらいなーって思いましたよ。
そういうことで、女の人はみんなほら吹き。

僕の母親はですね、まあ小さい時は金持ちだったんでしょうけど、
僕の父親がですね、3歳くらいのときお手伝いさんに連れられて
花火に行って、帰ってきたら毛糸の帽子が無くなってた。
それがすごい記憶にあるって言ったら、負けず嫌いのおふくろが、
「私が小さいときは、家に東郷平八郎さんが来てどうのこうの」とかね。
なんでもそうなんですよ。
おやじが人力車にのって浜町から帰ってきたって言うとね、
うちにはシチュードベーカーがあったとかね。
おやじが三味線の師匠を好きになった時は、私は三味線は嫌いだ。
小さい時父がマンドリンをやれって言って、
イタリアに留学させられそうになった、とか。

僕は、「またおふくろが吹いてるな」って感じだった。
その吹く話と鼻ぺちゃが私にそっくりなんですよ。
だから、僕の親父を知ってる人は
「坊や、本当にお父さんの子?」とかいっつも言われてた。
おふくろ似なんです。
明治43年生まれだから、整形手術なんてその頃なくて。
そういう人でしたね。

おふくろから譲りうけたのは、あと度胸です。
おやじには乾分なんて何十人もいたんですけどね、
おふくろにかかったら一発でやられてましたね。
浪花節でね、三五郎っていう清水の次郎長の乾分がいるんですけど、
その奥さんの「お民の度胸」っていうのがあるんですよ。
僕が年ですからいろんなこと知ってるんですけどね。

うちにあるレコードで、小学生ぐらいからずっと聞いていて、
こういうときはこういうふうに言うんだな、というのを学習していた。
そうするとおふくろは、シュゴイネルワイゼンとか、乙女の祈りとか買ってくる。
ジョセフィンベーカーとかね。

おやじとおふくろって、どうして結婚したんだろう?
酔っ払った勢いでそうなっちゃったんじゃないかなって思いますけど(笑)。
そういう不思議な夫婦。
でも最高仲良かった。


百瀬さんの考えるマザコン番付を発表してください。


――東の小結が、野村克則。
関脇が、ほら吹きのテリー伊藤。
押しも押されぬ、マザコン界の双葉山っていうのが北野武。
僕が呼び出しくらいじゃないですか。


東京カルチャー見聞録

「かつての東京を代表する花柳界、
 この番組のタイトルとも関係ある町、柳橋」

何故この番組のタイトルが柳橋キッドになったんでしょうか?



――僕は柳橋で生まれました。
昭和4年に鉄の橋に変わった小さい橋なんですけど、その上でいつも遊んでた。
豆腐屋とか、女の人に「来ちゃいけない」とか言って、碌な子供じゃなかった。
それをね、柳橋の子供っていう意味で、柳橋キッド。

でもね、本家がいるんですよ。
なんかね、板橋の刑事になれば泥棒の検挙率なんて一番になっちゃうような、
浅草キッドの水道橋博士っていう刑事なんですけどね。
その人の名前からとってね、柳橋キッドにしました。


追っかけでもいらっしゃいますよね



――追っかけじゃないと思いますよ。


でも、入り待ちしてましたよ。



――それは研究心が旺盛だってことじゃないですかね。
追っかけなんて失礼ですよ。


百瀬さんの帽子もかぶってらっしゃいましたけど。



――じゃあ、僕のファッションコーディネーターでも
あるんじゃないですか?はい。


「綺羅星のごとく」



――たとえば、北野武・三船敏郎・石原裕次郎・勝新太郎、
こういう人がみんな集まった姿っていうのが綺羅星のごとく、ですね。
でもそれは日本が堕落してからの話で、
昔は東郷平八郎、野毛大将、根津、大山巌とかそういう人達が
みんな勲章をつけて勢ぞろいしてるのが綺羅星のごとくだったんです。
だけど今はそういう人はいない。哀しいなーってかんじがします。
今と昔では全然違います。

町並みも変わってきました。
長州・土佐が幕府を倒す前は蔵差しっていうのが蔵前にいましてね、
米の相場とか全部決めてた。
そういう金持ちが遊びに来てた場所が柳橋。
ところが、長州との戦争で幕府に負けて、
赤坂に移ってから、柳橋は衰退しちゃった。
明治の初めごろ。
ぶりかえしもあったけど、昭和33年ごろからは衰退の一途を辿っていって。
今は、有名な料亭もなくなった。昔は30件くらいあった。
今は全然ない 1件もない。


稲垣っていう料亭があったそうなんですが。


――柳橋の思い出をやな思い出にさせてくれたお店。
僕が大学生の時、大映の永田社長っていう人に連れて行って頂いてうれしかった。 
なくなるって話を聞いたとき、自分の思い出とっておこう、
ってことで予約したら、承知してくれたんです。
帰って一日経ったら「だめだ」って言われた。
どこがだめなのかわかんない。

大好きな女が
「日曜日デートしてあげるわ」ってルンルンってしてたらですね、
土曜日の夜に「あなたとはお会いできません」とかね。
いうくらいのショック。
哀しかった。敬愛してたから。
そこで、木滑、秋元、周防ってそういう人達と宴会しようと思ってた。
僕が頼みに行ったんで、
「ああいう不良が来たら困る」ってことになったんじゃないですか。
いつかどこかの大統領になったら、
稲垣の前を取り囲んでシュプレーヒコールしてやろうかな、って思ってます(笑)


でももうないんですからね。



――そうですね。


「百瀬家の謎」
百瀬家では2階には上ってはいけない
という決まりがあったとのことですが。


――僕は柳橋1丁目13番地の3ってとこに住んでまして。
そこの2階っていうのはですね、
「僕の刀」を読んでくだされば書いてあるんですが。
僕の父親の乾分に5馬力の徳松っていうのがいて、
ある不良の事務所にダイナマイトを投げ込んだ。
大事件。
それをやれっていったのが僕の父親ってことで、刑事が逮捕に来た。
「わかりました。今行きます。着替えます」
ってことで、ひとりだけついてきた。
そしたら、洋服ダンスから刀を出して、
「このやろう」っていう話をしたら、刑事がさっと下がった。
そして、部屋から出た瞬間に、壁がくるんと回って、乾分の福井の家に抜けた。
そしたら、こちらから何をやってもだめ。体当たりしてもだめ。
で、そのまま悠々と逃げてしまった。
っていう忍者屋敷みたいな家に住んでたんですよ。
気配りのちゃんといい家だったんですよ。いまだに気が付きますよ。

僕の若い乾分みたいな人がずーっといますけど、まーずですね、
「お父さんのお給料あがるかしら」
「今度映画連れて行ってくれるかしら」
とかねそんなことばっかし言ってるお母さんの子供だったから、
まず気が利かない。

うちの父親は、池・川に行く時は
必ず長い竹の棒を持っていけ、っていう人でした。
自分は水の中に入らないで、棒につかまらせて助けろ。とかね。
そういう父親でした。
女の人3人くらい助けたいな、って思ってたんですけど、
今だに助けられないままこのとしになってしまいました。


今そのおうちは?



――第二次世界大戦で、アメリカ軍の空襲で焼けてしまった。


「銭湯」



――一番の思い出は、市川に「松の湯」っていうのがあって、
父親と小学校5年生の僕とで行った。そしたら、熱くて入れなかった。
「熱くて入れないよ」って言ったら、
「女湯の人は入ってますよ」って言うんです。
そしたら、男湯と女湯って、後ろから繋がってるんですけど、
戸を開けて入っていったんですよ。
女の人がくっと見てきました。
キャーなんて言う人はいませんでしたね。

その時のうちの父親は最高でしたね。
「みなさん温泉だと思ってよろしくお願いいたします」
ってぱかーって入っていった。
僕がまごまごしてたら、「坊主早く入れ」てね。
そしたら「じゃあお先に」っておやじだけ先に出て行っちゃったんですよ。
で僕だけ入ってたんですよ。
そしたらそこにいたおばさんが、
「あんたのおやじってばかかい」って言ってるんで、
「ばかじゃないやい」って言ったんですよ。
そういうおもしろいおやじでした。
アントニオ猪木の上を行くくらい非常識ですね。
やっぱり、嫌われる程の個性がある、
それくらい間抜けの男が世間に一人くらい居てもいいんじゃないかな
って今は思ってます。
すごいかっこよかった。
戸を開ければ女が待っているっていうくらいの軟派じいさんでしたよ。


百瀬さんが後を継いでるわけですね。


――まあね。
おやじから比べればたいしたことないですけど。

エンディング

ガラスの外でですね水道橋博士が見てくれてるんで、
はりきれてとってもよかった。
僕は人が見てると、相撲でも喧嘩でもナンパでも必ず勝つ。
見ていてくれたほうが実力がでるってところがあるんで、
番組があっても、毎週毎週ここへ来て、
ずっと見ててもらいたいなって思いますね。


来週も来てそうですよ。
いいんですね? 入り待ち出待ちで。



――いいですよ。
本当はここでだっこして
二人で横っぱらくすぐりながらお話したいな、っていうくらいで。(笑)

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