中野翠著「中野シネマ」書評  文・水道橋博士
当初掲載予定であった新潮社「波」より 


映画の感想・評論をまとめた本の感想を語るのは難しい。
そこで、まずボクのこの種の本に抱く持論について語らせてもらおう。
まず、映画について語る文章があるとき、
語る本人が何者であるかを表明していない文章は面白くない。
最低限、男なのか女なのか、そのいずれでもない者なのか。
その性差や嗜好ははっきりさせて、いただきたい。

例えば、昔「フィールド・オブ・ドリームス」の映画宣伝で、
某映画評論家が
「私が見てきた何千本の映画の中で、一番感動した」
〜とか言ってるのを聞いてボクは
「いけすかねぇなあ〜」と思った。
何故そう思ったかと言うと、その映画が、原作のほうが断然、
ボクにとって素晴らしかったから〜と言う極めて個人的な理由がまず一つ。
さらに、そのおかまの評論家が映画フアンを代表して
テレビCMで堂々と恥ずかしげもなく発言できてしまう、
その分不相応さにどうにもこうにも下品で嫌気がしたのだ。
映画にとって「逆宣伝ではないか」とさえ思った。

もっと言えば、このおかまの評論家がよく言う
「最近の観客が勉強不足なのよ〜」と言う物言いが、
「勉強する気にさせないおまえが
 映画の魅力を伝えるプロとして勉強不足なんじゃ〜」
と言いたくなるのだ。
映画の面白さを伝える職業には年季や品がいるものだとボクは思う。
つきつめて言えば、量であり技であり芸である。
つまり、映画論を語る人は自分にとって映画を面白い、
面白くないを判定する言葉そのものが面白くなくてはならない。

映画好きの大多数の人は映画を見ている瞬間すらも、
それを語り始める自分を想定しているはずだ。
その意味で映画館を出た後、
特に傑作と言われている作品が自分の好みでない場合、
なぜ自分には好みでないのか〜言葉を探すことがある。
他人が「好き」な理由をいくら挙げていても反論を見いだせず、
自分が「嫌い」な理由が、なぜだか、
しっくりくる言葉や例え話が思い付かない、モヤモヤなんて時だ。
このところ、注目されている、香港のウォン・カーフェイ作品なんかが、
ボクにはその一つだった。

映画が自分の好みではない程度なら、まだ気にとめないが、
「おしゃれ」「最先端」などのキーワードで
雑誌などに取り上げられ始めた日にゃあ、
「なんでそうなるの?」的な怒りすら、沸いていた。
だって、こちとらの感想はその正反対のところにあるのだから。

そんな折りに純粋に楽屋話なのだが、
ビートたけし監督が「恋する惑星」を評して
「あんなもん、貧相で、貧乏くさい」と、一言で切って捨てた。
もちろん、殿(ビートたけし)もタランティーノが絶賛し、
世界的な評価が高まっているなかで、
どれどれと興味をもって見たらしい。
なるほど。殿もそう思うのか〜。
観客としても弟子としても、ちょっと安心した。

この「中野シネマ」を読んでいて、その一言を思いだした箇所がある。
最近のアジア映画を世評ほど好みではない、
と語る中野さんはその理由を「見た目が嫌なのだ」と言い切る。
映画を語るのに、お〜なんと嫌みな大上段な独断をする女なのだと、
読んでいるこちらも身構える。そして、
「87年に韓国の田舎を旅していたとき、
 男の人たちが革靴のカカトを踏みつぶして
 スリッパのようにしてはいているのをたびたび見かけた。
 こういうときは、浮薄な私は人間よりも革靴のほうの気持に
 ふみつぶされてねじ曲げられて痛い気持ちになってしまい、
「「しよせん<近代>が身に付かないんだよー、
  こんなかっこ悪いことになるんだったら
  <近代化>なんてやめたほうがいいんだよー」
  とヤケクソ的な言葉をつぶやくのだった。」
と息巻く。

なるほどね〜さすが「説教芸者」とボクはうなずく。
そして、アメリカ人であるタランティーノがいくら影響を受けようとも、
香港映画のファッション感覚や色彩感覚に
「日本人の私には距離が近すぎて
 近親憎悪的うっとうしさをぬぐい切れないのだ。」
と書く。

そうか、そうか、なのだ。香港映画には、
ボクの内部にそういう受け入れられぬモノがあったのだが、
なかなか自分の言葉では、わからなかったな〜と思う。
この本のなかに、溢れかえる独断的な印象、映画的記憶の言葉の引用、
切れのあるフレーズ、好き嫌いの分別は実に挑発的で、
「そうそう」と「そりゃあ、ねぇだろう」の発言を
こちら(読者)に求めてくる。
 
著者が女性であること、年齢、経歴、見てきた映画など、
本人の立場が明確で、面白い。
そしてボク的には「そうそう」率80%の高率でありながら、
20%しか「違うだろう」と打ち返せないのが、悔しかったりする。
なにしろ、こちらは圧倒的に見ていない映画が多すぎるのだ。
こういうときこそ、勉強不足を悔いさせてくれる。
で、大事な事は、ここに書かれてあるボク(読者)が
未見の古今東西の映画を「見る」気にさせるか、どうかである。

「面白い」とお奨めされるものを「見たい」と思わせることこそ、
映画にかかわる文章のプロに必要なことだが、
「面白くない」と言い切る映画まで、なぜそこまで言うのか
「見たい」気分にさせるのが、プロの文章家の腕であると思うのだ。
(その意味では、名指しで悪いがボクは「おすぎに名文なし」と思う)

とにかく、この本は、映画の見どころそのものより、
何故この映画は、私にとって、面白いのか、
さらに、私にとって何故面白くないのか確かめるためにも
映画を見る気分をそそられる本だと思う。

 

 

 

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