| 自分好みの芸人になること
文・水道橋博士
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「江戸前で笑いたい」編・高田文夫(筑摩書房)より。 |
96年7月28の日刊スポーツ「トークスペシャル」より 「この間のフジテレビの30時間テレビをやった時、 これで金をもらっていいのだろうかとつくづく思ったよ。
テレビ文化のガンは俺だなと思った。今のタレントは、 ただ座って人のやってることを適当に面白くアドリブでしゃべるだけで、 芸なんかないでしょ。
『おまえが作ったんだって』言われそうだけど、 あの手軽さを後から出てくるヤツが、みんなマネしてしまったんだな」 とは、テレビタレント、ビートたけしの言葉だ。
* 今年(1996年)の2月、 浅草の「ロックンロック」へ初めて足を運んだ。 浅草演芸ホールの隣に平成6年新装したこのレストランシアターは、
食事とショーを楽しめる劇場でありながら、 演目はダンスをはさんだコントという、 昔ながらの軽演劇(もはや死語か?)を あの欽ちゃん(萩本欽一)の総合演出で上演している。
僕がここへ足を向けた、お目当ては、 座長の”佐藤あつし”だった。 元AKIKOリーダー・あつし、と言っても、 お笑いに興味のない人には、何を通じない名前だろう。
AKIKOは、平成2〜4年、約2年ほど活動した3人組のコントチームだった。 短身小躯のあつしの独特なアクションと色気のある表情、 そして現在「BOOMER」として、
レベルの高いコントを量産する河田貴一、伊勢浩二の 芸達者二人を擁したAKIKOは、次代の東京お笑い界の本命馬と言われた、 絶対売れるハズのグループだった。
僕の中にも、彼らに特別な”想い”がある。 同じ舞台に立った芸人であれば、必ず、芸人同士で相通じる感覚があるbb。 例えば、殿(ビートたけし)は、
「漫才師として、同じ舞台に立ったとき、絶対かなわない、 負けたと思ったのは、Wヤングだけだった」 とその想い出を語る。
あの新旧、そして東西の芸人が入り乱れ、時代の波とともに大戦争だった、 漫才ブームの中で最も手強い相手と名前をあげるのが、 ブームに乗りそこねた
Wヤング(と言っても中田軍冶さんの自殺のためだが) であることに当時は観客であった僕らは違和感を感じるbbが、 同じ次代、同じ舞台に立った芸人のみぞ知る感覚、実力の度合いは、
その本人にしかわからないものだ。 AKIKOの舞台の上での”お笑い最大瞬間風速”は、 当時、確かに無敵だったし、 演芸独自の客席を巻き込んだグルーブ感はケタ外れだった。
そして、その日の浅草の舞台で座長をつとめる”あつし”は、 僕にとって昔と変わらぬ、同じ芸人すらも、 シットをおぼえるほどの魅力を以前のようにもち続けていた。
芸人は終わっていないのだな・・・・。 「ゴールのないマラソン」と自らの職業をたとえたのは、 プロレスラーの武藤 敬司だったが、あつしを見ていて、その言葉を思い返した。
舞台終了後、一緒に行った西条昇さんに連れられて、 (『東京コメディアンの逆襲』を最近、上梓した。 この本を読む方には、ぜひ併読をおススめします)
楽屋を訪ねたら、大将(萩本欽一)が、 出演者に念入りなダメ出しをされていた。 この日、決して満員とは言えない劇場の舞台のあつし、
そして舞台裏での大将の姿が目に焼きついた。 * お笑いについて感傷的な話を書きたいわけではない。 *
この夏のアトランタ。 オリンピックでも、アマチュアかプロか、 スポーツの世界でもそのカキネ年々、取りはらわれていく。 そんなアイマイな仕切の中でも、それでもはっきりとわかることがある。
スポーツの世界には「記録」がある。 記録こそが勝負の判定を決め、選手の優劣を浮かび上がらせる。 例えば、3年前には誰も知らなかった、当時21歳の若造、鈴木一朗くんが、
1シーズンで200本の安打を積み上げることによって、 史上空前の「記録」を残し、天才打者として、 日本で最も有名な鈴木クンになってしまうのが
「プロ」 のスポーツの世界なのである。 たぶん、野球の神様に見そめられたとしか思えないのがイチローなのである。 イチローの話が書きたい訳でもないのだ。
お笑いの世界では、 芸人がプロ意識を持つことがドンドンと困難になっている。 沸かせた舞台、放ったギャグや、受けたネタが数字(安打)として、
積み上げられることやカウントされることがない。 バラエティ番組の視聴率やタレントの好感度などの数字が、 本来のお笑いの面白さとは別物であることは、
もう観客や視聴者も気付いていることだ。 格闘技雑誌の流行のフレーズで言えば、 お笑いの数値としては「測定不能」なのである。 絶対値もなければ「記録」もないのだ。
そして、今や「プロ」の芸人と「シロート」の境目すら、 ますますあやふやである。 本来最も「プロ」の芸人と呼ばれるべき落語家や、純然たる漫才師が、
テレビに出ると時代遅れの骨董品のように扱われ、 逆に、あたりさわりのない役者や口下手な料理人、インチキ坊主、 口の悪い政治家、ホモ作家、訛る田舎者、元プロ野球ヤジ将軍、
オリンピックあがりのお調子者なんかが、 TV受けするお茶 の間にとって面白い人なのである。 「ボケ」と呼ばれる本来のお笑いの役割が、
ますます「プロ」の芸人から、シロートへ移行してるのだろう。 そんな状況の中で、 東京の「お笑い人」の中で台頭しているのは、
いじめられっ子型の斬られ役ボケ芸人、 和製フォレスト・ガンプというべき 「松村」「ウド」「出川」の3バカ大将であると思う。
彼等に共通することは、 一般に”笑われている”と思われがちであり、 一見、「シロート」に見られがちなことだ。 しかし、ウドちゃんは漫才コンビ「キャイ〜ン」のボケ役として、
相方のとっちゃん坊や天野クンの名操縦のもと、 舞台の上では腕のある漫才師なのである。 永六輔先生によると、昭和20年代の千太万吉以来の本格派らしい。
出川クンにしても「劇団シャララ」を主宰する舞台人でもあり、 くどい程の低姿勢でありながらも 本人曰く 横浜一のワルであったらしい。(あまり関係ないが)
そして、松村クンは、 数値がわからないTお笑いUを、あえて数値の競技でたとえるなら 100m走において9秒台のタイムを出せるような
お笑いだけが突 出した才能の持ち主である。 (もっとも、談志、たけし、高田レベルになると 僕らには100mを8秒台で 走り抜けたと思ってたりする。
でもこれは、年配の野球好きが、沢村栄治や 稲尾和久が 160キロの球を投げていたなんて言う、伝説の域なのだろ) 松村邦洋、別名・日本で最も芸能
I Q の高いデブ。 彼は、やはり東京の若手お笑い界では今、トップランナーであろう。 このデブは、どうやらお笑いの神様に見そめられた「プロ」の芸人だ。
なにかまるで神に選ばれてお笑いの日常を強制されているような気もする。 例えば、昨年(1995年)3月20日、地下鉄サリン事件の発生日だった。
テレビのバラエティ番組の多くが急遽、報道番組に切り替えられた。 この日、松村は偶然にもフジテレビ『笑っていいとも』の テレフォンショッキングのゲストに出演予定であった。
御存じの通り、このコーナーの出演者はスタジオ中を 友人、知人からの花束で彩られ、祝電を束で受け取り、 一日天下のスポットライトを浴びる芸能人の栄えある
ヒノキ舞台であったりする訳だが、 この日の松村クンは、寝坊で事件の発生を知らず、 事務所からの電話で起こされ、交通マヒのため迎えの車も動かず、
地下鉄も不通、タクシーもつかまらず、 なんとかヒッチハイクでトラックに乗り込み、 珍道中の末ようやく新宿アルタに生放送直前たどりついた。
しかし、もちろん番組は中止。 せっかくの晴れ舞台なのに松村クンの出演はなかった。 そして翌日、松村クンがTV見ていると、
松村クンの紹介ということで、加納典明が『いいとも』出演していた。 マヌケなエピソードでありながらも、 なんともタイムリーなテンマツであることか。
事件翌日から、バラエティ番組の中で、 サリンやオウムの言葉がまるで事件など起こっていないかのような アンタッチャブルな話題となり、実に不自由な放送を強いられる中で
松村クンのみが、三日後のニッポン放送の『ビバリー昼ズ』の中で この日の出来事を高田先生にリードされるまま、 サリン事件の被害者として”笑い話”として自由奔放に語っていたのだ。
こんな話は生涯の持ちネタだ。 (一方、芸人生活10年で初めて出演した「いいとも」の 『テレフォンショッキング』で、変装免許証を披露したため、
警察に目をつけられ、書類送検で長期謹慎生活の憂き目にあった僕などは、 お笑いの”厄病神”に見そめられたとしか思えない) 実際、松村クンは日本テレビの『電波少年』に代表されるように、
ロッキー山脈で野生の熊に遭遇し、オーストラリアの人喰いワニと闘い、 ザイールでマウンテンゴリラに襲われる、 PKО部隊もビックリの体を張ったお笑い派兵ぶりの
一方で、 プライベートでは高校生に自宅を襲撃され、 道を歩けば、すれ違う酔っぱらいグループに拉致され、 見ず知らずの人たちに囲まれ、全裸で宴会芸を強要されるという、
ありとあらゆる大災難が松村クンの身には次々とふりかかる。 にもかかわらず、すべてが笑いの神様が与えてくれるエサとして、 お笑い肥満の養分となり、このナチュラルボーンコメディアンを大きく育てるのだ。
最近では、TVの中で”脱糞”までくりひろげ、 悪びれるでもなく、文字通り、“芸の肥やし”としているあたり、 行き着く先はどこまであるのかと、心配にもなる程だ。 そして、もともと、芸人としては、
ビートたけしのモノマネでデビューした松村クンが、 たけし世代の芸人の出世頭でありながら、 その芸風において、たけしのコピーに陥らず、
その出発点にもかかわらず、たけしからの束縛のない位置にいるようだ。 TVのお笑いが「ビートたけし」以降、 その影響下の中で動いてきたことは、間違いないことだろう。
そして、つい最近まで、東京のお笑いの人たちが、 ビートたけしの指し示す方向にり、差し出す指に 「この指止まれ」よろしく集まっていたハズだ。
ある意味で芸能界たけし系列の人たちが、 この世界特有の上意下達の縦社会の中で、 殿への御奉公人となっていく構造が確実にあった。
その中で、松村クンもビートたけし派閥でありながらも、 その縦社会を飛び出し、むしろ“横社会”で芸能界を縦横に出入りしている。 例えば(1995年)4月4日のテレビ欄をみても、
19:00から21:00が 日本テレビ『電波少年インターナショナル』、 その裏番組がフジテレビで『平成初恋講義特別編』、 そして21:00からTBS『タモリのTVジャングル特大版』、
その裏番組『なるほど!ザ・ワールド・スペシャル』、 実に、4時間にわたって表裏のテレビ番組に無節操に出没しているのだ。 (これは、テレビ界の暗黙のルールの中では、珍しい特例であろう)
たけし、タモリ、さんま、とんねるず、ダウンタウンら、 いわゆる座長芸人の下に”棲み分け”されている世界の中で、 松村クンは生来の子分肌で、どこの親分にも頭を下げ、ワラジを脱ぎ、
そして、かわいがられている。 (この縦社会での反復横飛びの芸能運動能力の良さは、 ウド・出川にも共通するこだ) 丁度、右記の番組が収録中には、通常のTVレギュラー番組に加え、
ドラマに主演、2本のラジオ番組を加えての仕事であるのだから。 才能の証明の1つが仕事の量だとしたら、 24時間『どっきりカメラ』に追われてるような日常を送る
松村クンの仕事の量はその体重のように今後も増え続けていくのだろう。 愛くるしいデブをおだてるのもこれくらいにして。 さて、3バカ大将の追い風はまだまだ続くが、
今、東京のテレビ界の流れの中では、逆流しながらも、 ポジションを築くべき位置にいる保守本流派の芸人も いるのだ。 「爆笑問題」は芸歴も長い。
大手、太田プロから、移籍、独立という、 芸能界的にはマイナス要因となる足踏みを経て、今なお、 「ツービート」スタイルの新ネタ作り続け、舞台の客前に立つ姿勢は、
芸人としてのスパンの長さを見すえている。 5年前、演芸専門誌『東京かわら版』に、漫才師のネタ作りに対して僕は、 「帰るべき古典は元からなく、
また反復が円熟という名の評価を与えられることもない」 と書いた。そして漫才師そのものについて、 「一度は大きなブームで、日本中を席巻しても、
漫才師はT生涯芸人Uであり続ける落語家を、 高楊子をくわえた武士ように思ったハズです。 漫才は常にテレビを終着駅にした片道切符であり、
ゴールは脱漫才であることでした。 まぁ、それはそれでも構いません。 芸能人になりたいのか、芸人になりたいのかが問題です」 と記したことがあった。
彼らはタレントではなく、 漫才師としての実践にこだわりを持ち続けているようだ。 そして、最近では「コント山口君と竹田君」の弟筋にあたる
「海砂利水魚」の活躍も目につく。 かけ合いの言葉をドタバタを、突発的なギャグレベルではなく、 一本の筋の中に、巧妙におりこむ彼らの漫才は、
スタイルとしてはオーソドックスで、 NHKの昔ながらの演芸番組でも出演可能でありながら、 古さではなく新しさを感じさせる。
殿の 「芸人にとってのネタは、新しいものはないように見えても、 時代と共にパターンを繰り返しながらも、 先輩の到着点を出発点にすれば、ラセン状にレベ
ルアップしているものだ」 という言葉を想いかえさせる。 ところが、爆笑や海砂利(そして僕ら浅草キッド)が、 あたりさわりのないバラエティ番組に出演した際のはじきれず、馴染めず、
居心地の悪さは、3バカ大将とは対照的にリアクション中心のテレビ芸の中では、 不向きな居場所のなさを感じる。 逆に言えば、その居心地の悪さ・・・こそが、
自分たちの笑いを漫才の舞台のように自作自演で、 やるつもりがあるT意志表示Uでもあるのだが・・・ * 「最近のTVバラエティは、
お笑い界の大御所の人達がお笑いがまだあると信じている 純粋なバカな若手芸人の面白さの上前をハネている」bb とは評論家・神足ハゲチャビン先生の指摘である。
確かに大阪に比べれば、 東京でTお笑いがまだあるUと思い続けることは困難だ。 まず小屋がない。 舞台がない。演芸番組がない。さらに芸人に番付がない。
芸人らしさが強ければ強いほど、TVの需要がない。 そしてT上前をハネているUか。 なるほど、さっき書いてきた、 松村・ウド・出川のスリーカードはカードを巧みに操る
大御所ディーラーの胴元への高額上納金負担者でもある。 そんな指摘の中で、TVバラエティのボスに上納金を収めることもなく、 それどころか自ら借金を重ね続け、手打ちのライブを打ち続け、
客を育て、自給自足のお笑いを成り立たせているのが、 大川総裁率いる大川興業である。 大川興業は、プライドを持ってプロの芸人を育て、
純粋でバカな若手芸人の”お笑いがまだある”ことを 証明するための実行部隊であろう。 江頭2:50のような放送コードを綱渡りするような曲芸。
「NO FUTURE」とパンクミュージシャンのように絶賛されるキワモノが、 東京で大川興業以外から出てこれるはずがない。 最近の大川興業の本公演を見ると、
今まで故意に投げ続けたような、ネタのデッドボールが極端に減り、 ”泥看板役者”江頭だけでなく、 構成員1人1人のキャラクターが芝居を支えるようになっていた。
でありながら、 彼らは芝居好きの訓練された劇団員ではなく、 それぞれに構成員が「男同士」「ふうりんかざん」 「松本ハウス」「プリオ」とコンビを組んで、ライブにで続けているのだ。
特にハウス加賀谷は『電波少年』に進出し、 3バカ大将をさらに上回る、天然最終兵器として大きなインパクトを与えている。 彼らは、日本一経済効率の悪い笑いを提供する芸能集団でありながら、
東京で一番プロ意識の高い芸人集団だと僕は思う。 総裁の雑誌連載も増え続け、一般にも支持者が増え、 観客動員も中野サンプラザをも満員にした。
大川興業がその志向を変え、 今や西の吉本興業が牛耳るTVのお笑い界の 陣取りゲームに参加する意志を今後も持っていくのだろうか。
* さて、ここで言い訳として、 演者である僕がなぜ、こんな文章を書いているのか。 先述の『東京かわら版』に 「あなたも漫才師になれる」と連載を持った時も、
若造がヒョウロン家ヅラして何を偉そうに語っているのかと、 自分自身に充分に疑問を持った。 * 一昨年(1994年)『浅ヤン』(テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』)の
ロケで、初めて話して頂いた、談志師匠にこの疑問をぶつけた。 「それは言い訳だ。 芸人は芸だけでは気が済まない。 言い訳したいんだ。言い訳したいから話すんだ。
話すだけでは収まらないから記すんだ。 そんなことは、自分が欲するからやってんだ。 自分が好きでやってることをなんで人の評判で気にかける、
自分のことは、自分で認めてやればいいんだ。 芸人なんて、自分の好みになるのが一番いいんだよ」 * 談志師匠が『現代落語論』を記したのは、28歳の時だった。
お笑いに「記録」がある場合もあるのだ。 * 最後に、96年7月、ビートたけしが事故から復帰後、 初めての監督作品『キッズ・リターン』が公開され、
国内外で高い評価を受けた。 さまざまの挫折の末に主人公の2人の青年は、ラストシーンで語る。 「僕たちこれで終わったわけじゃないですよね?」
「バカヤロー、まだ始まってもいねぇよ」 * ボクサー辰吉丈一郎の敗北と、 自分自身のバイク事故からの復帰を重ね合わせた時に出てきた言葉である、
とは監督のコメントである。 しかし、タレントたけしだけでなく、 監督北野武も、僕にとっては、常に芸人ビートたけしである。
その言葉は、”芸人の日常”を確認させるメッセージでもあった。 |