★キッド推奨インタビュー
| アントニオ猪木
超ロングインタビュー | |
Show著『オーバー・ザ・シュート』より |
巻頭提言
我が弟子たちへ、愛をこめて 闘いを志す者は、 アントニオ猪木という重力から逃れられない定めにあるのか?
いまや多くの戦士たちが猪木のもとに集おうとしている。 小川直也、橋木真也、藤田和之、桜庭和志、佐竹雅昭…… 彼らが求めるものは、それぞれの「猪木イズム」なのか?
今回はUFO主宰の立場を離れて、 アントニオ猪木」として登場! (インタビュアー:Show) あんとにお・いのき◎本名・猪木寛至(いのき・かんじ)。
1943年2月20日生まれ、神奈川県横浜市出身。 AB型。190センチ、102キロ、60年9月30日、 東京・台東体育館での大木金太郎戦でデビュー。
日本プロレス(一時期は東京プロレスにも所属〕脱退後、 72年に新日本プロレス設立。 以来、マット界に不滅の金字塔を打ちたてた。
98年4月4日、東京ドームで引退。 現在は新日本プロレスの海外事業部である UFO(世界格闘技連盟)のチェアマンとしてその辣腕を振るう。 大自然に抱かれて ――猪木さん、あらためてよろしくお願いします(と、名刺を渡す)。
猪木(聞き手の名刺の肩書きにある「世迷い人」の文字を見て) 血迷い人じゃないの、ンフフフフ
――あ、いきなりそうきますか。でも、そうかもしれないです(笑)。
この前取材で同行したパラオ共和国でも 猪木さんのダジャレが連続で聞けたので、嬉しかったんですよね。
猪木 うん(とニコリ)。
――あそこにいると、いろんなことがどうでもよくなるというか、 パラオの大自然と広い海が都会の喧騒を忘れさせてくれて、 自然と広い発想になれるので、やっぱり猪木さんが今回、
パラオに行ったのもそれが目的だったのかなあと思ったんですよ。
猪木 いや、そうじゃなくて、今川は仕事だから、完壁に。
――あ、『闘魂・猪木塾』をパラオで開催したんでしたよね。
猪木 もうひとつは今の現代ではあのすばらしい景色だとか 海を見る時間ていうかさ、そういうものがないでしょう。
知らないというか。たまたま俺は世界各国、 いろんなところに行ってるから、 そういうことを一人でも多くの人に気がついてほしいというか。
だから、まあ「すべてが小さいんだ」という発想に立たないとね。 ただまあ、現実にはそうは言ったって、 いろんな問題があるわけだけど、
どっかで心の中のズームのレンズを引いて見てみたり、 フォーカスの焦点を合わせることが大事なんじゃないかな。 ――先日僕らが行ったのは、
猪木さんに新たに贈られたという「猪木島パート2」なんですけど、 大きさが四万坪もあって、 僕らには広大すぎてよくわからなかったんですよね(苦笑)
猪木 まあ、でも結局その価値感なんてものは難しいんでね。 今までは、例えば山を切り開いてゴルフ場ができることで 価値感ができたりしたけど、
今は逆に、何も手をつけていないということが大事だったりね。
――もうひとつ「猪木島パート1」の方は 六万坪もあると聞いたんですけど、
僕らが行った島よりももっと広いんですね。
猪木 そうだねえ、結構広いんじゃないかなあ。 俺、計ったことがないから(笑)。
よく聞くのは陸上競技場が五つくらい、 とか、それよりも人きいとかさ。
――陸上競技場が五つ! いやあ凄いなあ。
ただ、猪木さんがそういう海外と日本を行き来する ということを考えた時に、僕は「緩急自在」というか、 緩くする時は緩く、締める時は締めるという意図があるのかな?
と思ったんですよ。
猪木 まあ、元々は俺が育ったブラジルの体験があろんで、 結局、なんていうのかなあ、 風とか、湿気の生暖かい部分とかっていう、
身体が覚えてる部分があってさパラオという国は 自分の故郷なわけじゃないんだけど、 キューバにしてもそうだし、 どこかで、どういうふうにたとえりゃあいいのかなあ……。
熱いフライパンにバターを乗っけた状態っていうのかな。 こだわったり、 いろんな世の中にあるものが溶け出していくような、
そんな気がするよね。
――そうだよなあ。
猪木 これはパラオに限ったことじゃなくてね。 モルジブもそうなんだけど、
今、これから我々がやらなきゃいけないのは、 サンゴが全滅しちゃってるんですね。 そのなかで、サンゴを養殖することに成功してる人たちがいてね。
まだ一般的には35%くらいの成功率なんだけど、 それを90%くらいにまでにした人間がいるんでね。 そういう人たちの思いを、世に出してあげたいと思うんだよね。
俺も多少の知識は持っているんだけど、 専門的な知識じゃないから、 逆にいえば俺たちの宣伝力をうまく使っていけばさ。
――世界的な環境保全ですね。
猪木 だからまあ、 最後に残された楽園というか楽園にしなきゃいけないんでね。 殺そうと思った力道山 ――ところで、先日『第2回力道山メモリアル』2000年3月11日、
(横浜アリーナ)という大会がありましたけど、 猪木さんが桜庭和志選手にスリーパーホールドをかけた 写真が表紙になっている
『メンズウォーカー』(2000年2月1日号/角川書店)に、 猪木さんの「眠れぬ友」という 師匠・力道山のことをうたった詩が載ってたじゃないですか。
猪木 うん。
――そこには「ついには殺そうと思った師匠(力道山)」 という部分があったりして、猪木さんの力道山に対する気持ちは
簡単なものではなかったんだなあ、と思ったんですよね。
猪木 そんなことは……、それはまあ、作文したんでね(苦笑)。 でもまあ、それ(殺そうと思ったこと)はあったよね、
事実ねえ。
――やっぱり当時はいろんな葛藤があったんでしょうね。
猪木 まあ、反抗期というかね、遅い反抗期だよね。
俺は親が早くに亡くなっちゃったから、 親に反抗するということがなかったんでね。 おじいちゃんとの関係ですからね。
それが十四歳くらいかなあ、 ハッキリした反抗期はあったんだけど、 その後に十七、十八歳の頃に力道山に弟子人りして、
大人の世界が見えてきて、 そういう中で理不尽な部分を感じてね。 今でいえば「愛のムチ」かもしれないけど、 とことん(力道山に)プライドが傷つけられた時代があったよね。
――で、『第2回力道山メモリアル』では ジャニーズJrのタッキー(滝沢秀明)とエキシビジョンというか、 試合をしましたけど、
名勝負になって、関係者の評判が凄くよかったじゃないですか。
猪木 フフン(とニヤリ)。
――聞くところによると、猪木さんの兄弟子にあたる、
亡くなったヒロ・マツダさんが生前に 「猪木という男は、相手がホウキであっても名勝負ができる」 と言ったことがあるそうなんですよ。
猪木 ンナハハハハ。
――相手は素人なのに、 あれだけ見ている人を満足させられる試合ができる 猪木さんの凄さを、あらためて認識させられたんです。
猪木 まあ、他の選手が情けねえなあと思うよね。 プロなの? っていうね。 プロ同士がやってるんだからね。
――で、今日はぜひ聞きたかったんですけど、
力道山というと、75年の末に十三回忌があって、 当時は新日本プロレスvs全日本プロレス&国際プロレス連合軍 というかたちで、凄い興行戦争をしたじゃないですか。
猪木 あったねえ。
――全日本&国際プロレスの連合軍は、 12月11日に日本武道館に豪華メンバーを呼んで、 派手に開催したのに対して、
新日本プロレスは同日に蔵前国技館で猪木vsビル・ロビンソン戦 一本で勝負したんですけど、 逆にいうと、 あれは別らかに新日本が除け者にされていたわけですよね。
猪木 あの時は「十三回忌の大会を開催するから、 そこに新日本も出てくれ」ということを 『東京スポーツ』(東京スポーツ新聞社)を通じて言われてね。
それまでの経緯がありましたから、 こっちも「いや、それには出ない」 と言って突っ撥ねてたんですよね。
――それは猪木さんがNWAの総会に行っても門前払いを食ったり、
という意地悪をされてきたという経緯ですよね。
猪木 まあ、そうだね。 ただまあ、当時の全日本にとっては NWAが唯一の砦だったんじゃないですか?
絶対の価値感というのかな。 だから俺たちは元々NWAに関しては評価をしてなかったよね。 その総会の話にしてもそうだし、
そういう理.不尽な仕打ちを受けたということもあったからね。 ただ、それはね、東京プロレスの時代に遡ると、 もう一回同じことがあるんですよ(苦笑。)
――同じことというと?
猪木(日本プロレスが)絶対にNWAのメンバーには 入れさせなかったというね(苦笑)。 だから当時のサム・マソニック会長のいるセントルイスまで
乗り込んでいったこともあったし、 だから、ずーっとそういう歴史ですよ(苦笑)。
――まあ、時の全日本プロレスからすれば、
企業防衛をしただけなんだろうけど、 それでもお互いの団体で外国人選手を引き抜き合ったりして、 潰し合いをしてますよね。
猪木 一番キツかったのはダイナマイト・キッドかな?
――キッドですか。
猪木 空港に来て、そのまま(全日本へ) というのがあったからね(苦笑)。
たぶん、憎くて憎くてしょうがなかったんじゃない? もうひとつはそれだけ脅威だったんでしょうねえ。
――どう考えても共存共栄という感じではないですよね。
猪木 それはないよ、共存なんてね。 ヒーローと伝説 ――で、話を戻すと、結局、全日本&国際プロレスの開催した
十三回忌特別興行には出なかったと。
猪木 だからまあ、当時、そこに出ることは断ったんだけど、 「とりあえず東京スポーツ新聞社まで挨拶に行ってくれ」と、
言われて、挨拶に言ったら、 そこに百田敬子さん(力道山夫人)がいて、 「いやあ、しばらくです」と、そこでチラッと挨拶をしたら、
翌日の『東京スポーツ』に 「猪木が頭を下げた」という大見出しの記事が出て、 涙を流したことがあってね(苦笑)。
――『東京スポーツ』らしい話ですね(笑)。
猪木 まあ、今だったらどうってことはないんだけど、 当時はやっぱりね(苦笑)。
というのは、その挨拶をした翌日に、 たまたま、電車乗らなければならない用事があって、 電車に乗ったんだよ。そしたら、その記事が出てるんだよ。
それが悔しくてねえ(しみじみ)。 ま、百田敬子さん本人にはそんな意図はなかったと思うんだ。 ただ、その裏にはいろんなのがついてたからねえ。
――いろんな確執があったんでしょうからねえ。
猪木 実際、あの当時、彼らの後ろには山口組がついてたでしょうしね。
――あ、そうだったんですか。
猪木 だから、いろんな人の思惑が交錯してたんだよね。
――そんななかで、猪木さんはロビンソンと闘って、 60分フルタイムドローの名勝負を残したんですけど、
当時のロビンソンは国際のエースだったわけですよね。
猪木 そうそう。
――ということは、明らかにマット界の軸が崩れているというか。
猪木 軸を崩すのが得意だから、ンフフン。
――得意(笑)。
猪木 ただまあ、これは新間(寿・当時の新日本営業本部長)は
噛んでなかったんじゃないかな。 カール・ゴッチのラインなんじゃなかったかな。 ジョニー・パワーズにしても当時はゴッチのラインだったしね。
――今、そのロビンソンは高円寺で「UWFスネークピットジャパン」 というかたちでジムを持って、 日本でレスリングを教えていますよね。
猪木 不遇だよね、みんな俺たちが尊敬する先輩、 あるいは同年代であってもさ、その人たちがみんな、 過去には一度、栄光の座に就いたのに、
結局はプロレスを通じて輝いた人生を送ってもらえない という現実があってね、そういうケースか多いじゃない。 だから仮に美談にしたとしても、
今はファンの方が知ってるし、見抜かれちゃうからさ。 「何を嘘言ってやがんだ」と言われてしまうというね。 ロビンソンなんかは、もっと暖かくというか、
持てはやされてもいいと思うよね.。
――とはいえ、ロビンソンとの名勝負は「二〇世紀最高の試合」 とルー・チーズが絶賛したと言われているし、
力道山の十三回忌を飾るには最高だったんじゃ.ないですか?
猪木 結果としてはそうでしたよね。
――で、さっきゴッチの名前も出ましたけど、
猪木さんは新日本プロレスの旗揚げ戦(72年3月6日、 大田区体育館)でそのゴッチと闘ってるじゃないですか。
猪木 うん。
――もちろん、猪木さんから見て、 師匠である力道山とゴッチではまったく位置付けが違うんですよね。
猪木 これは全然違うね。
まあ、どちらがいい悪いじゃなくて、 力道山は選ばれた人というか、ヒーローでね。 ゴッチは努力した人というか。 だからヒーローというのはいやおうなしに伝説に残るけど、
「ゴッチ伝説」というのはたぶん消えていっちゃうと思うんだよね、 ただ、「ゴッチ伝説」というのは、 俺たちがあえて残した部分があって、
もしそれがなければ単なる選手であってさ。 実際に一時はハワイで清掃の仕事をしていたこともあったし。 ま、ひとつには老後というか、保険も含めて年金のことも考えてね。
だから、そこには自ずと選ばれた人と努力した人の……、 どちらがいいのかは知らないし、 一般的にいえば「努力した人」の方がいいんだけど、
もっと大きな視点に立では、 「選ばれた人」というのは変えようがないじゃない、 運命であるか、宿命であるかね
――ゴッチの話でいうと、今では「神様」と呼ばれていますけど、 72年に新日本プロレスが旗揚げするまでは(神様)、 とは呼ばれていなかった、ということを聞いたんです。
だから逆にいうと、 猪木さんがゴッチを「神様」に仕立.てあげてしまった、というか。
猪木 うん、そうかもしれないですね。
ドン底から再起 ――で、そのゴッチを語る上で、凄いなと思ったのは、 猪木さんがウイリアム・ルスカと
異種格闘技戦で闘う(76年2月6日、日本武道館)前に、 ルスカが猪木さんに辛辣なことを言ったのに対して、 ゴッチが近づいて行ってルスカの耳元で「殺すぞ!」
と囁いたという話があるそうですよね。
猪木 いやいや、もうみんな血気盛んだったからね。 言ってたかもしれないね、ンムフフフフ。
――当時、猪木さんはそのルスカもそうだし、 その後にモハメッド・アリと闘う(76年6月26日、日本武道館) わけですけど、
実際、その辺りで初めて世界に「アントニオ猪木」 という名前が知れ渡ったんだと思うんですね.。
猪木 当時から日本人は外電に弱いというのがありましたからね(苦笑)。
というのは、「プロレス」が新聞紙から遠ざかっていたなかで、 そういうことがあった時には載せざるを得ないわけでしょう。 だから結構、知恵は使ってましたよ、ンナハハハハ。
――実際、猪木さんはルスカをバックドロップの三連発で投げ捨てて、 勝利を飾るわけですけど、 バックドロップというのはテーズがアド・サンテルと沖職名さんに
「全米のテレビ中継用に見栄えのする技を開発してくれ」 というオファーがあった時に、 柔道の裏投げからヒントを得てつくった技だと
言われているじゃないですか。 要するに、柔道技の変形でルスカに勝つわけですよね。
猪木 そこまで考えてたのかわからないけどね(笑)。
どちらかといえば、柔道衣には掴むところがあるから 投げやすいんですよね。 レスリングの場合にはロックをしなければならないわけだから。
――で、その後にアリとも闘いましたけど、 ボクサーのアリを、どう料理しようと思ってたんですか?
猪木 もう3ラウンドあれば充分だと思ってたからね(とニヤリ)。
――えっ、3ラウンドで!? じゃあ結果的に15ラウンドのドローという形で終わったことは、 信じられなかったというか。
猪木 まあ、それ以前に大モメにモメてましたからね。 アリが連れてきた百人からの人間が毎晩のように凄い接待というか、 信じられないくらいの金額がかかってしまってね(苦笑)。
結局、リングに上がるのか上がらないのか、 というところの話になって。 で、今度は、いざリングに上がっても、 闘って帰ってきてないじゃないか、
ということを、言われましたからね。
――そういうかたちで世間的には酷評されてしまったわけですけど、 逆に嬉しい誤算としては、テレビの視聴率が再放送で32%、
生放送に至っては54%という驚異的な数字を弾き出して、 きっとテレビ局としては「これは商売になる」 と思ったんだと思うんです。
実際、その後も「異種格闘技戦」というか 「格闘技世界一決定戦」というかたちで、 特別番組をゴールデンタイムで何度も行っているわけだし。
それは、きっと新日本としてもそうだったわけですよね。
猪木 いや、その前に借金を背撮っちゃったから(苦笑)。 番組を打ち切るか否かという部分で、
「こんな借財を背負ったん会社はテレビ局として抱えられないよ」 というね。
――そこまでなったんですか!
猪木 こっちもやむにやまれなくなりましてね。 結局、ま、テレビ局としては視聴率も取れるし、 取れるから、こっちにもギャラも入るし。
当時、試合で七千万とか八千万とか入ってきましたから。 だから「これは何年で返せるのかな」なんて思ってたのが、 数年で返せたわけだしね。
――じゃあ思ったよりも好転してたというか。
猪木 いや、そんな金勘定をしている余裕はなかったですよ。 当時はもう絶望のドン底というか(苦笑)。
借金を抱えて、名誉が崩れて……、 ただまあ、直りは早いから、 異種格闘技戦の評価も高まってきましたしね。 だからわりといい状態でいましたよ。
――で、アリと闘って、その中年後にアクラム・ぺールワンと闘う一 76年12月12日、パキスタンのカラチ・ナショナルスタジアム) わけですけど、これはどうしてそういうことになったんですか?
猪木 これは唯一、アリ戦を評価したというかね、 向こうから言ってきたんですよね。 パキスタンとの接点もそこからですよね。
で、ぺールワンとやって、その後に一族が挑戦してくると。 契約期閥が、週間だったと思うんだけど、 その間に来るのか来ないのか、来るのか来ないのか……、
毎日そんなことを考えていてね。
――実際、猪木さんはぺールワンの腕を折ってしまうんですけど、 なぜ折らないといけなくなったんですか?
猪木 折るも折らないも、それしか方法がないんだもん(苦笑)。 ワン・ツー・スリーなんかないんだから、 リングに上がるまでルールが決まらないんだから、
それでもリングに上がるしかないわけだしね。
――いやあ、でも半年の間にそれだけ話題が豊富だったら、 見ているファンとしてはたまらない展開ですよねえ。
猪木 そうですかねえ(と満面の笑みを浮かべる)。 なぜ闘うのか
――話は変わりますけど、 先日のパラオには藤田和之選手を連れて行って、
過去に猪木さんがウイリー・ウイリアムスと異種格闘技戦で闘う (80年2月27日、蔵前国技館)前に行った特訓を、 藤田選手に課した、ということでいいんでしょうか。
猪木 今回、彼は特訓はしてないから(苦笑)。 それよりもリラックスというか、エネルギーを溜める時間いうか、 (扁桃腺の)手術の後でもあったし、
それが早く治らないといけないんでね、。 「まだ傷が塞がっていない」とも言っていたし。 そういう意味では充電期間というか。
あの〜持続することは難しいことだから、 その波をうまくコントロールしてやらないと、 波が沈んできたところで、 いくら叱咤激励しても効果が薄いんだと思うね。
盛り上がってグワーツと高まっていく状態の時に、 集中した方が効果が上がると思うんですね。 そういう意味ではこれから藤田が集中してくれるとね。
――聞くところによると、 藤田選手が『PRIDE』に出ることが決まった時に 「プロレスを守るな、『PRIDE』を攻めろ!」
と言ったと聞いたんです。
猪木 そうかな?(笑)。 いやいや、だって(藤田は)「プロレスラー」を辞めたんだからま、
本人が「プロレスラー」を辞めようと辞めまいと、 それはついて回るけどね。 その中で「プロレスラー」だという意識を背負う必要はないからね。
逆にいえば小川(直也)なんか見ても、 自由な身でいられるじゃないですか。
――猪木さんは、藤田選手の『PRlDE・GP』
(2000年1月30日、東京ドーム)のハンス・ナイマン戦は ビデオなりで見ているんでしょうか?
猪木 う〜んと、見ましたよ。
――あの試合は、途中にナイマンが藤田選手の目の中に 指を入れてきたり、ルールを度外視したファイトを してきたじゃないですか。
猪木 いや、俺らもそんなことはやってきたからね。 ただ、一応『PRIDE』にはルールがあるからね。 反則はいけないことだと思うけど、そういうことも読みきれる
器量を持っていないとね。
――あ、読みきれる器量を。
猪木 うん。ただ、やられちゃった、 ということを後から言ったところでしょうがないわけでね。
やられないようにしておけばいいわけだからね。 ま、第一戦にしては上出来というか、 「負けてもいいよ」というくらいの気分でいけやと。
そうしないとね。やる前からプレッシャーで潰されちゃう。 ハッキリ言えば、ホントは扁桃腺を手術してから、 ゆっくり時間をかけて第一戦を迎えたかったろうけど、
それを逆転させちゃったからね。 ま、本人も大変だっただろうけど、 結果的にはよかったんじゃないの?
――いい結果が出ましたよね。藤田選手が『PRIDE・GP』
で紹介された時には「猪木イズム、最後の継承者」と、 言われてたんですよ。
猪木 勝手に「猪木イズム」って使われてもさあ、
俺はいい加減だから、イズムも何もねえんだよ(笑)。 だからまあ、あえてみんながそう思えばそれでいいし。
――みんながそう思えば(笑)。
で、『PRIDE』っていうと、パラオでも猪木さんには 聞きましたけど、ホイス・グレイシーがルールの変更を 要求してきて、猪木さんは
「だったら笛を持っていけよ。ホイッスル、なんてな(笑)」 とジョークを飛ばして「たいしたことじゃねえよ」という スタンスでいたと思うんですよ。
猪木 うん。
――というのは、さっきも話に出ましたけど、 猪木さんもかつては異種格闘技戦の時には ルール問題に悩まされてきた経験を持っているじゃないですか。
猪木 いや、まあ俺にはあんまりそういう意識はなかったよね、 あったかもしれないけど、まあ、いいじゃねえかと。 .結局、あの当時の「異種格闘技」というのは
不可能とされていたものだったからね、すべて.。
――確かに、当時は考えられない試合方法だったんでしょうね。
猪木 ところが今はそれが当たり前とされて、
異種格闘的な部分のルールが存在するけどね。 当時は、なぜルスカという柔道家と闘うのか。 なぜカラテ家と闘うのかって、
いつも「それは不可能だ」というのがついて回ってきてね。 どちらかがそれを飲まないかぎり、 「闘い」が成立しないじゃないですか。
だから「闘い」を成立させるためにこちらがそれを飲んだ、 というね。 だから今、そうやってルールがどうだとか言ってたってさ、
いいじゃない。ルールなんか飲んじまえば。 そんなことより、実際にやることの方に意義があるんだからさ。
――やることの方に意義がある!
ただ、ひとつその場合に問題になってくるのは、 今現在グレイシーが要求しているルールを飲むと、 確かに言い分としては「判定で決着するのはおかしい」とか
「時間制限があるのはおかしい」という主張はもっともなんたけど、 それだと試合中に膠着状態となったらどうするか、 といった部分で観客に対して、「プロ」として見るに堪えないものが
現出してしまうことなんですよね。
猪木 元々は「プロ」じゃないじゃん、あの人たちは。 アメリカじゃあ飯が食えないんじゃないですか、まったく。
だから日本のファンがハッキリ言えば“バカ”なんだろうな、 フフン。
――あ、やっぱり日本のファンは“バカ”でしたか(苦笑)。
猪木 まあ、でも“バカ”もいいんじゃないの? それもよしと思えば。 日本人というのはその点は単純だから(グレイシーも)
うまく世に出たんだろうね。 だから、それは決して否定はしないけどさ。 彼らも凄いものは持ってますからね。 ただ、アルティメット的なルールになっていくと、
どうしても打撃には弱いからね、 彼らは。体力差という問題が出てくるからね。 昔よく、言ったんだけど、ゴッチにしても、
テーズにしても、ま、俺の体型もそうなんですけどね。 185から190センチまでないくらいで、 95キロから1OOキロ少しいくかいかないか、
もちろん贅肉なしでね、 あとはコンディション的な部分、 動きの部分、いくら相手が大きくても体力負けをしないというね。
最近はみんな大きくなったのかもしれないけど、 究極でいうと、彼らはホントに大きな相手、 小川みたいな選手と闘う時には、
不利な部分が出てくるんじゃないかな。 「プロ」としての闘い
――さっき「グレイシーはプロじゃない」という話がありましたけど、
猪木さんは去年やった小川vs橋本真也戦(10月11日、東京ドーム) の後に「(新日本に)闘いが戻ってくればそれでいい」 と言っていたと思うんです。
猪木 うん。
――その「プロ」という部分と「闘い」という部分の兼ね合いというか、 サジ加減を間違えてしまうと、 まったくトンチンカンなものになってしまうというか。
猪木 『PRIDE』には「闘い」があるよね。 しかし「闘い」だけでしょう。 そうすると「プロ」としての欠落し部分が出てくる。
逆に表現という部分でいうと「プロ」ではあるけれども、 新日本を含めた「プロレス」には「闘い」 が薄れてきて魅力が欠けている。
そういう意味では、たまたま『PRIDE』との交流が、 ま、俺を通じてあるわけたけどね 。 それが藤田であったり、去年の小川(※99年7月6日、
横浜アリーナの『PRIDE.6』でゲーリー・グッドリッジと対戦) であったり、だからそれとは逆に佐竹(雅昭)や なんかが新日本のリングに上がっても面白いと思うけどね。
――で、グレイシーというか、先日の『PRIDE・GP』では ホイス・グレイシーと高田延彦選手が闘ったんですけど、 惜しくも判定で敗れてしまいましたよね。
猪木 だから「高田は一番弱い」って言ってるじゃない。
――確かに猪木さんは高田選手が、 最初にヒクソンに負けた時(97年10月11日、東京ドーム)
にもそう言っていました(苦笑)。
猪木 この前も本人に会いましたけどね (※『第2回力道山メモリアル』の出場に関して猪木と会談)。
ただ、まあ彼は面白い色気を持ってるから、 それはそれで、逆にいえば「プロ」として 魅力があるのかもしれないけどね。
――ただ、猪木さんが言う「一番弱い」高田選手が、 マット界に浸食してきたグレイシーに対して 「本来なら新日本が行くべきなのに行かないから、俺が行く」
というかたちで先陣をきって出ていった姿勢は 素敵だなあと思うんです。
猪木 そうね。その部分では時代に乗っているというか。
どうしても防御に回ってしまうからね。 そういう意味では、 最もその部分を感じている選手だとは思うんだけどね。 だから振り子みたいなもんで、自分の保守的な部分と、
積極的な部分とがうまく振れてるんじゃないですかね。
――やっぱり本来なら先を争っても、 一番乗りでやるべきだと思うんですよ。
猪木 まあ、ひとつには高田には 前田(日明)というライバルがいるという部分でしょうね。 それが当たってるかは俺にはよくわからないけど、
お互いに目に見えない部分があるんだろうね。 やっぱり前田がアレキサンダー・カレリンと闘って (99年2月21日、横浜アリーナ)、
勝っても負けても燃え尽きたいという部分があったり、 今度は船木(誠勝)がヒクソンとやるとなったり、 その辺が面白いんだろうね。
――そのヒクソンと船木選手の試合(5月26日、東京ドーム)は、 一説によると、法外なギャラをヒクソンに支払った、 と、言われていて、そういう話を聞くと、
少しバカらしくなるというか。
猪木 そうだねえ……、なんかちょっと。 でも、だいたいテレビ局が払うんだろうからいいんじゃない?(笑)
好きなようにやればさ。
――でもまあ、船木選手は 「ヒクソンに勝って、グレイシー幻想に決着をつけたい」 というようなことを言っていて、
それは是非お願いしたいと思うんです。
猪木 誰もそんなことを思ってないのにねえ? ただ、それを言わないと、価値観が上がってこないというだけでね。
だからまあ、あえて俺たちから見れば、 その闘いをやる意味はなんなの? というね。 そこにハッキリとしたテーマが見えてこないよね。
闘うこと、勝つことがテーマなのかもしれないけど、 それ以上に次ぎに何かつながってくるの? というね。ま、「連続性」とでも言うのかな?
そういうのが何も見えてこないからね。
――とはいえ、去年は「木村政彦がエリオ・グレイシーを下して以来」 と言われるくらい長い時間を経て、
四十八年ぶりに桜庭選手かホイラー・グレイシーから勝利した (99年11月21日、有明コロシアム)んですけど、 実際、猪木さんは桜庭選手をどう見たんでしょうか。
猪木 まあ、いいんじゃない。 ただ、残念なことに彼にも体力差というか体力差の 問題が出てくるよね。 それは逆にいえば、自分自身よりも体重をうまく使って、
頭脳を生かして闘っているんじゃないですかね。
――なるほど。それと、さっきも猪木さんが 「新日本のリングに上がったら面白い」とっていた
佐竹選手なんですけど、 「猪木さんに弟子入りしたい」という話があったじゃないですか。
猪木 佐竹に限らず、いっぱい来てますけどねえ。
たぶん「強い・弱い」を超えた部分で「プロ」ってなんなの? という部分を佐竹なんかは気がついたのかなあ。
――気がつきましたか。
猪木 だって、レスラーはいっぱいいるんだから、 俺のところに来なくたっていいわけだからね。
――『日刊スポーツ』(2000年1月15日付/日刊スポーツ新聞社)には
「猪木が佐竹、藤田、桜庭の新軍団『SFS』結成を呼びかけた」 と書いてあったんですけど、実際どんなかたちになるんでしょうか?
猪木 何も考えてないね、それは。
――あ、そうなんですか(苦笑)。
猪木 正直言って、前から言っていることだけど、
「プロレス」に関しては、早く足を洗いたいと思ってるんでね。 ただ、それは「宿命」という部分でしようがない、 と思ってるんだけどね。
――これは憶測なんですけど、 きっとそれと同じことを前田さんも思っているんじゃないかと 思うんです。 いくら強がりというか、「俺は前田や!」という態度でいても、
どっかでこの業界にノメり込めないというか。
猪木 まあ、それはどうかわかんないけど、キレるというかさ。 それが彼のキャラクターだから、それが面白いんじゃないの?
ただまあ立場上、今はもう現役じゃないんだから。 そうすると、彼も今度は経営者という立場になったわけでね。 噂によると、もう若い選手が前田についてきてないでしょう。
俺も詳しくは知らないけどさ。 せっかく若い選手は前田を信頼して慕ってきたのにね。 しかし、ある時は反発するかもしれないけど、
早く「前田がいたから俺がいるんだ」 と思われる人間になってもらいたいよね。
――はい。
猪木 だって、みんな俺から言わせれば可愛いヤツばっかりだもん、
実際に会えばね。 だから、たとえ、よそで何を言っても構わないけど、 俺と会った時の応対というか、それが事実だから。 最高の死に際 ――それから早いもので、ジャイアント馬場さんが亡くなって、
もう、一年以上経ってしまったんですけど、 それに関してはどんな思いがありますか?
猪木 なんか死んだような気はしないけどね。
――あ、そうですか。
猪木 うん。ちょうど一年前のお葬式の時にも日本にいなかったから、 そういう場面もテレビで見てないんでね。
――去年、武藤敬司選手とロスで対談をしていましたけど、 その模様が『アントニオ猪木vs武藤敬司 NBM V SPECIAL2』 というビデオにあったので、それを見ていたら
「(馬場には)道場では負けたことがない」 という猪木さんの言葉があったんです。
猪木 まあ、負けるも何もスタイルが違ったからね。
だから(スパーリングは)やらなかったよ、 途中からね。そこで二手に分かれて、ゴッチ流の方向と、 闘いを放棄してパフォーマンスの方向に流れていって、
これが「プロレスだよ」というふうになったわけだからね。
――そのなかで、やっぱり猪木さんは 馬場さんに対してジェラシーというか、
そういったものがあったわけですか。
猪木 当然でしょう。それは逆にいえば、彼もあったでしょうね。 年齢を取った段階で.「お前はいいよなあ」ってよく言われたからね。
――「お前はいいよなあ」ですか。
猪木 うん。「やりたいことをやってな」ってね。 そうでもないんだけどさ(苦笑)。 結局、攻められたら守らなきゃいけないでしょう。
そしたら自分のイメージを落とさないように巧みに守ってさ。 それは大変だったと思うよね。
――去年の今頃、猪木さんに話を聞いた時に、
「もし全日本がなかったとしても、新日本は残るだろうけど、 もし新日本がなくて全日本だけだったら、残っていたとしても 今の全日本というかたちでは残っていないだろうという言葉が
あったんです。
猪木 そうでしょうね。
――それは「闘い」という部分なんでしょうか。
猪木 それはまあ、みなさんが知っていた通り、
一般大衆があの人(馬場)に求めたのは、 日本人離れした特別な身体の人きさの キャラクターを生かした部分でしょうね。
ただ、馬場さんに夢を託した人がいるかといったら、 それがズバリひとつの答えだと。 それはどっちが偉いとか、 どうだとかはある時から考えたことはないんだけど、
結局、どうして比較されるかというのは、 こっちが嫌だと思ってもしょうがないことでね。
――どうしても比較しますからね。
猪木 だからあえていえば、そういう「馬場神話」というのは 一過性のテレビのなかで通っていただけのことでしょう。 だから馬場さんを偲んで……ということが起こってこないでしょう、
一年経ったのに。そうじゃないんですかねえ? それは結局、テレビっていうのは非常に「魔物」みたいな部分で、 視聴卒を取ればいい、というだけのもので、
俺なんかは過去に(政治)スキャンダルがあったし、 それは中味がどうであろうと、一度火がついちゃうと 止めようがなくて、日本のバカなテレビ局の抗争が始まるというね。
ま、でもあの人にとってはよかったんじゃないですか? 最高の死に際というか。
――最高の死に際だったと。
猪木 逆にいえば、ジャイアント馬場からの挑戦状で、 「三途の川で待っている」と。 ちょっとこれには参ったな、というね、ンナハハハハ。
――あ、三途の川で(苦笑)。 いや、でも最近は全日本プロレスの分裂騒動の噂があったりして、 「結局は末だに馬場夫人が実権を握っている」
とも言われたりするんですよね。
猪木 いや違う。馬場さんはもっとしたたかですよ。
――もっとしたたか?
猪木 奥さんを全面に押し出して、 自分はヘビーフェイスだという立場を守り抜いたというね。 それは夫婦間の絶妙なチームワークだったかもしれないし。
あるいは馬場という人が風貌とは違って、 非常に繊細だったり、頭脳的であったり、 そこがみんなは気がついてないというだけでね。
――その話を聞いたところで、あらためて聞きたいんですけど、 この前、橋本選手に対して挑発を続ける小川選手に、 猪木さんが「キャッチボールをするなら、ちゃんと相手の取れる
ボールを投げてやれ」と言ってたじゃないですか。 で、聞きたいのは当時の猪木さんは馬場さんに対して 取れるボールを投げていたのか、ということなんですよ。
猪木 取れるボールじゃないの? 相手が「闘う」という意識さえあればね。 でも、絶対にそれはわかりきった話で「闘えない」んだから。
――闘えない……。
猪木 だって俺たちがザ・ファンクスと闘ったタッグマッチの時にしても、 アブドーラ・ザ・ブッチヤー&タイガー・ジェット・シン
とタックで闘った時(79年8月26日、日本武道館)も、 相手に勝つとか勝たないというよりも、 まず俺にやられちゃうんじゃないかというのが
恐怖だったみたいだからね(苦笑)。 新日本の看板 ――じゃあそう考えていくと、 橋本選手なんかは特にパラオでは猪木さんから「死ね!」
とまで言われて、 過去に「ついには殺そうとまで思った師.匠(力道山)と思った、 当時の猪木さんと同様の思いを持ったんじゃないですかね。
猪木 そうね。思ったならやりゃあいいじゃん。 まあ、そこがみんな選手たちも一番みんな……、 殺人までしたらいけないけど、怒りというのかな?
この間(『第2回力道山メモリアル』での小川とのタッグ)にしたって、 「オガワァー」なんて「お前、ホントに怒ってるの?」 というマイクがあったけどね。
あれじゃさ、俺はホントに怒ってるんだ! というのをお客さんに伝えなきゃいけないのが「プロ」だから。 ホントには怒ってないのかもしれないけど、
しかし「怒ってるよ」というのを伝えなきゃいけないのが 「プロ」なんだからさ。 たぶん、あれだけやられてるんだから怒ってるんだろうね、
だったらなおさら怒っている表現を伝えなさやいけないよね。
――はい。 僕は猪木さんがパラオで言った「橋木死ね!」という言葉には、
逆に橋本選手に対する愛情を感じたんですよね。
猪木 それはね、新日本の屋台骨になってもらいたいからね。 ただ、このままじゃあ新日本の屋台骨にはなれないよ、
というね。だから今度は小川に「(橋本を)殺せ」って言ってみからね。 「死ね」じゃなくて「殺せ」ってね。 そのくらい過激じゃないと面白くないよ。
――「殺せ」(笑)。でも、その小川選手に対しても、 先程の『メンズウォーカー』誌上では 「小川もあんまり金の計算をしないことですね、
今は、あんまり金の計算をすると、計算をした瞬閉に 小さくなっちゃうのね」と猪木さんが懸念しているというか。
猪木 しょうがないけどね、
みんなお金を得るために生きてるんだからさ。 これは人に押しつける問題じゃないからね、 俺白身の人生観だからね。 でも、やっぱり金勘定ができちゃうとつまんないんじゃないのかな、
というね。その点では力道山というのはまったく計算していなかった。 というのはもの凄く計算高い人だったから。 当時は実入りが違うわけたからね。
何干万、億という金が毎日、どんどん入ってきたわけだからね。
――ああ、そうか、そうか。とはいえ、 小川vs橋本戦の話をすると、パラオから日本に帰ってきてみたら、
坂口征二会長が柔道衣を着て、丸坊主になった橋本選手と道場で 練習をしている写真がスポーツ新聞に載っていたので ビックリしたんですよ。
猪木 まあ、話題づくりもひとつの知恵だから、 やっぱり自分のキャラクターというものをアピールしてね。 抜き取りというのは変だけど、
自分を変革させていくというのもひとつの知恵だしね、 それができないヤツは死んでいくだけだからね。 今回のハルク・ホーガンの件(※WCWの業績不振により、
ホーガンが復帰した)がいい例だと思うんだよね。 どう変革できるのかわからないけど、 変革しないで、ずーっと過去の遺産を引きずったままきて、
結果としてドーンときた時に 手の打ちようがなくて右往左往しているというのが今の状況だから。
――といっても橋本選手は、つい最近まで「闘魂伝承」と言っていたのが、
新聞誌上では「世界の荒鷲襲名へ」となっていて、 凄く変わり身が早いというか、 調子がいいという部分が感じられて面白いですよね。
猪木 まあ、藤波(新日本プロレス社長)が仕掛けたんじゃないか、 という気がするけどね。
――あ、藤波社長かですか。
猪木 坂口征次さんの性格も知っているからね、 何かの突破口というか、 俺が出したメッセージを藤波なりに解釈したというか。
要するに、碓かが(橋木を)支えてやらないと。 それは「甘えるな」ということじゃなくて、 「新日本はお前に期待してるんだよ、必要なんだよ」
という意識を持つことが一番大事な時期なんだよね。 ま、「お前なんか必要ないよ」という空気がどんどん漂ってくれば、 結局、孤立化していく、孤立化してきた時に
「じゃあ俺は独立してでもやる」という力があればまた別だけど、 たぶんそういうところまで彼は強さを持ってないだろうからね。
――そこまでの強さはないと。
猪木 だから逆に「新日本」という看板を背負わせた方が、 彼にとってはプライドを刺激するんだろうね。
そこは非常に藤波が巧みにやったというか、 こんなのは種明かしをしちゃいけないんだけど(苦笑)。 たぶん、そういうことじゃないかなあという、
これは俺の憶測ですから、そういうふうに書いておいてください、 ンフフフ。 藤田の輝き ――ただ、『東スポ』(2000年3月14日付)によれば、
「本来なら(橋本の後ろ立ては)長州あたりが適任」 と猪木さんは言っていますよね。
猪木 ホントはね。だって橋本は一番、長州の信頼を失ってるから。
その意味ではね。
――その長州さんは藤波社長のことを 「俺なんかよりタカ派だ」と言っていたんですけど、 そういう部分を猪木さんも藤波社長からは感じますか?
猪木 新日本を変えたいと思ってますよね、藤波は。 ただ、持って生まれたものはそんな簡単に変わるもんじゃないから、 それは「タカ派」がいいのかどうかはわからないし、
状況によって変わってくるだろうし。 ただ、今は「権力」というのかな、 そういった指揮棒を振るわないといけない時期じゃないのかな。
それは俺に対しても言えることだけどね。 ダメなら辞めりゃあいいじゃない。 そのくらいの開き直った部分を持っていないと、.
そうしないと、何かを引きずったままじゃあやっていけないからね。 あれも守らなきゃ、これも守らなきゃ、 なんて、そんなことはできないんだよと。
どっかは犠牲にしなきゃいけない。
――取捨選択というか。
猪木 うん。その代わり、 優先順位をつけて「これは守るけど、これはしようがない」と。
そうすると、混乱が少しでも取れてくる。
――猪木さんはパラオで 「みんなの意見をまとめようとしてもまとまらないんだから、
会議なんかやればやるほど、会社が悪くなる」と言ってましたよね。
猪木 まとまらないよね、今はね。
――そんななかで長州さんは『週刊ゴング』
(2000年2月24日号/日本スポーツ出版社)のインタビューで 「今年はアントニオ猪木にチャレンジしようっていうのがある」 と言ってたんですけど、
やっぱり長州さんとしては藤田選手が猪木さんの下に 行ってしまったのがショックだったんだと思うんです。
猪木 そうじゃなくて、本人が望むところへ行けるように、
俺ができることをしただけで、 俺が「ああしろ、こうしろ」とは言ったことはないし、 それはみんなご存じの適り、 藤田は新日本から離れるはずだったでしょ?
で、たまたま『PRIDE』からの(出場要請の)話も前からあったし。 ただ、あった時に話を持ち込んでも、 新日本としては「受けられない」という状況でね。
しかし、例えば選手が「辞める」となった時に、 どうするんですか?というね。「辞める」となれば、 止めようがないわけだから。
確かに(藤田には)お金に対する不満も一部ではあっただろうけど、 お金だけじゃない部分でね。
――お金ではない部分というと?
猪木 自分が今の状況のなかでは芽が出ないと判断したと。 自分のスタイルも違う、と明確に判断したことがあるわけでね。 だから、俺はそれを道標として間違わないように、
新日本にも帰ってこれる環境を残しておいた方がいいよと。 今までは後足で砂をかけて、いきなり翌日に記者会見をやったとか、 結局、スキャンダルになっても、長い目でみると、
プラスになったかマイナスになったかというと、 マイナスになった面が大きいんだよね。
――確かに、一時は騒がれますからね。
猪木 そうすると、今回は初めてのケースで、 藤田がキチンと挨拶をして、(新日本を)円満に辞められたというね。 法的にいえば『PRIDE』には契約上では出られなかったわけだし、
もし出たとしても損害賠償問題とかそういう部分になったと 思うんですよ。ただ、もうそういうことは止めようよと。 逆にいえば、新日本だって大きく輪を広げれば、
いつかは藤田も新日本のためになってくれるかもしれない。 実際、藤田はそれまで光っていなかったのが、 ダイアモンドのようにいきなり光り出したわけだしね。
ということは、元々はダイアモンドだったのかもしれないのに、 磨こうとしなかった、新日本の怠慢さがあったのかもしれないし。 まだ他にもいっぱいいい選手がいますよ、
面白いキャラクターでね。
――猪木さんは、過去に船木選手が新日本を辞めて 「UWFへ移籍する」と言った時にも、
話し合った末に「行ってこい」 と円満に送り出したことがありましたよね。
猪木 だって「辞める」と決断したヤツを引き止めたところで
しょうがないでしょう。 それは逆にいえば、自分自身に自信があったからかもしれないしね。 ま、どれだけの選手が束になろうとも、自分がやっているかぎりはね。
――般木選手は『週刊ゴング』(3月2日号)のインタビューで 「新日本を裏切った逆風を今でも感じる」 というようなことを答えているんです。
猪木 まあ、でも辞めて、自分の世界をひとつつくったんだから、 それはそれでいいんじゃないか、 という気がするけどね。ただ、もっと大きなことでいえば、
結局、借金地獄でやっていくなんて、 俺の体験をマネすることはないんだから(苦笑)。 そのまま夢のない世界をウロウロするのなら、
スターとしての境遇のなかで、 もっと大きく花を開かした方がよかったかもしれない。 それはもう結果論だから、なんとも言えないけどね。
それはみんな全員に言えることですよ。 高田にしても、佐山(聡)が辞めた後の高田なんてのは、 凄く価値感が出てきたところだったわけだし。 絶対的に必要なもの ――なるほど。それから猪木さんはパラオで
「今の新日本は縦割りの構造に変わってしまった。 本当はそれを一番嫌っていたのが新日本だったのに……」 とも言っていました。
猪木 いや違う、違う。それは俺が(新日本に)いたから、 その時はね(苦笑)。 ただ俺は、例えば誰かと話していて、 たとえ自分の意見があっても、
相手のストーリーを含めて「それいいじゃない」と解釈できるから、 だいたい心地好い関係の話し合いができる。
――相手の立場になるというか。
猪木 ところがその部分で、 長州たちももうひとつ脱皮しないといけないのは、 相手の立場というか、 ストーリーっていうのをぶつけ合うと、
もうぶつかり合うしかない。 でも、「それもいいじゃない」というふうに思えたらば、 たぶん若い選手も同じことなんだよね、
それは間違っていることもあるけど、 「そんなことはたいしたことじゃねえよ」と考えれば、 それはそれでいいんだと思うんだけどね。
――もう少し懐を深く持てと。
猪木 でも、やっぱり権力の前に立った人間の思考としては 「そんなことは許さん。こうなんだ」
と言い続けなければならないのはわかるよ。 だけど、それが時代が変わって、 力で抑さえきれない部分が出てきたわけだからね。
まあ、俺はたまたま政治の場でも外交をやってたから、 北朝鮮に行こうと、カストロ首相に会おうと、 主義主張を貫く必要はないし。
心地の悪い話はしたことはないからね。 絶対的に必要なのは何? という部分でいえば「平和」という部分は否定できないわけだから、
そこに至るにはどうすればいいのかを考えるからね。
――いやあ「平和」の話になってしまうと、確かに碓が会社を辞めるとか、 そんなことは小さいことですよね。
猪木 うん。じゃあ「平和」を築くためにどうするの? という問いかけが出てくるでしょう。 なせ戦争が起きるの? とかね。
――はいはいはい。
猪木 ある有名な代議士がね、平和ってなんですか? と聞かれた時に「戦争のないことです」と答えたんだよね。
それを聞いた時に、「お前、頭はは大丈夫なの?」 って驚いたんだけどね。 結局、飢餓にしてもそうだけど、 地球上におけるブン捕り合戦の結果なんだよね。
――陣取りですよね。
猪木 だから、そこを解決していかないかぎり「平和」は来ないんですよ。 もしかしたら「平和」は永遠に来ないかもしれないけど、
努力していけば、紛争を減らすことは可能だよね。 そういう意味で、政治にしても会社にしても、 俺たちが今、こうして生きている社会にも似たようなことがあるからさ。
――でも、口さがない人たちは 「きっと長州は一度、全日本に行った時に、 馬場イズムを注入されてしまって、猪木が政治の場に出ている間に、
新日本を全日本的世界に変えてしまった」と皮肉るんですよ。
猪木 いや、そうじゃないと思いますけどね。 というのは藤波という、本来なら非常に保守的な人間が、
社長という立場に変わった時に、これから積極的にやりたい、 というふうに振り子が動いたわけでね。 ただ、もう一人の振り子が「待った」と抑えてしまう。
だから誰かが刺激をかけないと。 藤波という指揮棒が完壁に振り切れない状態でいる。 逆にいえば、長州は非常に改革派というか、
革命的な部分で飛び出して行動派であったのに、 ある日、突然にというよりは、 この十年の間に非常に保守的になってしまった。
ま、坂口征二さんというのは元から保守的な人間だから(苦笑)。 ただ、もっと大きくいえば、寛容であるかどうかといえば、 寛容な部分が出てきたよね。
――長州さんの話でいうと、大仁田厚戦が噂されていますけど、 パラオでは「その件に関してはコメントすらしたくない」 と猪木さんは言っていました。
猪木 やったらいいんじゃないの? それこそ……。大仁田の参謀がいるから、 一緒に話をすればいいじゃない?
――大仁田の参謀?
猪木 「永島(勝司取締役)くんがマネジャーになれ」って、 言ったことがあるんだから。 ま、簡単なことをいえば、人間は人間の弱さを突いてきますから。
俺だって、どっかの社長に会いたいと思えば、 知恵を使って、「じゃあそこの社長に一番近い人は誰なの?」 って考えますからね。
それと同じで、大仁田が「新日本のリングに上がりたい」と思ったら、 どこを突けばいいのかと。 そしたら永島の弱いところを突いてくればいいじゃない。
酒に弱いんだし。
――酒に弱いんですか(苦笑)。
猪木 そういうことは、俺が言わなくて大衆はみんな知ってるからね。
そんなことは言いたかないんだよ、 相手に嫌な思いをさせてね。 ただ、俺にだって「何を言ってもいいんだよ」と。 俺はそういうルールに決めてるから。
――あ、逆にいえば規制のないルールなんですね(笑)。
猪木 ただ、まあ残念ながら、 何を言われても(紙面)見てないんでね(笑)。
そこがズルいところなんだけどね(笑)。 彼らは一字一句見るからね。
――見てますか(苦笑)。
猪木 小川にも、そんなのをチェックしてる暇があったら
練習しろって言っておいてよ、ンナハハハハハ。 極限への高揚 ――あの〜、僕は思うんですけど、 みんな自分のなかにある「アントニオ猪木」というか、
「闘い」という部分を持っているんだと思うんです。
猪木 うん。
――それが時代によってはUWFとして現出してきたり、
今だったら『PRIDE』というかたちで此の中に…… てきてるんじゃないかと思うんですよ。
猪木 それはどうなのかな(笑)、
そこまで考えてはいないんだけど、 ひとつ言えるのは、みんな一生懸命やっているんだとは思うんだよ。 ただ、ツボを知らないというか。
――ツボですか。
猪木 俺だって知ってるわけじゃないとは思うんだよ。 ただ、感性のね、身体意識というかな? それがある人とない人とでは、厳然たる違いが出てくるんだよね。
レスリングにしたって相手のタックルを食っちゃうとしても、 スッとかわすとか、 食っても相手の攻撃を和らげることのできる意識というか、
それを学んでほしいよね。
――風車の理論ですね。とはいえ、 4月7日には「金曜夜8時にプロレスが帰ってくる」というかたちで、
東京ドームでの試合をゴールデンタイムで生放送することが 決まってますよね。 だから、ぜひともまた猪木さんに絡んでほしいな、とも思うし。
猪木 いや、そういう問題じゃない。 要するに、視聴率を取りたいんなら取りたい番組をつくればいいし、 観客を入れたいなら入れるためのことをやればいいし。
それぞれの「プロ」が固まってやればやれると思うよ。 それがチグハグだとね。 逆にいえば、俺たちはそれを経験してきてるからさ。
視聴率を取るにはどうするの? という部分でいろんなことが見えてしまうから。 だからアドバイスはするかもしれないけど、
それに対して(新日本&テレビ)が耳を傾ける度数があるかどうかは 知らないから。 まあ、だからお手並拝見というか、
出番があれば、そこは協力しますよ、ということですね。
――本来なら、その主軸になるのが「闘魂三銃士」と呼ばれた 橋本・武藤・蝶野正洋になるんだと思うんですけど、
いかんせん爆発的な個性が発揮されてないような気がするんですよ。 それは、時代の流れというか、しようがない部分なんですかねえ?
猪木 まあ、それはそれでいいんじゃないかな、 そのなかで強いて言えば、蝶野が 非常に自分の可能性をキャラクターで補っていこうとしてるよね。
そういう意味では一番可能性を持った武藤はキャラクターで 補うんじゃなくて自分自身で小さくしてしまったなと思うね。 惜しいな、と。
――あ、武藤選手は惜しいですか。
猪木 うん、やっぱり表現力というか、そこのところがね。 だから、さっきも、言ったように
「橋本、バカ、死ね!」とパラオで言ったのはそこだよね。 「お前、何年プロをやってるんだよ、この野郎!」というね。 だから「そこに気がつかないようなら、殺せ!」と小川に言ったよね、
そういうキャッチボールがあってね、 お互いに「暗黙のルール」というか、 それはやっちゃいけないよ、というものはあるだろうからね、
いくらなんでも。 だから逆に「そのなかで極限の極限まで行くぞ」 という意識が高揚するんだと思うんだ。
――あ、暗黙のルールがあるからこそ、
極限まで行き着くことができるんだ。
猪木 うん。今、まさにそれが欠けていると思うんだよね。 世の中が管理社会のなかで、軟弱になったとか、
ルールに縛られているとか、 いろいろなストレスを抱えているわけだから。
――はい、わかります。
猪木 だから、ホントに怒りがあるんだ.ったら、
いかりや長介くらい連れて来い!(笑)。
――いやあ、猪木さんのグジャレを聞くと、心が現れますよねえ。
猪木 ダジャレなんかないよう、ンナハハハハ。 [2000年3月27日、ホテル・オークラ別館ロビーにて収録]
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