最強論を巡って   文・水道橋博士

図書新聞 97 7/12 号より 

来たる8月15日、東京ドームで、開催予定であった
「ヒクソン・グレイシー vs 高田延彦」の異種格闘技戦が、
どうやら暗礁に乗り上げ、中止あるいは、延期の方向にあるようで、
全国のプロレス・格闘技ファンの嘆き、そして
「ごちゃごちゃ言わんと、
 誰が一番強いかはっきりさせれば、ええんや」的、
野次馬連中の怒りが日本中をおおっている。
と書けば
「知るか そんなこと、
 東京スポーツじゃあるまいし図書新聞で語ることかね」
と眉をしかめる向きも多いかと思う。

しかし、今、「最強」を巡っての議論はいつになく、
この日本においてやたらと盛り上がっているのだ。
「な、ことを言っても、どうせ、プロレスの話だろ」と
「プロレス」をいかがわしく決めつける年配者もこれまた多いだろう。
そして、そういう人に限って
「君ら、若いモンは、見たことがないだろうけれども、
 プロレスラーでも力道山は強かったよ〜」などと、
のたまわれるご年配も多い。

実際、先日も、「リングの魂」というテレビ番組で、
「史上最強の格闘家は誰か?」というテーマで討論会が行われ、
十数名の識者が集まり、議論したのだが、
さまざまなジャンルの現代の格闘家の名前があがるなか、
大島渚監督や松浪健四郎先生などが
「力道山」とおっしゃられるのには、ボクも閉口、
思わず、反論しましたね。

「陸上や水泳など、記録が勝負の判定基準になるものは、
 スポーツ科学の発展や、合理的トレーニングなどで、
 全ての記録が実測の絶対値で、塗り替えられているのに、
 格闘技に関してのみ、しかも格闘先進国である日本において、
 時代が逆行することは、考えられない」と。

そう、ボクは今、現存する日本の格闘家が
「最強」であるべきだという願望を持っている。
できれば、それがプロレスラーであって欲しいと希望している。
もちろん、それは、ボクがプロレスと言う、
ジャンルの根っからの熱烈なフアンであるからだ。

しかしながら、この番組でも最終的な結論は
「ヒクソン・グレイシー」と戦って、勝った選手が、
現在「最強」ではなかろうか、と落ち着いたのである。
おい。
それほどまでに、過大評価されるヒクソンなる男はなにものじゃ。
はいはい、ここで、果たして、ヒクソンとは何者なのか説明しましょう。
専門誌ならともかく、初めてその名を聞いた方も多いでしょう。
以下しばし読んでもらいたい。
1994年7月27日。
柔術家・ヒクソン・グレイシーが初来日した。
この日行われた、格闘技のトーナメント大会で、
地上最強の男と称されるこのブラジル人は、
噂にたがわぬ闘いぶりで、並みいる強豪を次々と降参させた。
規格外の強さに、会場からは、感嘆とため息が漏れた。
そして、翌年のトーナメントでも危なげなく優勝。

しかし、何が、日本人をこれほどまでに、魅了したのか。
まず、178cm、85kg、格闘家として小柄なブラジル人だが、
その佇まいは、昔日本人が持っていた「柔よく剛を制す」の
柔道本来の精神を彷彿とさせ、そのファイトは
精密な分解写真を見るように、スマートでシステマチック、
まるで東洋的な奥義の世界と神秘的なオーラを漂わせた。
それもそのはず、ヒクソンとは、いやグレイシー一族とは
失われた日本武道そのものの体現者であったのだ。

もともと日本を発祥とする柔術がなぜ、
地球の裏側ブラジルに JIU-JITSUとして伝わっているのか?
時代はさかのぼる。
明治期に講道館を破門された前田光世なる柔道家が、
武道を世界に広めようと、日本を発った。
最終地として訪れたのがブラジルであり、
街の外れに小さいながらも道場を開いていた。
その、前田光世から、ヒクソンの叔父にあたる、
カーロス・グレイシーが指導を仰ぎ、
自らの姓を名乗る柔術道場に持つことになる。
以来、70年間、一族で、この柔術の、技術的な体系化を図り、
一家で布教をなりわいとしていくのだ。 

スポーツとして、世界に広めるために競技化した、日本の柔道と、
治安の悪いブラジルで生活に密着した護身術として発展を遂げた、
柔術は、似て異なる道を歩む。
畳の敷かれた道場ではなく、路上で、何のルールもなく素手で闘う、
その喧嘩の際に一番力を発揮するよう、技術を磨いたのが、
ブラジルの柔術だった。
しかも、グレイシーの柔術の戦い方には、
相手を傷つけず、当然自分も無傷で完ぺきに勝つ。
そんな、セルフ・ディフエンスの完成された美しさ、
技術と理念を兼ね合わせていた。

西洋スポーツの持つ激しさを
東洋の礼節の武道が勝るという魅力にファンは驚愕し、
そして、本来、日本人に流れていた武士道の伝統と精神を今に蘇らせ、
それを日本のリングの上で実践したのが地球の裏側に住む
ブラジル人だった所に愕然としたのだった。

そして、ヒクソンは生まれた時から
柔術とともに生きることを宿命づけられけられ、
16歳の頃から、指導者として生徒をもち、
18歳でブラジリアン柔術最強の男と呼ばれ、
柔術の試合に無敵となり、専門外であるアマレス、サンボ
賞金が懸かる喧嘩マッチを数々戦い、
その戦績は400数戦無敗なのだ。

無敗という、事実は「最強」の基準値に説得力を多いに持つであろう。
そして、なにより、このコメントがすごい、
「グレイシー柔術を守るためだったら、自分は死ななければならない、
 という覚悟はいつでも出来ているし、スポーツのように、
 負けても次があるという考えは、一切ない」と。
まさに、ハラキリ〜武士道。

どうでしょうか、紙数の関係で、本当にざっとですが、
「いつ見ても知ってる驚き波乱万丈ヒクソン伝」でありました。
「なるほど、なにやらバロン吉元の『柔侠伝』もビックリの
 大河ストーリー、あるいは剣豪小説めいた由緒ある物語性を
 秘めた男であることか」
とお思いになってもらえたでしょうか。

とりあえず、ヒクソンの日本での戦績は6戦6勝。
我らが、力道山から連綿と続くプロレスラーも
彼の前に玉砕しているわけです。
(さらに言えば、ヒクソンの弟、ホイスも数々のレスラーを
 食い物にし、アメリカ格闘界のヒーローに成り上がった)

「プロレス」というジャンルも今や、一団体が、
ドーム興業を満員の盛況にできるほど、ファン層を確立しております。
柔道世界一の肩書きを持つ、小川選手と橋本選手の一戦は、
平成の格闘技戦のなかでは、出色の名勝負でありました。

けれども、あのアントニオ猪木が全盛で、
「キング・オブ・スポーツ」を自称し、
異種格闘技戦を連発した70年代の不定形な、歪な魅力。
異種のジャンルへ侵食していく、
あの、いかがわしくも、わくわくするような、
外野(世間)への訴求力がまだまだ失われている気がします。

一方で立ち技最強を決定する「Kー1」は、
その明解な、統一されたルールと、整備されたシステムで、
本来あいまいなる「最強」議論に決定的な、
誰にでもわかる結論をしめしたと言えます。
いや、Kー1王者は、格闘技のなかで、プロレスとは一線を画し、
今後、ボクシングのヘビー級のチャンピオンと同種の敬意と栄誉をうけ、
広く世界的に認められていくことでしょう。

しかし、それを、「ジャンルの鬼っ子」と呼ばれたプロレスが、
他人事と穏やかに眺められるのであろうか〜とボクなどは思うのです。
むしろ、「最強」という、言葉がはらむ、雑食、悪食の性質は
プロレスこそ、似付かわしいと思います。

力道山が今も「最強」と今でも年配者に認知されるのは、
その時代、世間、世界に対する、
挑発と巻き込み方のうねりの大きさ、激しさであります。
その意味では、プロレス界が、プロレスを飲み込み、踏み台にした、
敵ながら天晴れな、ヒクソンの強さを忌避することやめ、
むしろ雪辱することこそ「最強」の看板を取り戻すための
最短距離ではないでしょうか。

「最強」なる概念そのものの、ファンである我々は、
本来、このテーマに関心のにある人々にも訴え、
場違いではありますが、
この図書新聞読者にも、その意味を訴えかけましょう。

もし、誰かヒクソンを破る、日本人が現れたら、
それはアトランタ・オリンピックでのサッカー日本代表が
ブラジルに勝利を収めて以来の歴史的、
世界的快挙であると、お想いください。
いや、もうヒクソン退治には、「国民栄誉賞」を与えて下さい。
それくらい、どえらいことなのですよ。

 

 

 

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