| フランス座「時給六十円」のドン底生活 |
| 『新潮45』11月号掲載 〜有名人の「私の貧乏生活」〜 |
玉袋 俺らの場合、貧乏といえば、たけしさんの元に入門して一年目、 浅草フランス座で修行した、あの時代につきるよな。
もうかれこれ十三年前だから、世間はバブルの絶頂期だった。 博士 フランス座といえば、たけしさんやコント55号を輩出した、
いわば芸人の登竜門のようなところだからと ロマンを抱いて行ったんだ。 玉袋 ほとんどタダ働きだったのは誤算だったけど。
博士 たけしさんのいた時代は二十年も前で、その時の日給が千円。 それで僕らの時も千円。二十年前と同じじゃねえか。
しかもなおひどいことに実は陰で給料が出てた。 玉袋 俺は照明係で、博士はエレベーター係で、 それぞれ毎月十二万円くらい、ちゃんと親会社から
フランス座の社長あてに支払われてた。 俺、自分の名前の入った明細表みちゃったんだもの。 ショックうけたよ。
博士 その頃、僕らと同じような芸人は十二、三人いたから。 玉袋 全員、社長に搾取されていたわけだ。
博士 まあもともと、貧乏に憧れてはじめたことだったしな。 たけしさんの本なんか読んで、自分たちが いろいろな物に囲まれて暮らしているのが嫌になって、
全部売り払って住み込みになったわけだから。 玉袋 でも、俺らは突撃精神で、貧乏を経験しようとして 入ったんだけど、周りをみると、先輩で十五年近くやってて、
ヨロヨロしてたり。 さすがに最初、うっわー、これはやべえなと。 博士 一番驚いたのは、いまだに月に三万円しか
貰ってない先輩がいて。 玉袋 そう、十年選手で。 博士 その上、親に仕送りまでしてた。
故郷は一体どこだ、ネパールかっつうの。 あの先輩は偉かった。 玉袋 一日千円で生きるというのは、これはなかなか…。
博士 まず生命線として、ウーロン茶のペットボトルを 一本だけ買うのがポイント。 玉袋 あれ、普通の水にしとけばまだよかったかもな。
ウーロン茶で余計体脂肪が燃えた。 俺なんか最初八十六キロあった体重が、 三カ月後に五十八キロだよ。 博士 そのうち、安くて腹に溜まるものは何かっていうのが、
だんだん生活の知恵みたいになってくる。 玉袋 俺はかっぱえびせんだったね。一番デカイ袋。 あれを一日中食べて、あとはウーロン茶で腹を膨らませる。
博士 一番流行っていたのはふ菓子だったよな。 玉袋 チョコバットっていう駄菓子。
博士 一本二十円なんだけど、その時、お金を持っているやつが 箱買いして来る。それを劇場に持って帰って売ると、 一本が二十一円だとか二十三円だとか相場のように変動する。
玉袋 だけど、その一円台のところでわれわれ生きてましたから。 博士 あと、皮膚病がすごかった。
玉袋 三十年くらい使っている布団に寝てるもん。 めちゃくちゃに重いんだ、これが。それにダニが巣くってて、 俺がカイセンという皮膚病にかかって、
身体中カサブタだらけのエレファントマン状態になった。 博士 踊り子さんに恐れられてたもんな。「浅草の象男」って。
玉袋 治療費もないからそのままほっておいたらもの すごいことになった。実家に帰った時に両親が俺の裸を見て人 泣きに泣いて土下座して「頼むからもう帰って来てくれ」。
それで病院に行ったら皮膚科の先生が 「これ、カイセンだよ。いまどきめずらしいな。 野良犬だってかからないよ」って驚いて。
図鑑に載せるからって写真まで撮られた。 博士 あの布団を最初に見て、 寝れるか寝れないかでそこに住めるかどうかが決まる。
玉袋 俺は結局、夏は舞台でベタッと寝て、冬は暖かい電気室の横。 寝返りうったら最後、感電死という、 死と隣あわせで暖をとってた。
博士 そのうち社長が「スナックフランス座」という 水商売をはじめた。踊り子さんがホステスで、僕らが従業員。
玉袋 「客と話すことで修行できる上、酒も飲めていいだろう」 って言いくるめられて。 博士 だからその給料は一切払わない。
朝は九時半から劇場のトイレ掃除とか全部やって 夜の九時まで働いて、終わったらスナックへ。 十六時間労働で日給千円。てことは時給六十円か。
玉袋 おまけに、客が同情してくれたチップまで 社長にとりあげられた。 博士 社長は金子信雄キャラなんだよ。
そういう搾取のシステムをばっちり作りあげた。 つまり、それで僕らは当然お金がない。 そこでサウナとかに連れていく。
玉袋 サウナへ行くと風呂に入れる上、 ビール飲めるし煙草も吸い放題。 博士 それも何人も連れて行くんじゃなくて、一人だけ。
つまり「選ばれし者」。 そこで、「お前よくやってるな」みたいなことを言って、 その上、他の仲間の悪口を言う。 「あいつは小屋の転覆を狙ってるんだ」って。
玉袋 その転覆計画の犯人にされたのが博士。給料が止まったよな。 博士 僕はもっと民主的にしようと思ってシフトを作って
社長に持っていっただけなんだよ。 そしたら玉袋がサウナに呼ばれて…。 玉袋 あいつはとんでもねえ野郎だってもうさんざん。
博士 僕、労働組合の結成を企ててる人みたくなって、 本当に給料が止まった。 玉袋 その時に照明やってた人が
「フィリピン人と結婚しないか」って。 博士 戸籍上のね。 玉袋 幾らって言ってたっけ、あれ。
博士 五十万円。それで区役所へ行って戸籍をその人に渡した。 幸い何かの事情で、実際には入らなかったから良かったよ。
玉袋 ヘタしたら臓器なんか売ることになってたよな。 博士 危なかったな。 玉袋 そういえば博士、エレベーターに酔っぱらいが来ると、
それをポンと殴ってお金取ったりしてたよな。 博士 サバイバルのためにはしょうがないだろ。 ああいうところで、競馬であてた金を数えるほうが間違ってる。
それに、オケラの人からは取らなかったよ。 玉袋 俺ら二人は夜のスナックがあるから、 アルバイトも禁止されてたし、ほかの奴らよりキツかったもん。
博士 弁当も二百八十円ののり弁以外は買えなかったし。 玉袋 いかフライ弁当が三百五十円で、それが最高のごちそう。
博士 身体の脂分が全部抜けてバサバサだったから、 たまにいかフライなんか食べると、 毛細血管まで脂がすーっと回ってるのが実感できて。
食べながら「飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ」って。 玉袋 でもあのころたけしさんと週に一回だけ 「オールナイト・ニッポン」で会えたんだけど、
さすがに俺らがあんまり痩せてくのに驚いて、 小遣いをくれるようになったからこれは助かった。 でも、悪い先輩がいて「あいつらに渡しとけ」って
殿から預かった金で飲んでしまったり。いまだに許せねえ。 キドカラー大道だよ。 博士 でも僕らも刹那的だよな。
小遣い貰ったり、臨時の金が五千円なんて入ることがあっても、 それを貯めて遣おうなんていう発想がなかったな。 玉袋 焼肉食って巣鴨のピンサロに行く。
これが最高にバブリーなコース。 博士 ピンサロつっても二回行っただけだろ。 体力落ちてるから性欲自体がもうなくなってた。
玉袋 回りに裸のお姐さんたちがいるったって、なあ。 博士 しかもお姐さんじゃねえだろ。おばあさんだよ、おばあさん。
年金貰ってるような人もいたし。 たけしさんの頃からずっといて 「たけ坊は元気?」なんて聞かれただろ。 玉袋 「たけ坊」って、たけしさんより年上じゃねえかっつうの。
博士 結局たけしさんの『フライデー』殴り込み事件があったんで、 八カ月でフランス座は出たわけだけど、 あの事件がなかったら、当初の予定通り三年はいたよな。
玉袋 絶対いた。博士思考が停止してて、ここしかないんだ、 っていうふうになってたからな。 テレビも新聞もないから外界の情報から隔離されてたし。
ほとんどオウム状態。博士の親なんて奪回しに来てたもんな。 博士 浅草の雷門ホテルに逗留して三日間通いつめてきた。
警察にまで相談して。 でも社長が「本人の意志でやっていることですから」って 僕に会わせないんだよ。 玉袋 オウムの波野村の映像で同じようなのを見たよ。
博士 でも、やめようとか逃げようなんて一度も思わなかったよな。 玉袋 逆に人生で一番楽しかった時だよ。なにも背負うものはない。
あるのは非現実的なでっかい夢だけという。 俺らはもともと「たけし軍団」の余剰人員で、 確信犯的にフランス座に行ったわけだし。
博士 僕の考えた「ドリフターズ論」によると、 「たけし軍団」にはもうすでにデブもチビもハゲもバカも 全部揃ってたから、キャラクター的に新しく出るのは無理。
だから違う道を行ってそこから世に出よう、 って思って選択したんだから。 玉袋 そうでなければ、適当にバイトしながらでも芸人は食えちゃう。
博士 月に十万円くらい貰うというのが、 下積み芸人にとっては一番心地いいんだよ。 もともと勤勉じゃないのがなってるんだし。
だから逆に芸人の境目ってそこでよく見える。 「こいつ、そこそこ食えるくらいの金が貰えて、 毎日舞台に出られてちょっとファンがついて、
それで終わっていくな」と。 一度すごいドン底をみた人間じゃないと、 反対の頂上は見えない。 玉袋 一種の振り子理論だよな。
司会のバイトとかやる芸人って、絶対に大きく化けない。 博士 まあ、ドン底からドン底にしかいかない人間も いっぱいいるけどな。
玉袋 猿岩石なんかのこと、みんな批判的に 「いいよな、あんな旅して帰ってくるだけで売れやがって」 みたいなこと言うけど、俺はべつにそれはそれでいいと思う。
一番いかんのは、ああいう暮らししてても テレビカメラが回ってないのがいるってこと。 博士 まさにリアル猿岩石。あの頃の僕らもそうだった。
テレビカメラは回ってないし、戻っても売れる保証もない。 いまだに金銭感覚が元に戻らないよ。 玉袋 味覚もな。金があるのに酒のツマミはサバ缶に魚肉ソーセージ。
博士 結局僕らは漂流してたんだよ。 でもいつでもその日暮らしってのができる自信はできた。 玉袋 もうじきそのフランス座も
今年一杯で閉まることになってるから、やっばりさみしい。 博士 まあ、これで僕らの戻る場所は ますますなくなったということだな。
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