私の胸を熱くした 伝説のレスラー :水道橋博士

 2002年10月30日付 東京スポーツ

猪木を潰した「シュツットガルトの惨劇」

瞬間最大風速でプロレス界を駆け抜けていった男一一。
ローラン・ボックこそ「伝説」の2文字が似合うレスラーである。
私が彼を「伝説」と崇めるのは
「それほどよく知らないレスラー」であるからだ。

私の記憶の闇の中にたたずんでいる。
ビデオでも写真でも、ほとんど見たことがない。
あの衝撃の試合を除いては一一。

1978年11月26日、西ドイツ・シュツットガルトで行われた
アントニオ猪木との試合がそれだ。
当時、3週間にもおよぶヨーロッパ遠征を敢行していた猪木が、
唯一負けた相手がこのボックであった。

何よりも印象的であったのが、ボックが漂わす異様な雰囲気だった。
当時の猪木は“負けない”レスラーであり、勝つことが当たり前。
そんな猪木に対して、ボックは
今までに見たことのないファイトスタイルで猪木をほんろうした。
アンドレイ・コピィロフをビルドアップさせたような体、
受け身の取れないスープレックス、一線を越えたシュートな攻め…。

猪木を潰したこの試合を、
人は「シュツットガルトの惨劇」と呼ぶようになった。
そう、それはまさに「惨劇」であった。

猪木が負けた理由に、
肩の故障やコンディションの悪さを挙げる人もいたが、
ボックの強さは誰が見ても納得できた。
アマレスばりの低空スープレックスで、
常勝・猪木が硬いマットに叩きつけられるたびに
「猪木はマジで大丈夫なのか?」と心底震え上がったものだ。

プロレスラーというものは、存在自体が“なつメロ”っぽいものだが、
彼は伝説のまま去ってくれた。
その後何度か来日したものの、
私の記憶の中のボックはあの試合で止まっている。
せいぜいアンドレ戦を覚えているくらいだ。

ローラン・ホックのおとぎ話は
「シュツットガルトの惨劇で」完結してしまった。

彼は老醜をさらすことなく、瞬間最大風速のまま
私の前を通り過ぎていったのだ。

                    (水道橋博士)

 

 

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