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未読 ■
ポリープ
そこはかとなく、面白かった。
『男というもの』 ■ Ryo-ko
遅ればせながら、「お笑い男の星座」読了いたしました。
読み終えたとき、熱い気持ちになっているのに気付きました。
最近、他人に対して無責任かつ無関心で、
無機質、無表情、無気力な人間が多い中で、
自分や他人と闘っている人たちがいる…。
また、それを熱い眼差しで見つめているキッドがいる…。
この世の中、まだまだ捨てたもんじゃないぞ、と。(笑)
同時に「男同士」というものに対して強い憧れを感じました。
時には尊敬して憧れ、時にはライバルとして張り合い、
時には激しく怒り、時には馬鹿馬鹿しく思われがちなことも
真剣に取り組み、思いっきり楽しむ…。
哀しいかな、女同士って、そういう関係って成り立ちにくいと思うんです。
格好良く生きている人もいるけれど、
もしかしたら、それを素直に認められないのかも…。
だからこそ、なおさら女性として「男同士」という関係に憧れるのかもしれません。
この本に出てくる人たちは、皆、星に例えられていました。
夜空に輝く星には、強い光を放つ星もあれば、鈍く弱く光る星もある…。
キッドもその中の1つ…。
これからもずっとずっと輝き続けていて欲しい。
たとえ、その光が弱くなるときがあっても、光り続けていれば、
その存在をすぐに見つける事ができるし、その光は必ず届くから…。
そんな事を考えながらこの本を読んでいたら、
たけしさんの『男というもの』という唄を想い出しました。
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ウソも通したなら真実 都会ごっこ繕い
溺れながらしぶとく ああ男というもの…。
『お笑い男の星座』感想文 文京区 にぃー
本を読ませていただきましたが、人の熱気を感じるお話の数々でした。
以上でございます。
一家に一冊!一社に五冊!運動 ■
目黒区 QT
待ちに待っていました!このTVブロスの連載が単行本になるの
を!今まで私はブロスでの連載の時についていた芸能人カードを
大切に点線で切り取り、会社の壁にダンボールを台紙にしてきれ
いに貼っていました。いつも宮路社長、B&B、ターザン山本、
ガッツさん、水野晴郎、坂本一世、キリングセンスらの切り取り
カードが仕事中の私を見ています。そんなこんなの思い入れのあ
る連載が単行本になったので嬉しくて二冊買い、一冊は母と妹で
まわし読みをさせています。 さて私は博士さまの文章のキレの
良さ、語呂合わせのうまさに唸りながら読み上げました。特に岸
部シロー項の「カッパの川流れ」は傑作だと思っています。
私の母にも読ませましたが「プロレスの事などはよくわからな
いけれど面白かったよ!」と申しておりキッドファン1名獲得!
と思いました。実際、神田でのサイン会の時に、私は母と、息子
二人との三世代でお伺いさせて頂き、子供たちも「朝からスミマ
セン!のほんとの人?!」と大変喜んでおりました。
♪浅草キッド著「お笑い 男の星座」絶賛発売中!!
これは私のメールの署名欄の一部に実際に使っている署名です。
私がメールを書くたびに宣伝になってます!
修正が100箇所以上もあったらしいですね。私は第1刷だっ
たのでもっと後のをまた買おうかしらと思っています!
かっこ悪いことは、どうしてこんなにかっこ良いんだろう
■ 大阪市城東区・ゾイド山口
浅草キッドは芸人としての本懐を遂げた。
それは自身で打ち立てた真面目にふざけるという崇高な目標に
なんら背を向けることなく、散華していったことに裏打ちされている。
何が面白くて、何がオモシロいのか?
そんな命題に真っ向から勝負している。
価値感を三次元にまで拡げ、ともすれば見落としがちな死角をなくし
つまびらかに我々に2001年浅草キッド的見解を教唆している。
大局で見つめたい。
「生きること、それは生き延びることにあらず」と手に入れるであろう
安住を嫌い、ただ修羅の道にのみ己を投影する狂気。
言うなればそれは、
無条件に笑いという山の頂きを目指すことを強いられた芸人に与えられたリュックサック。
狂気を捨てれば、その山道は足早に登れよう。
しかし、道半ばにして餓えに苦しむにちがいない。
それを見越して浅草キッドはあふれんばかりの狂気を携えて、
今日も笑いという山の頂きを目指している。
先行くビートたけしを目標に。
彼らがリュックサックの中身を捨て去ることはないだろう。
その決意をこの「男の星座」に読み取った。
『お笑い男の星座』感想文 ■
京都府・たっきー
浅草キッドの師匠・ビートたけしは自著「みんなゴミだった」で
「ウンコとセックスある限り、人間から笑いはなくならない」と書いた。
どんな人間であろうと生きている限り排泄と性交からは逃れられず、またその姿はとことん滑稽、という理由からだ。
70年代末、人が実存的に抱えたダークサイドを笑いものにするツービートの出現によって日本のお笑いは大きく変化した。内容の是非はひとまずおいといても、たけしの生んだコロンブスの卵は見事に直立し、そしてその卵をとっかかりに、多くの笑いの可能性が生まれていったのだった。
どんなロックギターもジミヘンの影響と無縁であることができないように、テレビを中心とするお笑いで、たけしの影響を受けていないタレントは皆無だ。
しかし80年代に10代のほとんどをすごし、お笑いとともに成長した僕ら世代にいわせると、今の若手芸人のほとんどは結局たけしの亜流、否「物まね」でストップしている。二番煎じも最初のうちは呑めないこともないが、濾しだしすぎて底がみえみえになってる。新たな可能性を何も開いてはいないのだ。新しいお茶が飲みたいんですよ私は。
「ウンコとセックス」だけではない。暴力、厭世感、孤独、コンプレックス、挫折、老いの恐怖・・・それら人間が必ず抱える深い闇を、昇華した芸だからこそ北野武は万人に支持されている。芸の懐の深さ則ち人間の幅、なのだ(今やそのフィールドは「お笑い」にとどまらず映画や詩の域に達しているのは周知のとおり)。
なのに、それら「身に覚えのある気恥ずかしさやリアルさ」というテーマをほとんどのテレビ芸人はとんねるず的楽屋落ちか、卑屈さまみれの自虐orいじめネタととりちがえてしまっている。
バックボーンやルーツのない浅い芸は所詮クラスの人気者どまり。見る人がそれでいいというのなら構わんのだが、金払わずともディープ大阪あたりには笑いのストリートファイターが跋扈しているというのに、なぜわざわざ大事な時間を使ってまでそんな芸につきあう必要があるのかそれが不思議なんだ。誰かおしえてくれ。
そんなに暇なのか。
猪木不在でありながら、今なお猪木の影から逃れられない新日本プロレスをみてるみたいだ。
テレビをみても、たけしが築いた世界を使いまわして、深みのない安易な笑いであふれている。嘆かわしい。お笑い番組でオチやリアクションにまで字幕や記号がはいるたび、「ハイここは笑うところですよ」といちいち説明されているようで非常に不愉快になる。見る側にそこまでツボを要求しないと安心してネタもふれないのか。笑いドコロを客に要求して許される芸人は横山たかし師匠くらいのものだ(あ、酒井くにお師匠もいたな)。
たけしの存在がデカすぎて、逆に芸人の可能性がせばまってしまっているのか。そうだとするとえらいこっちゃ。
ところで話かわる。
人間の生命が欲望や感情に翻弄・支配されている状態を仏教用語で「六道」というそうな。
その六道の中で、なんとか他者を蹴落としてでも這い上がり、欲望を満たしたい(=相手に勝ちたい)と煩悶する境涯が「修羅」であり、一番悩みの多い命の状態だという(ジョージ秋山「アシュラ」の受け売りっす。スイマセン)。
これもまた、人間が実存的に抱えた闇ではあるが、そこには「勝ちたい」「負けたくない」「強くなりたい」「上をめざしたい」というポジティブさが多少たりともあるだけにやや明るい。
ひとつの勝利は新たな挑戦を生み、ひとつの敗北は新たなを雪辱を生む。やられたらやりかえすまで消えない感情。やりかえしたらまたやりかえされ、そしてまたやりかえして。ぐるぐるぐるぐるだれかが死ぬまで。
歴史に「戦い」が耐えたことはない。
答えや到達点のない、いつ果てるとも知れない「戦い」。
「ウンコやセックスや厭世感」とはまた違う、人間が抱えたもうひとつの大きな「業」=「闘争本能」。
信仰なき人間は、命ある限り逃れられない自らの負の側面をなんとか昇華したいと願った時、「笑い」を必要とするもんだと思う。
浅草キッドは、「ウンコとセックスある限り人間から笑いはなくならない」という自らの師匠の言葉を一歩すすめ、「お笑いあるところに戦いあり」と宣言した。これは「お笑い男の星座」だけではなく、浅草キッドの芸人としての姿勢に貫かれている一大テーマである。
プロレス好きな芸人というのはたしかに今までいたが、「お笑い」という芸の領域に「戦い」を持ち込んだのは、僕が知る限り浅草キッドしか知らない。
(わかりやすい例でいうと「ひょうきんプロレス」を、お笑いの視点からみた「戦い」だったとするなら、キッドの芸は戦いの視点から笑いを模索している。これは大変な発想の転換ではないか)
そんな彼等だからこそ、流浪の末「人生は所詮ギャグだ」とハラをくくったターザン山本に、「笑いと戦いは不可分」の境地をみて、ターザンを味方につけたのではないか。僕はそうみた。
浅草キッド著「お笑い男の星座」:
原田久仁信先生の表紙絵以外には、一切挿し絵もない。「活字」だけ(!)で人を笑わせ、感心させ、そして闘争本能をかきかてさせる、こんなエンターテインメントは久しく登場しなかった。
「笑いたかったら苦しんで汗かいて戦ってみろ」というギャグの新たな定義。それを活字だけでやってのけたのである。字幕や記号のはいるテレビとは一線を画する、読む側の覚悟すら問われてるような本。
これは、たけしのコピーではない、たけしの後を継承できる数少ないお笑い芸人コンビがものした、実に記念碑的な作品である。
これで笑えない奴も中には、いるだろうけどどうってことねぇや。おいてかれるのまで面倒みきれないもん。
『お笑い男の星座』感想文 ■
おおつき
正直、ブロス連載時は1・2を争う好きなコラムでもなかったのですが、単行本には夢中になりました。
ネット社会でも顕著なように自分が安全なところから匿名で陰口をささやくような輩が多い中、顔を出すばかりかフリチ○(フルチ○!?)(→書いてて恥ずかしくなったのですが、「free=自由な、解放され」「full=完全な、全部」のどちらが適切でしょうか?)で悪口(でもないのですが・・・)を述べる2人の姿勢に『男』を感じました。
『お笑い男の星座』感想文 ■
愛知県・オカシガス
なかなか手に入らなくて、四日並んで買いました。手に入った時はうれしさのあまり興奮してしまい、それからまだ一睡もしていません。
しかし和田アキ子って凄い。何が凄いってこないだの紅白見てて、ちなみに紅白をまともに見たのって初めてなんだけど、とにかく見てて、思ったのが和田アキ子って凄い。じゃなくて存在感すげえな。和田一人であのホールにいる人間ぜんぶ、食ったというか飲み込んだというか、とにかく一人であとの全員シメてた。もう、強いとか計るレベルじゃなくて、サイヤ人みたいなレベルなんじゃないのか。和田アキ子は。
自分の中での、ビートたけしの全盛期っていつだったんだろう。
たけしの映画は、昔のビートたけしのままだ。まともにシンクロしたら、気が狂いそうで怖い。
宮路社長気概 ■
福島市・木村
院長とのベンツ戦争は、テレビで夢中になって見ていた記憶があります。ノーギャラでのテレビ出演、「お約束」を断る信念など、裏側をかいま見ることができて、非常にうれしかったです。何事にもいい加減で真剣な社長に惚れてしまいました。
チンチン電車に乗って ■
松戸市・ガンジーノ小林
五島プラネタリウムがその役割を終えた2001年春。浅草キッドが強烈な個性を持つ宙の名前とその伝説を語りはじめた。キッドの2人にかかるとこの星たちがハップル望遠鏡で観測するよりもはっきり見えてきて、さらに輝きを増すのが分かる。ビートたけし、和田アキ子という今なお輝く巨星の裏側の知られざる伝説から格闘技星雲団の話、すでに星屑となってしまったと思われる洋七、岸部、ターザンにも星屑のステージを用意し、興味深い話を引き出してくれている(ターザンは宇宙船ミールなのかもしれないが・・)。
とくに浅ヤンを毎週楽しみにしていた私にとって、今はなき宮路社長の話は懐かしさと笑い、さらにそういうことがあったのかという新事実(事実かどうかは別にして)などにあふれ、読み終わったときには満足感とともに「そういえば宮路社長や石井院長は亡くなってしまったんだなあ」とちょっとした喪失感を味わってしまった。読みこんでいくうちに望遠鏡で観察していたと思われていたのが、いつのまにかワープして銀河鉄道で旅行していたことに気がつく。どんどん星に接近してきてそのにおいまで伝わってきたのだ(一本糞の臭気か?)。
レールの鼓動のように小気味よい文章、文体にも吸い込まれていくのだが、機関士の博士と玉ちゃんが汗まみれで石炭をくべているのが分かりその熱気が客車まで伝わってきてこっちもかなり熱くなってしまった。吐き出される煙は機械人間には星空を汚しているようにも見えるのだろうが、実際には愛と笑いに包まれたものでより星を際立たせているのだと生身の人間にはすぐ分かるはずだ。この銀河鉄道999もとい「ときめきどよめきチンチン電車(?)」の終着駅ビートたけしに到達したときに確信したことがひとつ。それは日本の芸能、芸術史に最大の貢献をしたビートたけしの最大の仕事は浅草キッドを育てたことですぞお。この春赤坂の駅を旅立つチンチン電車にさらにすばらしい、愉快な旅に連れて行ってもらいたいものですなあ。
『お笑い男の星座』感想文 ■
目黒区・ヨウコ
本を読み終えたのは二日前ですが、興奮はまだ冷めていません。「超面白い所」と、「しっとりとした人情を感じる熱い所」が、旨い具合に合い重なっていて、浅草キッドさんのエンターテイナーとしての力量を痛感しました。
私が一番心に残っているのは宮路社長と石井院長のロールスロイス対決です。当時、私はリアルタイムでテレビを見ていたのでその時の興奮が甦ってきて、「熱いぜ!宮路社長!」と超高級車を物ともせず、ガンガン走り回っていた神風特攻社長と超ジェントルマン院長を見て、熱くなっていた自分を思い出しました。ついでに浅草キッドさんにも一瞬でしたが熱くなり、切り抜きを友達から貰ったのも思い出しました。
そして一番熱くなったのは、最後のたけしさんとキッドさんの言葉のやりとりの所です。男と男の熱い関係に単純に「かっこいい」と思ってしまったのが率直な気持ちですが、それ以上に私の中にも熱い気持ちが込み上げてきました。
私には今までこの熱い気持ちをぶつけられる、キッドさん達にとってのたけしさんのような巨星がいませんでしたが、これからは浅草キッドさんが私にとっての星になりそうです。
「BROTHER」vs「お笑い男の星座」
地獄戦記 Part.2 ■ 佐賀県武雄市 真みずの徳郎
己に降り注いだ負を全部背負い込んで吐き出してしまえば、恐れるものは何もなし。
目指せ、お笑い道生涯現役!!目指せ、活字道生涯現役!!いざ進め浅草キッド流、男の創り方。「お笑い男の星座」。誹謗中傷何でも来い。破壊なくして創造なし。
「プロレスとはたくさんの人々を魅了すること」である。
男は控え室のベンチにどっしりと座っていた。引退宣言以来自問自答する185日を送っていたのだが、今はその面影すらない。真一文字に結んだ唇が静かに時を待っている。真っ赤なガウンに書かれた文字は「闘魂伝承」。
大粒の汗に濡れたでかい腹を黒字に赤ラインの布に包まれた両腿に預け、時折瞳を閉じて集中力を高めている様子から新たな決意に燃えている事を感じさせる。頭には炎のマークが付いた純白のたすきを巻き付けている。完全復活を遂げるまでは死んでも死に切れないのだと無言で語りかけていた。太い右手で左手首に巻かれた白いバンテージを締め直す。
時は来た!!男は拳を爪が食い込む程握り締めた後、L字状になった両腕を後ろに振りながら立ち上がった。
この男、名を橋本真也という。
夢の活字劇場 ■
横浜市・日吉キッド
この書物をひとたび開き、物語の中に入り込めば、もうそこは我々が
日常の中で感じ得ることができないことを夢見させてくれる劇場がある。
登場人物たちは、ひと癖もふた癖もあるが不思議と浅草キッドを仲介して眺めると全て魅力的に感じるから不思議だ。我々は、そこで行われている世界をかつてTVやラジオで見聞きしていたとしても、この活字を読むことにより再び血湧き肉躍る感情が甦る。
ジャンルとしては、タレント本の範疇として見られるこの書物が、他と絶対的な差異をもつのは、著者の視点がその状況を俯瞰的に眺めていないからであり、あくまでも登場人物たちと対等に四つに組んでいるからである。そこには、ただおもしろおかしくフィクションを構成すればいいといった考えは一切なく、男の子としてどう落とし前をつけるかといった清らかさがある。
今後もこの世界の先駆者としてますます円熟味を増していくだろう浅草キッドは我々にとびきりの「夢の活字劇場」を届けてくれるに違いない。
キッドさん大好き ■
ユキコ
「お前らはだれかを好きになり過ぎるんだよ」という殿のお言葉がありましたが、本当にそのとおりだと思います。たとえば今まで宮路社長は「そういえば、そんな人いたよね」ってかんじだったのですが、このご本を読んでから、私のなかでも、輝く星になりました。
友人には、いちばん笑った「さそり座の男」、いちばんじーんときた「たけしイズム」を特に推薦してすすめてみようと思います。
『お笑い男の星座』感想文 ■
まいこ
初めて浅草キッドの本読んだけど、こんなに面白いと思わなかった。夢中になって代官山で買い物してる途中にも読んだ。なんでこんなとこで・・・って思ったけど後をひく面白さがこの本にはあった。芸能界の裏側をすっぱ抜くことができるのはこの2人だけだ。久々のヒット。でも友達に薦めたら笑われて終わった。ばかだなー。彼氏が浅草キッドの大ファンである理由がちょっと分かった。今度はライブに行ってみたい。なぜか家に「浅草橋ヤング洋品店」を録画したビデオがあった。ちょっとうれしかった。
出会い ■
もしもし
この本と出会ったのは、ふらっと立ち寄ったパルコブックセンターであった。
私は、浅草キッドのファンであったためすぐに買おうと決めた。
しかし、その日が発売日だと後になって気づいた。
そして、この本を読んでからは、大ファンになったのだった。
はっきり言って全部面白かった。内容もさることながら、浅草キッドはなんでこんなに難しい漢字や人を引きつける文章を書けるのかと関心してしまった。本当にクレバーな芸能人だと感じた。早稲田大学はこの本を読むべきだ。そして合格させるべきだ。
私は就職活動中の大学生で、現在企業への提出書類を書く毎日だ。その書類に「他人に薦めたい本はありますか」という欄があり、私は「お笑い 男の正座」と自信を持って書いた。就職活動をしている中で、自分は果たして自分の行きたい道に進めるのかと不安になる時がある。そんな時には「迷わず行けよ、行けばわかるさ!」と気合いを入れるのだった。
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