―――試合リポート、名言・迷言、シネマ批評、ポエム、落ち武者編集後記―――
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 10月3日(金)


 あしたは週末か? 金曜日がくるといつも私はそう思う。1週間(7日間)の中でその境界線は金曜日にある。
 金曜日は私にとってはもう"おまけ"みたいなもの。軽く流しながら1日を送っているだけなのだ。
 土曜日になると競馬で"戦闘開始"となるからだ。私の人生はこのパターンでいいんだと、もはや完全に割り切ってしまっている。
 朝、「日記」を書く。午後11時、エフエム栃木のラジオに電話出演。午後1時、『週刊プロレス』の編集長時代に私が立ちあげたラジプロ(札幌でやっているラジオプロレス)が、10周年になったので、それに出演する。
 久し振りに日野さんとお話をする。日野さんは札幌でプロレスショップ「リングパレス」をやっているオーナーである。
 私はえ、まだラジプロをやっていたのという感じである。私が『週刊プロレス』の編集長を辞めたのは、1996年(平成8年)なのだ。あれから7年もの時間がたってしまっている。
 7年といえば現代では"大昔"といってもいい。そう、あの頃の「週プロ」のことはみんな忘れろ。大昔のことと思え。それでいいのだ。
 浦島太郎になっても仕方ないだろう。「週プロ」という玉手箱は決して開けるなといことである。
 午後2時、半蔵門にある宝島社に行く。ここにいくと私は興奮する。受付嬢が2人いて若い方の彼女が、実に性格が明るくて私のお気に入りなのだ。
 女のコは性格である。性格はビジュアルをカバーできる。パワーがあると私は、この頃、確信するようになった。
 世に"面食い"という言葉がある。メンクイという言葉のひびきは露骨すぎる。きたない日本語の一つである。
 下品だよなあ。しかし器量の良さも性格の良さには絶対に勝てない。なぜなら性格は彼女という存在の全体像のことだが、器量は彼女の一部分(パーツ)でしかないからだ。
 もっというなら性格にはリズムがある。ポジティブな性格には躍動感があるということである。器量(美人)はどちらかというと静的。静止しているイメージがある。
 この違いは大きいような気がする。私は彼女に「君は反応がいいよね」と言ったら、会議室まで缶入りのお茶をわざわざ持ってきてくれた。
 編集担当者がすべきことを受付嬢がそれをやってくれたのだ。こういう人にはいっしょに食事をして私が持っているものを、伝えたい気持ちになってくる。
 それでお互いがハッピーになれたら最高ではないか。輝ける人はもっと輝くべきだし、成長できる人はもっと成長すべきなのだ。
 この日の取材は雑誌『この映画がすごい!』でテーマになった映画は『リード・マイ・リップス』。今年、見た映画ではトップ3にはいる。
 才能にあふれた監督に出会うことは、映画ファンとしてこの上ない喜びである。監督のジャック・オディールははっきり言って人間としては"ド助平"男である。
 映画という媒体においては、監督は助平であることと、才能があることは同一語である。
 あのなめまわすようにして対象物を撮っていくカメラワークにはまいった。助平な目線と視線を持っていなかったら、あんなしつこいカメラアングルはできない。
 あれがあの監督の女性に対する愛し方、愛情表現なのだ。それで映画の中では平凡に見えた女性が、どんどん美しくなっていくのだから面白い。
 この"美しくなっていく"という所にこの映画のすべての意味があるのだ。本当のことをいうと、主人公の女性はどしょっぱいのだ。
 魅力なんて全然ない。男なら誰も相手にしたいとは思わない女性。それを見事に改造してしまうのだから、こういう映画こそ私は真のハッピーエンドと言いたいのだ。
 と、まあ、私はそんなことを担当編集者とライターの人にしゃべったのだった。
 午後5時半、格闘技&プロレス図書館「闘道館」でソウルTVの取材を受ける。韓国のプロレスはどうしたら日本のように人気が出るのかという質問だった。
 6時半、帝国ホテルの地下にある中華料理の「北京」に行く。この6月で『東京スポーツ』を退社された桜井康雄さんを励ます会に出るためである。
 行って見てびっくりした。馬場元子さん、坂口征二、門馬さん、菊池さん、新日本プロレスの上井さん、ベースボールの浜部さん、ゴングの竹内さん、小佐野さん、清水さんなど30人近い人がいたからだ。
 私と桜井さんはほとんど付き合いがなかった。むしろ敵対関係にあった。私は『週刊ファイト』育ちで、その時の井上編集長は『東京スポーツ』にコンプレックスを持っていた。
 そのコンスプレックスは私にも当然遺伝した。昭和50年代のプロレスマスコミは、「東スポ」と「ゴング」が中心になって動かしていたのだ。
 だから私は打倒東スポと打倒ゴングが、私のプロレス記者生活の目標と生きがいになっていったのは仕方がないことである。
 この会はその「ゴング」の竹内社長と新間さんが中心になってやったもの。私は基本的に場違いな人間。
 そのことで私は仲間はずれな感覚を持ってしまった。でも、私をここまでしてくれたの人は、明らかに桜井さんと竹内さんである。
 この2人を乗り越えたいという気持ちがなかったら、私はプロレス界にこんなに長くいることはなかった。
 それだけはいえるのだ。私としては桜井さんと竹内さんにジェラシーを感じたということである。嫉妬というのは一つの決定ともいえる強いモチベーションになってしまうことがあるということである。
 しかし今となってはかつての敵も味方も、こうしていっしょに立食パーティーをしながら、プロレスについて語り合う時間を共有する。
 それが素晴らしいのだ。やっぱり我々は結局、同じプロレス者の同士なのだ。
 みんなトシをとった。桜井さんだって67歳だという。「東スポ」を作った人。「東スポ」の局長を何年もやった人。
 だが、誰にでも組織を去る日はやってくる。それが早いか遅いかだけの差である。そして人は最後はひとりになる。
 個人に戻っていく。トシをとり個人に戻った人々はみんな仲良くなるしかないのだ。
 元子さんにも会えたことだし、今日、この会に出席したことは私にとって大きな意味があるといえるだろう。
 今や"昭和のプロレス"はすでに無形文化財になりつつある。保護していかないと、その存在さえあったのか、どうかもわからなくなっていく。
 この会はその"昭和のプロレス"を知っている人たちの集まりだった。なんだかさびしい気がしてきたこともたしかである。もう終わっているのだ。ウン、終わっている……。

 

 10月4日(土)

 今日は語るに足らない1日だ。朝、競馬に行って阪神競馬の第2レースで単勝43倍。馬単150倍の万馬券を的中させ、すぐに弟子の歌枕に電話したが、彼はとうとうWINS後楽園にはこなかった。
 10月から流れが変わる。9月は悪過ぎた。あんな最悪の9月はなかった。すべては『SRS?DX』が廃刊になることがわかっていて、それなのに2冊本を作らなければいけなかったこと。
 あれが悪かったのだ。それでツキがまわってこなかったというか。いくら競馬をやっても勝てなかった。
 昼からドツボにはまってせっかく午前中に勝っていたのにそのぶんをはき出してしまう。さらに持っていたお金の大半もやられてしまう。
 後半のレースで勝てるレースはいくらでもあったのに微妙な所で買い方を間違ってしまう。
 これも全部、9月と『SRS?DX』のせいである。それをわかっていて私に付き合わなかった歌枕は偉い。
 競馬が終わったあと午後5時から喫茶「ルノアール」で『サラブレ』編集部のY氏と会って、取材の打ち合わせをする。
 彼は函大有斗高校の野球部でキャプテンをしていて、甲子園に出場しているのだ。
 プロレスラーになろうとして、いろんな団体に挑戦したが結局、レスラーにはなれなかったそうである。
 少し背が低いのだ。それでだめだったのかもしれない。彼は私に『サラブレ』の別冊を作るのでそこに登場してくれというのだ。
 2時間半ぐらい打ち合わせをしながら、雑談をした。競馬の話をするといくらでもできる。相手が競馬が好きだったらなおのことだ。
 彼と別れて家に帰ると私はそのままぐたっとしてすぐに寝てしまう。それがつまり取るに足らない1日だったといういい証拠である。まだ私の中で"9月病"を克服しきれていないのだ。これをなんとかしないと私は前に進めない。誰かそのきっかけを与えてくれる人が、早く出て来て欲しいよおおおお。


 10月5日(日)

 素晴らしい日曜日だった。"サンデーシンドローム"という言葉を使ってきた日曜日が大嫌いな私にとって、今日はめずらしい展開になったのだ。
 午前8時20分、私は「西野君、急げ。いっしょに中山競馬場に行こう!」と言って、2人して家を飛び出たのだった。
 その前、私はこの日、起きた時、息が苦しかった。疲れがピークにきたようである。西野君に「苦しい、苦しいよお……」と叫んでいた。
 体のあちこちも痛い。食事をとれる状態ではない。それでも私は西野君が作った朝食を、なんとかそれこそむりやり口に入れこんで食べた。
「休んだ方がいいですよ……」
 バカを言え。こういう時に体を休めたら逆に私は終わってしまうのだ。
「そんなムチャですよ、それは……」
 いいんだよ、オレはどんなことがあっても中山競馬場に行くからな。
 家を出て外の空気に触れた途端、一瞬、気分が変わった。あの少し冷たい外気が私の苦痛を取り払ってくれたような気がした。
 あのまま家の中にいたらろくなことになっていなかったはずだ。外に出たことが好転反応を呼んだのだ。
 私は都合よく自分にそう言い聞かせていた。つまりは競馬という好きなことをやろうとしたことが、一番の薬になったということである。
 これ以上の良薬はない!
 立石から東中山の駅を降りバスで中山競馬場へ。そこからは西野君に馬券を買いに行く役をやってもらった。
 札幌、中山、阪神の三つの競馬場の馬券を5分おきに買うのは、私ひとりでは無理なのだ。彼がいることで私は大いに助かったのだ。
 私が予想しマークシートにその予想を書き込み、お金を渡して西野君にその馬券を買ってきてもらう。
 それでも私は1回だけマークシートに(12)と(11)の馬番をぬり間違えて、当たっている三連複の馬券を取り逃がしてしまったのだ。
 昼から弟子の歌枕が到着。彼は緑茶と寿司を買ってきてくれた。私たちは3人がかりで馬券を改めていたのだ。でも、馬券を買うのは私ひとりなのだ。
 途中、私は大きな虫眼鏡で予想紙を見ていたら、その虫眼鏡を床に落としてしまい、その虫眼鏡が粉々に割れてしまう。
 何度も落としたことがあるが、今までは一度も割れなかったのに……。西野君に掃除のおばちゃんを呼んできてもらい片付けをさせる。
 あぶないからだ。メインレースはG1の「スプリンターズS」。私はその前のレースまでで、実はきのうの負けをみんな取り返していたのだ。
 「スプリンターズS」の前にトイレに行った。大の方ではなく小である。
 便器の前に立った時、その便器の上の所に小さな数字で8というのが目に
はいった。便器に番号がついていることを、私はその時、初めて知ったのだ。
 わずか5ミリぐらいの小さな数字である。あれ、これはひょっとして神のお告げかもしれないぞ! 8はなんなんだと枠順を見ると5枠8番の馬はデュランダルだった。
 よし、これに決めた。私はデュランダルの単勝とデュランダルからの流しで馬単と三連複を買った。
 そうしたら4コーナーを最後方でまわったデュランダルが直線大外から本命のビリーブをハナ差、差し切ったのだ。
 私は"まさか"と思った。歌枕はパドックを見ていてデュランダルの出来が一番いいと心の中で思っていたが、それは私に言わなかった。
 いずれにしても秋のG1レースの第一線で私は勝ったのだ。西野君にその馬券を払い戻しに行かせる。
 しまった。なぜその馬券をコピーしなかったのだ。大失敗だあ。
 歌枕も西野君も喜んでいたというか、私が勝ってホッとしていた。
 私が馬券で負けて不機嫌になった顔なんか見たくないはずである。私は最終レースはパス。もう、これで今日はこのまま勝ち逃げしようと宣言。いったん競馬場の入口まで出かかったところで、待てよ、馬券は買わなくてもレースだけ見ようと言って、また引き返してモニターのテレビを見ることにした。
 余裕をこいて最終レースを見ることにしたのだ。中山の最終レース。私は「これはねえ、ラモンターニャが馬券的には面白いんだよね。でも、さっき池添騎手はスプリンターズSに勝っちゃったから、最終レースは遠慮してこないかも。ここでまた勝ったらバチがあたるからな……」と言った。
 そうしたらなんと直線あと50メートルの所で、ホントにラモンターニャが猛烈な追い込みを決め、一番人気のバンブーミランと激しくせりあいそれをせり落として1着で入線。
 なんということか? いつもなら持っていたお金を私は、最終レースで全部ぶちこむのにこの日に限って勝ち逃げし守りにはいった途端にこのざまである。
 単勝は1500円以上つき、馬単も5千円以上ついた。なんだよ、いつもの私なら軽く100万円取っていた。ムチャな話である。後の祭りだ。
 それにしても池添、お前、場を読まないで、こんな所で別にまた勝たなくてもいいんだよ。お前ってヤツはそういう男なんだなあ。
 せっかく"やった!""やった!"という気持ちで「スプリンターズS」に勝利したのに、ラモンターニャに賭けなかったことで一転、私はまたしても敗北感にかられていた。
 こういうのをバクチにおける自己憎悪というのだろう。競馬場から東中山の駅までの"おけら街道"を歌枕と西野君と3人で歩いて帰る。すごい行列である。
 "おけら街道"という言い方を西野君は初めて知ったようである。立石駅に着くと塾生のM氏が待っていた。
 M氏は彼女のこと会社のことで相談があるというのだ。彼女とはこれから「付き合って下さい!」という段階だった。
 だったら早くそれを言え。NOかYESかは彼女の側に選択権がある。ぐずぐずするよりも早くその答えを知った方がいい。
 大事なことをそういうことを私に相談しに来たことが大進歩。もう、それだけでこの話はOKなのだ。
 たとえ付き合うことを断られても、必ず次の展開がもはや待っている。君はそういう流れの中にやっとはいったのだ。胸を張って生きろである。
 もしその彼女を私に紹介することがあったら、それはその付き合いが成功した証拠になる。そういうと彼は納得していた。
 仕事については彼は予備校につとめていて夏期講習のパンフレットを机の上に並べた。もう一つは冬期講習のパンフレットを見せたが、これはコピーとデザインの両方がまずい。
 なぜ、だめなのか詳しくその理由を私は編集長の立場から説明する。そして私ならこういうコピーを使うと言ったら、感心していた。
 「次にパンフレットを作る時、山本さんに相談させていただきます」と言った。
 それでよし。仕事のできる人は人(他人)の才能を利用、活用するのがうまいのだ。才能は利用され活用されることを望んでいるのだ。
 なぜなら才能は世のため人のためになるものなのだからだ。話が終わると、歌枕と西野君を呼んで4人でそのまま"やるき茶屋"で飲んだ。
 まさしくいい日曜日だったと思う。デュランダル、万歳! 君はホントによくビリーブを差し切ってくれた。


 10月6日(月)

 朝、目がさめるとまだ前日の「スプリンターズS」の余韻が残っていた。スポーツ新聞の競馬欄をめくると、デュランダルの勝利がでかでかと載っている。
 気持ちがいい。G1レースを単勝、馬単、三連複をトリプルで的中させると、ホントに"やった"という気分になる。
 あらためて「PRIDE武士道」に行かなくてもよかったと思った。私の判断は間違っていなかった。
 掲示板にも怒りの書き込みがあったが、あれで5時間半興行をやられたら、エンターテインメントもへくそもない。
 私だって腹が立って叫んでいたと思う。「ふざけるな!」と。ああいうのをただの観客不在興行というしかない。
 お客に形を変えた拷問を与えているようなもの。そういうものはもう私は見たくない。勘弁して欲しい。
 午後2時、水道橋にある喫茶「ルノアール」に行く。編集プロダクションの人と会う。なんでもあるムック本を作っていて、猪木さんがかつてタバスコを輸入販売する権利を持っていたことについて話を聞かせて欲しいというのだ。
 私はプロレス以外の猪木さんについては、何も詳しくない。タバスコに関してはそれでもある人物から猪木さんが持っている輸入販売の権利を買い取りたいので、猪木さんと会わせてくれないかと言われたことがあった。
 あの時はたしか猪木さんの弟さんである啓介さんに話を持っていったことをおぼえている。
 それよりその編集者がタバスコについて何も知らない。何も調べていないことに関してムッとしてしまう。
 君はタバスコがいつ頃から日本で消費量が増大していったのか、現在、家庭でタバスコを置いている比率はどれぐらいなのか?
 コンビニでタバスコは売っているのか? タバスコの輸入業者はどこなのか? ネットでもなんでもいいから自分で今からすぐに調べろ。勉強しろと思い切り忠告、アドバイス、文句を言った。
 これは取材記者でも編集者でもなんでもない。オレにすべての答えを聞こうとするな。お前がまず自分で調べものをするんだよ。
 ところで君(28歳とか)は恋人はいるの? 彼女はクリーニング屋につとめていると言った。彼は早稲田大学卒業だが、彼女は26歳で高卒と言った。
 それはいい。そこの部分は君は合格である。いわゆる君は人がいいのだ。すれていない。ずるしない。でも、でも君は生きることとか仕事に関しては精神がニュートラルすぎるんだよ。
 3時半、新紀元社に行く。ターザン高松社長から11月に本を2冊出してくれと頼まれる。弟子の歌枕も同席。
 昔、選挙運動を手伝った経験があるターザン高松は、富家先生が無所属の会から選挙に出ることを私に教えてくれた。
 最初、富家先生は自由党から出馬する予定だったのに、民主党と自由党が合体したことで、わりを食ってしまったようである。
 先生は中野区で民主党の現職と戦うことになった。ターザン高松はとにかく私にプロレス以外の題材で本を書かせようとしている。
 それは正解だ。でもターザン高松が私のことを、どれだけ理解しているかは、それはまた別の話である。
 新紀元社から出した橘大五郎(おやま)の写真集を見せてもらったが、表紙と中のデザイン、色の使い方、オビに問題あり。私に相談してくれたらなあ。という思いはある。せっかくのいいタマなのに。
 私は映画『座頭市』に出演している彼を見て好きになったのだ。またターザン高松は私と養老孟司を対談させて本を出したがっているが、もう遅い。あんなに有名になってしまったら、養老さんはつかまらない。
 午後7時、三軒茶屋にあるエンターブレインに行く。『サラブレ』が競馬の別冊本を出すことになり、私がJRA(日本中央競馬会)にもの申すという企画を言ってきたのだ。
 私にはなぜそういうあぶないというか過激な企画しかこないのか?
 まずスタジオで写真撮影。これがまた凄いのだ。カメラマンが要求した表情を私はなんなくこなしていく。スイッチさえはいれば、私は撮影されることが少しも苦にならない人間。
 むしろ喜んでいろんなポーズを取る。あとにカメラマンがどれもみんな使いたくなるカットばかり。これは誌面にどれを使うのか、選ぶのが逆に大変だと言っていた。
 この企画のラフのレイアウトを見せてもらったが、でかいタイトルは「寸止め競馬なんかくそ食らえ!」みたいなものになっていた。
 騎手がなれあいのレースばかりやって、全然、緊張感がない。ペースはすべてスローペースになり直線だけヨーイドンの競馬になっていることに私は、馬券を買う側から怒りを叩きつけたのだ。
 そのなれあい競馬を称して"寸止め競馬"と呼ぶのだ。もう、そのあとも私のテンションがあがって、競馬界と日本の競馬の問題点、悪口を言えるだけ言った。せいせいした。
 取材のあと三軒茶屋にあるお好み焼き屋で私とY編集者と歌枕と食事する。
 Y編集者が10万円馬券を2、3回取っている話を聞いて、これはオレも負けてはいられないと、またそこで私はテンションがあがった。負けず嫌いというのは、何に対しても反応がよくていいものだと思った。
 気が付いたら午後11時20分。あれ、電車がなくなる。私はあわてて食事を打ち切り三軒茶屋から押上を経て立石に向かった。終電の一つ前の電車に間に合った。
 Y氏のことは私は気に入った。5ページといったが、面白いページにしてくれよ。インパクト、インパクトのあるページになることを望む。


 10月7日(火)

 今日の「与作」のかつおは、本当においしかった。お兄ちゃんが「最高にあぶらがのっていますよ」と電話してきたが、その言葉通りだった。
 赤紫色した刺し身のかつおは、見ただけでまるで宝石のように光り輝いていたからだ。
 あれは一種の海のダイヤモンドだ。それもある時期の一瞬たまにしか獲れないものといった感じ。
 お兄ちゃんが出かけていてお母さんとか店にいなかったのだが、お母さんの切り方は、実に大雑把なのだ。
 もう少しデリケートに切ってお皿に盛ってくれたら、さらにおいしくいただけるんだけどなあ……。
 料理においては大きさ、形、色の盛り付け方、つまりレイアウト、デザイン感覚は重要なのだ。
 食事は味覚の前に視覚でも料理を味わっていることを、忘れないで欲しい。別に私はお母さんのことを批判しているのではない。
 食事についての一般論を述べているだけである。
 新紀元社のターザン高松社長が弟子の歌枕の所に電話してきて、私がやる気になったかどうか、チェックしてきたそうである。
 11月に2冊、本を出さなければならないのだ。私は今、自分の中の引き出しが多過ぎて、逆に困っているのだ。
 『マイナーパワー』の原稿を5本、書く。最近、会員のみんなが掲示板への書き込みが多くなったことに対してそのお礼を「編集後記」に書いた。
 午後3時半、新宿にある映画館、新宿武蔵野館に行く。3時50分から『サハラに舞う羽根』を見た。
 "一揆塾"のNさんに誘われていっしょに見たのだ。そのあと新宿駅南口にある喫茶「滝沢」でコーヒーを飲む。ここのコーヒーは一杯、千円。
 喫茶店というより"談話室"という看板が売りものなのだ。『サハラに舞う羽根』は、戦争、活劇、冒険、友情、三角関係の恋愛映画。
 年輩の人が見たら最後は、目から涙が出てしまうだろう。私も出かかった。シェカール・カプール監督は1945年、当時、英領インド(現パキスタン)のラホール出身。
 それもあってかこの映画は妙に古き良き時代の映画のフォルムを、残している部分があった。
 明らかに生き残ることは不可能なシーンなのに、主人公たちは絶対に死なないのだ。それは映画だからである。私はそこに違和感を持ってしまったのだ。
 Nさんは元タクシーの優秀な運転手。どうすれば売り上げがのびるの?と私が質問したら、運転は信号ごとに左回りにまわっていくことだと言った。
 それも自分の車が必ずタクシーとしては先頭を走ることが条件だというのだ。この話は説得力があった。
 Nさんは少し精神に障害があって、今、仕事ができなくなって生活保護を受けている。私といる時は病気が症状としてあらわれないのだ。
 午後7時半、今度は別の塾生(一期生)のIさんとキラー・カーンのお店「カンちゃん」に行く。
 1年半つとめた会社を9月末で辞めたので、その報告と相談ごと。この店特製の"モンゴリアン・サラダ"と夏用のちゃんこを注文する。
 玉子焼もこれがうまいのだ。カーンさんは「谷津がよく来てくれるんだよね。でも、長州は谷津のことを"あのバカ!"と言っちゃだめだよね……」と私にそう言った。
 WJプロレスがどうなるのか、カーンさんも気になるようだ。Iさんとは9時40分まで話をした。
 店を出たあと私は彼に「君にはまだ借りたお金を全部、返していないんだよね、いくらある?」と聞いたら、少し間があったあと「5万円……」と言った。
 2年近く前、彼は私が何も言っていないのに70万円のお金を家に持ってきて使って下さいと言った。
 毎月5万ずつ現金書留で返していったが、最後の14回目の返済になった時、私はわざとそれを返さなかったのだ。その最後の5万円を返してしまったら、私と彼の縁がそこで切れてしまうと考えたからだ。
 借りたままにしていたら彼はまた何かあった時に、たとえば今回のように私に電話してきて私と会うことができる。私はそう踏んだのだ。
 私が彼にそのことを言うと、私のアングルに彼はびっくりしていた。私は今月から1万円ずつ返していくつもりである。残り1万円になったら今度は千円ずつ返していく。
 家に帰ると映画『サハラに舞う羽根』についての文章を書く。『マイナーパワー』用である。
 今日、私は美幸さんにポストカードで葉書を出した。あしたも出すことができるのか、挑戦してみようと思う。そのためには気に入ったポストカードを買いに行く必要があるのだ。


 10月8日(水)

 午前中、荷物が二つ届いた。一つは「ゴング」の竹内さん(竹内宏介社長)から。
 格闘技の選手名鑑をムックにしたものを、わざわざ送ってくれたのだ。1775人のファイターたちのデータが載っているので、これは原稿を書く時に使える。便利である。
 中に一枚の写真がはいっていた。例の桜井康雄さんを励ます会の時に撮った全員の集合写真。これも貴重なものである。
 もう一つは宅急便。馬場元子さんからだった。馬場さんをデザインした新潟の地ビールが6本はいっていた。
 私はさっそく竹内さんと元子さんへポストカードにお礼の言葉を書いてポストカードにそれを入れに行った。
 ついでに美幸さんにも葉書を書く。西野君にはポストカードを10枚買ってくるようにと頼む。はたして彼はどんなポストカードを買ってくるのだろうか? 私は彼のセンスを問いたいのだ。
 午後2時、弟子の歌枕と立石の駅で待ち合わせ。そのまま羽田空港行きの電車に乗る。所有時間はちょうど1時間。
 すぐに寝てしまう。それは気持ちのいい睡眠ではなく、苦しみをともなった睡眠だった。
 すんなりと眠りにはいりきれない睡眠のことである。空港でチェックインする。その時、初めて席がスーパーシートなのに気が付いた。
 この日、私は博多で出張版一揆塾をやったために福岡行きのJALに乗ろうとしていたのだ。
 私を博多に呼んでくれた山崎さんは、『マイナーパワー』の"往生際日記"をチェックしているのか、VIP待遇をしてきたのだ。それも私と歌枕の2人ぶんである。
 今日は先が長いので空港内で立ち食いそばを食べる。粗末なそばなのにこれが600円もした。
 それが"空港料金"としたら、ぼったくりと同じではないか? さっきパン屋に寄ったらそこにはあんパン、ジャムパン、クリームパンがなかった。
 それでパン屋といえるのか? 私は食べものに関してはうるさい所があるのだ。電話が並んでいたので「紙プロ」の事務所に電話した。
「豪ちゃんをお願いします?」
「今、出ていません」
「ターザン山本です」
「今、出ていません」
「ターザン山本です」
「出ていません」
 完全にその瞬間、私はキレた。
「S女史に変われ! オイ、君の所は社員に電話のかけ方、応対の仕方を教えていないのか?」
 するとS女史はウ、フ、フと笑った。
「君、今、笑ったな。その笑いはどういう意味なのか説明してみろ!」
 もう、こうなったら私は止まらない。
「ふざけるな、バカ野郎! なめているのか?」と大声で叫びまくる。
 3番ゲートの前にはたくさんの人がすわっていた。そんなことおかまいなしだ。最初に出た社員は今年の6月に「紙プロ」にはいった人間とか。「私がこちらから『ターザン山本です』と名乗ったら『いつもお世話になっております』というひとことが言えないのか? それをただ『出ています』『いません』としか言えないのは一体、どういうことなのか?」と私はS女史に文句を言った。
 新入社員にはまず電話のかけ方と応対の仕方をきちんと教えろ。オレたちの仕事は用件にプラスして、雑談することが大事なのだ。
 電話は情報交換の場でもある。いい雑談をできない者は、エディターに向いていないのだ。そいつは即刻、クビにしろ!と私はそこまで言ってしまう。
 ダイアローグや会話は大人であることをチェックするバロメーターになる。まさか空港内でこんな事件が待っているとは思ってもいなかった。
 ガンツが編集部に帰ってきて、すぐにおわびの電話をしてきた。ガンツと話をしていたら飛行機の離陸10分前になっていた。あ?あ、私はまたやってしまった。しかしこのケースでは言わざるを得ないだろう。
 S女史は泣きそうになっていた。私のことは単なるキャラとだけ考えている人間は、それだけでもう失格なのだ。私が言いたいのはそこの部分である。
 JALにはあきれた。スチュワーデスが少ないと思ったら、いい親父さんが飲みものを配っているではないか?
 それはないよな。やめて欲しい。スチュワーデスは若い女性であるべきだ。そうあって初めて空の旅は、気分いいものになるというものである。
 おっさんとはねえ。福岡空港からタクシーに乗って中洲にあるホテルオークラに行く。
 ロビーには山崎さん御夫妻が私と歌枕を迎えに来てくれていた。山崎さんは3人の娘さんまで連れてきていて、私たちはみんなで記念写真を撮った。上が12歳。下が6歳の山崎家の三姉妹である。
 午後7時から山崎さんの事務所の会議室で、一揆塾の講義を始める。20人ぐらいの人がいた。女性も7、8人いた。山崎さんが私が女性がいると話のテンションが上がることを知っていて、動員をかけたのだ。
 そのへんのことは立派というしかない。でも、私(ターザン山本)のことを知っている人は5人だけであとの人は私のことは何も知らなかった。
 都会論と恋愛論を中心に話をする。今ここにいる自分がもしかしたら違う自分へと変化していくかもしれない。そういう可能性を探る出会いの場にしたい。それが私が山崎さんに呼ばれて博多に来た理由でもある。
 "違う自分"とは、なっていたかもしれない"もうひとりの自分"のことである。 私の話を最も目を輝かせてきいていたのは、山崎さんの奥さん。次が山崎さん。3人目が前の席にすわっていた若い女性。
 この3人はいずれも最前列に陣取っていた。当然、私はこの3人と向かいあう形で話をした。ほかの人にはいっさい視線を向けなかった。
 向けたらテンションが落ちてしまうからだ。特に奥さんの目はガチンコだった。この人はオープン・マイ・アイズされっぱなし状態だった。
 講義を終わると二次会。男性7千円。女性5千円の会費。料金は水炊き。私のとなりの席には東大出の23歳の若い女性がすわった。
 彼女はお母さんが病気がちなので、東京から博多に戻ってきたのだ。私は瞬間的にこの人は東京に連れ戻すべきだと思った。
 彼女の中にいるはずのひょっとしてなっていたかもしれないもうひとりの自分を、このまま放棄してどうするんだよと、私はそのことを彼女に言いたいのだ。
 親孝行とは自分の人生を放棄することと同じである。自分の人生が先にあって、その枠の中で親孝行をすればいいのだ。
 優先順位を間違わないで欲しい。しかしこれは余計なおせっかいかもしれない。水炊きはおいしかった。鳥のつみれがよかった。二次会が終わると山崎さん夫妻と朝までやっている喫茶店でお話をする。
 そこで山崎さんがどんな人なのかやっとわかる。やっぱり人間は話はしてみる必要がある。
 ホテルの私の部屋まで山崎さんに来てもらい私は、ターザンバッチを五つ山崎さんに渡した。
「これは幸運を呼ぶ込むバッチですから……」
 バッチを渡した時、私は部屋のキーを部屋の中に忘れてしまい、フロントに行ってアフターキーで開けてもらう。
 最後は私のおっちょこちょいぶりで、この日の幕は降りた。楽しい1日だった。私は追いうちにまたたぶん博多に行くことになるだろう……。


 10月9日(木)

 ホテルオークラは凄い。部屋の中にFAXがあるのだ。私は『レジャーニューズ』の原稿を書いて、そのままそのFAXで原稿を送った。
 助かるなあ、ホント。FAX代は原稿用紙4枚で100円だった。地方のホテルに行くと原稿用紙1枚につき200円取られてしまったことがあるのだ。
 トイレはウォッシュレット。あれは抜群にいい。紙でお尻をふくのはよくないんだよね。あたたかいお湯で洗ってくれる方が、100倍気持ちいい。
 朝食は和食をいただく。いたれりつくせりのホテルでした。午前11時発羽田行きのJALに乗る。
 疲れているせいもあって飛行機の中では寝てしまう。帰りもスーパーシートだった。リッチだよなあ。
 2時過ぎには家に到着。部屋で横になるとすぐに山口百恵のCDをかける。もう、最近は毎日、山口百恵の曲をききっぱなしなのだ。
 博多から帰ってきて思ったのは、きのうのことは"非日常時間"だったことが、あらためて確認できたことである。
 壁のすぐ向こう側には非日常的世界が必ずあるみたいな……。その壁の向こう側にするりと抜けて行ったような感じがして仕方がないのだ。
 山崎さんのケータイに電話する。留守電だったので「一番インパクトがあったのは、山崎さんの三姉妹でした……」とメッセージを入れる。
 今日も美幸さんにポストカードを送る。私は一つの決心をしたのだ。彼女の赤ちゃんが生まれるまで、毎日、ポストカードか手紙を送り続けるようと……。西野君はまだポストカードを買っていなかった。
 言われたことはすぐにやって欲しい。1日でも送らせるな。私が言ったらその日のうちに完結させろである。
 もう一度、買ってくるように命令する。西野君に恥をかかすわけではないが、きのう博多から掲示板に書き込みがあったと聞いたら愛知県のイマジの人からありましたという。それって愛媛県の今治(いまばり)のことじゃないの?
 これから私は西野君のことを愛知のイマジ君と呼ぼうと思った。
 7時前、総武線の浅草橋のホームにいたら弟子の歌枕から電話がある。今、offt後楽園にいるというのだ。
 ナイターの大井競馬をやっていて、メインレースはG2の「東京盃」があり、中央の武豊、蛯名、柴田善なども有力馬に乗っている。私は大井の内田博騎手が乗っているハタノアドニスが勝つと予想。
 2着もサウスヴィグラスと踏んでいた。馬単は(6)?(2)が大本線。ところがofft後楽園に着くとちょうど8レースのパドックを写し出していた。
 こうなるといけない。「東京盃」の前にスイッチがはいってしまい、8レースで勝負だと思ってしまったのだ。
 8番と12番の馬が中心。こうなると(8)と(12)を食ってしまう穴馬を探すのが馬券作戦の妙。私は2番の馬に目をつけた。そうしたらこの馬、スタートはよかったのに押さえてしまう。
 あれではもうだめ。前につけてないとだめなんだよ。結局、私がにらんだ穴馬は4番の馬だった。石崎駿の乗った馬が4コーナー手前ですくってそのまま1着。
 2着が8番の馬。3着が12番の馬。私が予想した通りの展開。くそ?、4番の馬と2番の馬の違いだけではないか?
 このショックで私は「東京盃」を当初の予想通りに馬券を買うことができずにさんざんなめにあう。
 まったく結果は馬単が(6)?(2)とそのままきてしまったからだ。あとで歌枕にえらく叱られてしまう。彼は10番の馬が穴といっていたら本当にそ10番の馬が3着にきて(6)?(2)?(10)の三連単は1万5000円の万馬券。
 "一揆塾"の講義がなくてofft後楽園にいたら絶対にその馬券はとっていた。悔しい!
 一揆塾には名古屋に転勤になった大塚さんがいて、彼は向こうでいい人が見つかって結婚。すでに赤ちゃんまで彼女のお腹にいるというのだ。
 え、このところ一揆塾にはおめでた続きではないか? 素晴らしい。赤ちゃんはこで4人目なのだ。
 それを思うと二期生の"姫"は私に「一番乗りで塾長のお孫さんは私が生んでみせます」と言いながら、4人の塾生にもう先を越されてしまっている。
 姫、君の生き方はしょっぱいよ。陸上のトラックでいうと周回遅れになっているよ。このままだと先が全然見えてこないじゃないの?
 最近は「与作」にも顔を見せないというし。私の前から姿を消すとはまずいと思うんだよね。
 新しい人が2人、今日、塾に来ていた。2人ともまだ20歳そこそこ。彼らはいずれも見込みがある。学生というのがいい。
 ぜひ私について来て欲しい。君たちが求めているものは、今の日本にはないと思う。あるはずなんかない。
 だが、私の所にはある。なぜなら私は若いからだ。講義を終わると近くの中華屋に行く。これで3週間連続である。私は円卓いっぱいにガンガン料理を注文して並べる。
 ギョーザは10人前。13人でひとり2600円だった。10時半までワイワイガヤガヤ楽しい食事の時間をすごした。これでいいのだ。
 歌枕が食事中にアーネスト・ホーストが、K?1GPに出場できなくなったと教えてくれた。え、バンナに続きホーストまで。
 そういえば谷川氏も石井館長も10月11日、大阪ドームでおこなわれるK?1GPの試合に私を呼ぶ気配はまったくない。
 招待ぐらいしてもいいと思うのだ。バチは当たらないはずなのに……。知らないよ、オレは。どうなっても。私を無視してことをすすめると、ろくなことにはならないのになあああああ。

 

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お楽しみいただいた「ターザンの往生際日記」の転載ですが、
今回を持って終了とさせていただきます。
もちろん本編はまだまだ続くので、今後も購読したい人は、
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ターザン山本さん、今までアリガトーッ!


 

 

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