その日!!2000年12月5日―。
20世紀の終焉と共に、巨大な“白色彗星”が“ホワイトアウト”した。
「美白の女王」鈴木その子死去―。
華人白命。全スポーツ紙の一面がその訃報を大きく伝えた。
「一報を聞いて冗談ではなく頭の中が真っ白になりました…先生は白い灰となって燃え尽きました…」カメラの放列の中、俺たちが神妙にワイドショーのレポーターにコメントしていた。
日本中を席巻した美白ブーム立役者としてマスコミの寵児であり莫大な遺産を残した実業家でもある鈴木その子先生とブラック・ジャーナリストもどきに芸能界に巣喰う白アリ芸人の浅草キッドとの関係を訝る人も数多くいた。
実は俺たちこそが、この“白いカリスマ”の黒子役であり、彼女に白羽の矢を立てテレビ界に引っ張り出した黒幕であることが全国区的には知られていなかったためであろう。
だが、我々とその子先生は、“黒い交際”ならぬ“白い交際”と呼ばれるほどの懇意な関係にあり、年齢、収入、そして肌の色を越えた信頼関係で結ばれていた。
俺たちとその子先生の出会いは、98年5月、わずか3年前のことである。
当時、鈴木その子の名は世間的にはダイエット研究者として一部には知られていたが、バラエティー番組への出演経験は皆無のシロート同然。もちろんそのキャラクターは今のように白日の下に晒されてなかった。
当時も時代は今と変わらぬ平成不況のどん底のまっただ中、日本中が暗く陰うつな世相に覆われていた。
大人たちには“清貧の思想”なるものが蔓延し溜め息ばかりが洩れていた。一方、若者の間では、ガングロ・コギャルなる色黒のゴキブリ軍団が輩出し、白昼堂々と我が物顔で街を跋扈していた。
そんな、この時代のムードに逆行するかのように鈴木その子先生は豪奢な限りを尽くした白亜の豪邸に住み、顔面 を照射する眩い光を浴び、白く浮かび上がった“仮面の女”として現れた。
そして、そのお姫さまキャラと浮世離れした言動は人々の興味を掻き立て、瞬く間に国民的な人気者となった。
そもそもは、98年4月、TBSの新番組の打ち合わせで俺たちの担当するコーナーの企画会議の席である。
会議は煮詰っていた。
「『未来ナース』って医療バラエティーなんでしょ?だったら毎週水着ギャルのスケベなポーズでレントゲン写 真撮って、スケルトン写真集でも出そうよ。その方が女に囲まれて楽しいじゃん」
俺たちは半ばヤケッパチであった。
それもその筈。この当時、俺たちは免許不正交付事件で謹慎、空白の6ヶ月を経て復帰後も仕事は順調とは程遠く、スケジュールは真っ白で、長い芸能生活の暗黒時代であった。
もはや芸能生活に白黒つけて廃業、妻子ある玉袋は白タクの運転手に、博士の方も故郷岡山に帰り稼業を継ぎホワイトカラーの事務労働者として静かなる余生を送る決意を固めていた。
「今キッドが興味ある人いませんか?」
こうなりゃやけだ! 前々から興味津々だったが絶対に共演なんてありえない人物をリクエストしてやろう。とにかく、見た目も生き様も一癖も二癖もありそうな、大物、キワ物と絡みでもしなければ、俺達の萎えきった芸人魂は鼓舞しそうもない。
「だったら『ルックルックこんにちは』の途中にやってるCMに出てる顔が真っ白な女の人が出てこないかな?あの人、相当インパクトあるよ!」
当時の彼女に対する俺たちの共通の認識は「気にはなっていたが決して触れてはいけない存在」であり、暗黒街の白い粉の如くまさに「アンタッチャブル」であった。
「ああいう人はバラエティーなんて出てくるはず無いよ!」
「でも、出て来たら相当センセーショナルだよ」
「怖いモノ見たさって奴だな」
生前、見るモノが抱く第一印象をも吹っ飛ばし、茶の間に浸透した鈴木その子先生ではあるが、最初は俺たちでさえこれだけの躊躇があったのだ。
数日後「出演ОKですよ!」とスタッフに知らされた時には、にわかに信じられなかった。しかし、どうやって絡んだらいいのか正直言って困惑した。 俺たちの芸風でストレートな物言いをしたら怒って帰ってしまうだろう。
取り扱い注意の銘柄であった。
コーナーの主旨は、肌を美白にする“黒魔術”ならぬ“白魔術”のその子マジックを売りにして、黒光りするガングロコギャルがその子邸奥にある「その子の花園」から出てくると見違えるように純白に脱色され性格までおしとやかになっているという変身ショー。 週刊誌によくある「使用前使用後」の広告をテレビ的に白々しいほど分かりやすくやる企画であった。
5月29日―。
目黒ならぬ目白の鈴木その子邸。
「今日から、番組を御一緒にさせていただく浅草キッドです」黒のタキシードに白のシャツの正装に身を包んだ俺たちは恭しく初対面 の挨拶した。
「そう!私、あなた達のことは何も知らないので、失礼があったらゴメンサナイね」その子先生は淡泊に言い放ち俺たちを一瞥すると、やりかけの仕事があるのかそのまま中座した。
どこかに他人を寄せ付けぬ孤独感が漂っていた…。それは寂しい孤独ではなく、烈しい孤独であった。
(つづく)
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