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水道橋博士の「高田笑学校課外レポート」
高田文夫責任編集『笑芸人』(白夜書房)連載 
笑芸人 vol.2
中学時代オレの仇名は「ヤスシ」だった。〜

中学時代オレの仇名は「ヤスシ」だった。
本名が「小野正芳」のオレは妙字が同じ「小野」と言う、
それだけの理由で何の因果か妙に安っぽく
周囲から「ヤスシ」と呼ばれていた。
 
この仇名を気に入っていたわけでもない。
思い返すとオレが芸人「小野ヤスシ」を 意識したのは
いつごろだろうか?

最も古い記憶は『11PM』で
サントリーの洋酒を持ってくるバーテン。
「そんな話はともかく…」と話の腰を折りながらフレーム・イン。
巨泉さんの頭ごなしの突っ込みを、
のらりくらりとかわすと、
薄ら笑いと捨てぜりふを残してフレーム・アウト。
 
見た目は長身でスマート。
しかい強い個性を見せず、どこか冷ややかに
ナメている雰囲気だけが残り香のように漂う。
 
そんな芸風の人だった。
が、子供心にその 薄味の妙味がわかるわけはなかった。
 
そう言えば小野さんの「スターどっきりマル秘報告」の
レギュラー出演歴は長い。
当初は三波伸介さんが司会者の頃のレポーターであったから、
丸30年近いのではないか。
 
しかし、このレポーターぶりも軽妙でありながら、
どこか胡散臭かった。
その小野さんがいつの間にか「キャップ」として
赤色のブレザーを着込んで、ちゃっかりと司会者になっていた。
 
しかし、「キャップ」なのに貫録がない、
と言うより司会者として番組を背負う前向きな責任感が感じられない。
 
考えてみれば小野さんは芸歴の長さから言っても
芸能界の大御所であり重鎮でありながら決してエラぶっていない。
むしろ、いつも何か後ろめたそうな
気恥ずかしそうな表情をしているように見えるのだ。
 
堂々と居座らない男。
いつでも、すぐに現場からパッと
フレームアウトしていきそうな雰囲気とでも言おうか。
 
小野ヤスシさんが初期ドリフターズのメンバーでありながら、
その後、黄金のドリフの70年代全盛時代には在籍せず、
逆に、いぶし銀のコミックバンド、
ドンキーカルテットとして人気を呼び、解散後も芸能界の
広い交友関係で今のポジションにおさまったことを知ったのは…
大人になってからだ。
 
振り返ってみるとオレが小野さんの「面白み」を
はっきり意識したのはニッポン放送のラジオ、『ビバリー昼ズ』だった。
 
たまに小野さんがゲスト出演すると高田先生に対し
「おい!タカダ!オマエはバカだなぁ〜そんなことも知らないのか…」
などと呼び捨てながら、
実に二人でくだらない掛け合いがトップスピードで繰り広げられた。
 
「マル秘報告」で駆け出しの作家だった先生と、
出演者だった小野さんの関係が、
そのまま変わることなく長く続いているのだ。
 
二人の会話の中身は、ある時は
「オレは加山雄三より早くボードを買った、
 日本で最初のサーファーだった…」なんてホラ話であったり、
またある時は高田先生の師匠、塚田茂先生が、
現在、八景島シーパラダイスの総合演出を担当しており
「今は大先生がシャチ相手にキューを振ってるんだから…」
なんてバカ話であり、またある時は
「東京ロマンチカの三条正人が親父狩りにあった際の所持金は
 加藤(茶)が負けた金だ!」
と麻雀仲間として実に無責任な証言を振り込んだりするのである。
 
いずれの話も小野さんの芸能界の生き字引とでも言うべき
豊富な無駄な知識がちりばめらながらも、大半のリスナーには、
どうでもいいような楽屋話である。
しかし必ず「これは、ここだけの話なんだけど…」と始まり、
さも誰も知らないような内緒話のような口調で
ラジオを通じて声高に語ると言う、どうにもどこか矛盾した人だった。
ただ、その話のインチキな匂いがオカシくて、すっかり魅了されていた。

その小野ヤスシさんが
今年の2・16「我らが高田笑学校しょの9」の紀伊国屋ホールの舞台に
出演芸人としてエントリーしたのである。
しかも対談のゲストとしてでなく、持ち時間20分でネタを披露すると言う。
 
これは見物である。
オレたちはこのライブのレギュラー出演者であったが、
この、またとないチャンスに、
漫才を「荒井注追悼」の時事ネタをずらりと並べた後、
本ネタは「知ってるつもり・小野ヤスシ」として敢えて用意した。 
 
つまりオレたちにとって小野ヤスシとは
「昭和9年会の大物芸能人に取り巻き、
 日夜、接待ゴルフと賭け麻雀の日々を送り、
 晴れの結婚式でご祝儀泥棒にあい、
 鳥取が生んだ唯一の有名人でありながら、
 参院選で鳥取から出馬すると、あっけなく落選した、
 まるでチャンスに三振してダッグアウトに戻る時の
 清原のような情けない顔をした
 ♪ドッキリドキドキのキャップの小野チン」なのである。
 
オマージュのつもりなのだが、どこにも褒めているところはないのだ。
初対面の大先輩の前でこのようなネタを演じて良いものか?
本番でシクジる可能性はないのか?
ネタ作りの最中から、
当日の小野ヤスシさんの対応が心配になっていた。
 
そして当日、楽屋にご挨拶に向った。

「スイマセン!
 今日、小野さんのネタをやらせていただくのですが、
 よろしいでしょうか? もし失礼があったら、申し訳有りません」
と怖々と頭を下げると

「タカダ!
 オレも若手にイジられるようになったら、おしまいだよ!」
と凄んでみせたのも、束の間

「…なんて脅したりしてね」と笑顔で取り繕うと、
再び高田先生に振り返り
「いや、これは、ここだけの話さ〜」
とオレたちを無視して相変らずの二人だけの楽屋話に熱中しはじめた。
 
この日、二人は元ドンキーのメンバーで
消息不明だった猪熊虎五郎さんが、ごく最近、亡くなったという
未確認情報の裏をとることに出番前から熱中していたのだ。
 
そんな小野ヤスシさんの本番の舞台は3番手。
小野ヤスシさんの舞台を見るのは初めてだった。
オレたちは固唾を飲んで舞台袖で見守った。
 
自己紹介から
「本日はお忙しいなか、たくさんの方が、
 どこから来たのか知りませんが、ようこそお越しいただきました。
 私が小野ヤスシです」と丁寧な古き良き司会者口調だった。

しかし、話にポロポロと笑いは起こるのだが、
20分過ぎても、大笑いは起こらない。
それでも小野さんの舞台に立つ佇まいはまったく変わらない。
焦ることなく、汗一つかくことなく、飄々とした口調も変わらない。
ただ確かに爆笑はないのだが、昔話のディティールが実に細かく、
しかも次から次へと話を変えるので観客の注意は片時もそらさない。

まるで手練手管のネズミ講の親ねずみが
子ねずみを勧誘するような巧みな話術とでも言うべきか。
 
そして、20分の持ち時間を過ぎた頃から
セキを切ったかのように下ネタを始めた。
 
ちなみに、この下ネタの筋は、
とあるテレビ番組で元ドンキーのジャイアント吉田さんが
セックス催眠術を愛染恭子にかけるのたが、
愛染はバカバカしく面倒なので、催眠術にかかったフリをして、
イク声を上げれば終われると思い、大声で絶頂を迎えてよがろうとすると、
その瞬間に吉田さんが大袈裟な催眠術のポーズを止めて
『まだまだイカせない…』って言う話である。
 
まさにお家芸の楽屋話なのだが
笑いが波状的に起こり客席とスイングし始めると、
そこで、もう一押しすることなく、
なだめるように落ち着いて、また違う話に持っていく。
 
幕間の高田先生は横にオレを見つけると
「ハカセ!これが小野ヤスシなんだよな、
 客を絶頂にイカせないんだよ。絶対大受けしないんだよ、
 大受けするなんてことが恥ずかしんだよ!」と上機嫌で笑っていた。
 
トリがオレたちの漫才だった。
心配していた小野ヤスシいじりは、
本人がその直前に出ていただけに、自分たちの想像以上に大受けした。
 
ネタ披露終了後、高田先生司会の出演者全員で座談会。
頭で先生が「キッドがネタでオノさん、イジリ倒してましたよ!」と言うと、
小野さんは「オマエらぁ、言っていいことと悪いことがあるだろ〜…」
とオレたちをひと睨みして
「…でも全部当たってる!悔しいょ、タカダ!」と笑ってくれた。

そしてこのコーナーでは小野ヤスシさんの
芸能界の功績を振り返る主旨だった。
ドンキーのメンバーのスライドを映しながら、
小野さんが想い出を語る。

「実は去年の11月4日にメンバーの猪熊虎五郎が
 人知れず亡くなったらしいってことは、聞いていたんだけどね、
 なかなか今日までこれが確認できなかったんだよ。
 それがさっき、15分前に電話でね、連絡がとれて、
 やっぱり亡くなっていると…じゃあ、
 『ドンキーだけでも、ひっそり集まろうか』って話をしてたらね、
 猪熊の女房がナンって言ったと思う…?
 『偲ばないでくれ!』って言うんだよ」

さっきの「まだまだイカせない!」にしても、
この「偲ばないでくれ!」も言葉の響きがヌケていて実にオカシい。
 
そしてドンキー唯一のヒット曲、
20万枚売り上げたシングル盤「宮本武蔵」の話になった。

「ここだけの話だけど…実はこの曲はヒットしたんだけど、
  思わぬアヤがついたんだよ、なんと吉川英二の遺作管理団体が
 著作権侵害でクレームをつけてきたんだよ!」
と小野さんが話たところで、すかさず高田先生が
「じゃあ、これも『偲ばないでくれ!』って…」
と絶妙なやりとりで大爆笑となった。
 
舞台終了後、居酒屋の打ち上げの席上。
小野ヤスシさんは手をこまねいて我々を席に呼んで
「キッドはテレビで見て知ってたけどねぇ、
 こんなに面白い漫才師だってことは知らなかったょ、
 君らは見込みあるねぇ…」と褒めて下さった。

シクジらなくてホッとしていると
「でも、オレに見込まれた芸人で売れたためしはないからネ〜」と、
いつものヤスシ節。
この言葉にオレたちが、ずっこけて笑うと、
小野さんはそれを見届けることなく、瞬く間にフレームアウトした。
 
そして、いつの間にか高田先生の隣でまた
「ここだけの話さぁ…」が始まった。

しかし二人で、これだけ話ていたら、
もう「ここだけの話」なんてないだろうに…。

「ヤスシ」の仇名も悪くない。
この時、20年を経てオレは思った。

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