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水道橋博士の「高田笑学校課外レポート」
高田文夫責任編集『笑芸人』(白夜書房)連載 
 
笑芸人 vol.2 〜 中学時代オレの仇名は「ヤスシ」だった〜
笑芸人 vol.4 〜 漫才師は本当は強いんです!〜 NEW



笑芸人 vol.3

古舘さんは酔いに任せてか、一度抱きしめておれにこう言った

「『おしゃれカンケイ』の「16小節のラブソング」で手紙を読むとき、
  古舘さんは、どうして、あんなに情にほだされることなく、
  冷静にを読めるんですか?」とオレは、アホ面まるだしで、
まるで「王選手はどうしてホームランが打てるんですか?」と
ボン・カレー・ゴールドを食べながら素朴に聞く、
子供のような“日本人の質問”を“赤恥”を怖れず古舘さんに聞いた。
 
この話は4年前のこと、丁度、オレが変装免許証事件で書類送検され、
芸能活動を謹慎中の年末のことだ。
この時期、理不尽な自宅謹慎が延々と続き、すっかりクサっていたのだが、
高田先生に息抜きにと誘われた「やなか高田堂」(芸人による美術展)の
打ち上げの席だった。

この席に偶然、古舘さんがいた。なんと、この時が初対面だった。
しかし久々の酒席でいつも以上にオレは冗舌になっていた。
子供の頃からプロレスファンであるオレは、
古舘さんのプロレス実況“闘いのワンダーランド”を
その始まりから聞いていた。

しかも丁度、思春期のまっただ、中学、高校時代のことだ。
「何時から、古舘節が始まったのか?」
「何故古舘節を始めたのか?」
そんな話しを記憶を遡ってひとしきり、一方的に熱烈に語った後、
まるでシロートのような、この質問を唐突に聞いてみた。
 
「…博士、オレは心が冷たいんだよ。
 でも、これはプロの企業秘密があるんだよ。
 ある方法がね…教えないけどね」
と古舘さんは答えた。
 
テレビ・芸能人のなかで古舘さんは、
最もハイ・レベルの仕事を、もう10年以上こなしている人だ。
プロレス実況で名前を売り、局アナからタレントに転身。
いわゆるタモリ・たけし・さんまのビック3や、
とんねるず、ダウンタウンあたりと密接に絡む方法ではなく、
純粋に腕一本と言うより、舌先一つで一気に芸能界を駆け上がった。

いつの間にか、テレビ界の中軸を担い、視聴率競走に晒される、
ゴールデン番組を、何本も掛け持ちし、膨大な仕事量をこなし続けている。

そして、この日は12月23日、
8日後には3年連続となる紅白歌合戦の白組司会の大役を控えていた。

この日の2次会。根津の「スナック翼」。
高田先生のリクエストで紅白の大トリで歌われる予定の
坂本冬美の「夜桜お七」を早坂好恵が歌った。
その歌紹介を白組ではなく、赤組司会の趣向で古舘さんが即興司会をした。
実に贅沢な余興だった。

言うまでもなく古舘さんは、司会、実況の一人者である。
“瞬速のコピィライター”は、スピーディーな言葉の洪水と
“日本語の異種交配”とも言える比喩を積み重ね、
“圧縮陳列ディスプレー”された絢爛過剰な実況で一時代を画した。

また、そのジャンルもプロレス以降は、
F−1から女子マラソン、競輪とそのスポーツの競技そのものよりも、
古舘実況が「売り」になるような特番を数々ものにした。
 
自分が演者であり、喋り手であるかぎり、
古舘さんと同じ技術や能力があるのか?
たとえ凡人でも同じ芸人なら、
自らと比較してその舌先の技術に、文字通り、舌を巻くであろう。
 
例えば同じ司会者として大木凡人さんなら、
古舘さんの司会実況芸をどう思うのだろうか?
 
島田紳助さんは、よく芸人の処世術を戦略的に語る人である。
「漫才ブームの頃から自分が将来、何をやっているか、
 図表に書いてみても、オレがどんなに計算しても、
 この世界で古舘さんには勝てないことがわかった」
とは、何度も口にしていることである。
 
バラエティーでは、常に冷めたクールハンドで、
出演者をイジり、破綻のない進行をお手の物としている。
そこには、クールハートとしかいいようのない、
一分の狂いもない精密機械のような技術を感じてしまうのは、
オレだけではないだろう。
 
これは、訓練されたアナウンサーの
特殊技能であると思えばいいものなのか?
仮に、板に立つことが、芸人であるとするなら、
古舘さんがライフワークと公言し、たった一人で2時間を越え、
3万語以上!を喋りきる“舌先のトライアスロン”
「トーキング・ブルース」は既に13年目を迎える、
一人芸の舞台である。

一人きりの舞台には、過剰すぎる言葉。
観客の感想や批評が追いつかないほどの、演者の言葉の量。
こういう舞台を見せられると「漫才」も同じ板に立つ喋り芸であるなら、
オレなどは、同じ競技を職業としている者とは、とても思えずに、
それ故に、息苦しいほどに圧倒される。
 
特に、実の姉を亡くした古舘さんが、
その最愛の肉親の夭折と言う、人生の重いテーマをそのまま題材にした
第4回の公演「グッバイ・ラジオ・デイズ」は、
古舘実況では、なかなか洩れることのない「肉声」が垣間、
聞こえるようで強く印象に残った。
 
また、昨年99年の大晦日、古舘さんは 京都の名刹で
「トーキング・ブルース」第13回公演「お経」の舞台、
いや境内に立っていた。

この公演の製作過程をTBSの「ZONE」で見たが、
古舘さんは「言葉の求道者」とも思える行為であるにもかかわらず、
そこには普通の「芸人」が易々と見せる、情や、人間性や、人生を、
「芸」そのものが、ベールして覆い、
もっと言えば「芸と言う技術」が「芸人性」を乗り越えている気がした。
 
これを野球に例えれば、全国から選りすぐりの野球エリートが集い
喜怒哀楽のドラマを孕みながらも、試行錯誤し、
3割を打つことを目標水準としているバットマンの世界で、
周りの大騒ぎにも、我、関せずで、感情を見せることなく、
それでも淡々と誰も追いつくことの無いヒットを4割に向けて
当たり前のように積み重ねていくイチローのような境地に見える。
 
そう言えば久々のプロレス試合の古舘実況となったのは、
平成9年4月4日。
我らが猪木の引退試合であった。
二日後の4月6日放送になったテレビ朝日の引退特番では、
ドーム場内に放送された古舘実況がカットされていた。
  
「闘う旅人・アントニオ猪木-----。
 今、相手のいないリングに猪木はたった一人でたたずんでいます。
 思えば38年に及ぶプロレス人生、旅から旅への連続であり、
 そして猪木の精神も旅の連続であった。

 安住の場所を嫌い、突き進んでは出口を求め、
 飛び出しては次ぎなる場所に歩を進め、ドン底からの新日旗揚げ、
 世界王者とのストロングマッチ、大物日本人対決、格闘技世界一決定戦、
 IWGP、巌流島、人質解放、国会に卍固め、魔性のスリーパー‥‥
 決して人生に保険をかけることなく、
 その刹那、刹那を燃やし続ければよいという生きざま。
 猪木は、このあとの舵をどの方向にとろうというのか。

 一人ひとりのファンの胸には今、
 どんな闘いの情景が映し出されているか。
 猪木は、全ての人間が内包している闘う魂を
 リング上で代演する宿命にあった。
 我々は猪木が闘いの果てに見せる表情に、己自身を投影させてきたのだ。
 しかし、この瞬間をもって猪木はこのリングから姿を消す。
 我々はどうやって火をともしていけばいいのか。
 
 物質に恵まれた世紀末、商業主義に躍る世紀末、
 情報が豊かで心が貧しい世の中、ひとりで闘うことを忘れかけた人々…
 もう我々は、闘魂に癒されながら時代の砂漠をさまよってはいられない。
 我々は今日をもって猪木から自立しなければいけない。
 闘魂のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。
 闘魂は連鎖する。
 1943年2月20日、鶴見に生まれしひとりの男の子。
 姓名・猪木寛至、闘魂の火種。
 貴方を見続けることができたことを光栄に思います。
 燃える闘魂に感謝‥‥ありがとう、アントニオ猪木!」


本当に、ここでもまた、完璧と言うべきか。
俺たちが猪木の全盛時代と共に身震いし、熱狂した古舘節再現であった。
(そして“闘魂の火種”“闘魂は連鎖する”は
 後々にも語り継がれる、オレたちが愛してやまない
 “猪木イズム”の解析であり、闘いのスローガンでもあった)

この猪木特番の放送日の、その翌日のことだ。
たまたまオレと仕事で会った、テレビ朝日の辻アナウンサーと一緒に
スタッフが届けた速報の視聴率表を見ながら、
10.2%と思いの外、低い数字を巡って語り合ったいた。

「猪木の38年間の集大成が、『パ・パ・パ・パフィー』より、
  な、な、な、なんで率が悪いんだよ」と嘆くオレたちに、辻さんは
「それでも、内心、痛し痒しでホッとしているところもあるんですよ。
 この番組が超高視聴率であれば、深夜帯でコツコツと掘り起こし、
 がんばってきた自分へのある種のダメ出しでもあるわけだから…」
と語っていた。
 
ああ、どこも現場は、競争であり闘争なんだな〜ってオレは感慨深かった。

ところでラジオ『ビバリー昼ズ』に古舘さんは、
このところ、毎年数回、
喋りっぱなしのスペシャル・ゲストとして登場している。

2000年4月18日の放送―。
番組の冒頭、徳光実況をその口調を正確に再現し、
古舘実況との比較を自己分析したのも聞き物であったが、
その後のプロレスの話も興味深かった。
 
丁度この時期、プロレス中継としては7年ぶりに
ゴールデン生放送された、4月7日の小川VS橋本戦の直後であった。

橋本が選手生命、引退を賭けた試合で熱戦のさなかに
「橋本、まだ家のローンが残っている!」と実況で言った、
辻アナに対する賛否両論がプロレスファンのなかで、論議があった。
この日のラジオの質問FAXも辻アナの実況をどう思うか?
との質問が多く寄せられていた。
それに答えた古舘さん、名人芸だった。

高(高田文夫): やっぱし、一番聞きたいのはですね、
   今回の小川vs 橋本戦の後輩の辻アナの実況はどう思ったか?
   どんな気持ちで?ってFAXが多いですよ。

古(古舘伊知郎): 
   いや、私はねぇ、辻には悪いんですけどねぇ、
   嬉しいな、と思いましたね。
   やっぱりねぇ、自分で言うとツヤ消しですけどね、
   オレ流みたいのが彼の中にも入っちゃってるわけですね。
   煽りのパターンとか、言葉の選び方とか。  
   そうすると、オレはいないのに、
   もう一人のオレがいるみたいなところで、
   辻には申し訳ないけども、やっぱりイイなと。

高: この呪縛からは解けない、と。
古: ただ一点、彼に難癖つけるならですね、
   あの『橋本、まだローンが残っている!!』ってところ!
   あれね、ちょっとウケ狙い入ってますからねぇ。
   あれ、もうちょっと中程でですね、

高: 中程で出ださなきゃダメなの?

古: 大真面目な「さぁ〜この体勢から、おぉっと腕を取るか!?」
   とかって真面目に煽ってる中で「まだローンが残っているのに」と
   わざと真面目なテンポでやらなきゃいけないんですよ。

高: そうか! 気をつかせないように、さりげなく。

古: そう。「ローンが残っている!!」って、
   いきなりやっちゃうと、ウケてちょうだいに、なりますから。
   押し付けになりますから、だから、中に挟まなきゃいけない。
   その巧妙さをもう一度会って教えたいですね、

高: 笑いのポイントをね。辻に教えたい、と。

古: 真面目なトーンで、違うことを言うのが面白い。
   ボクの先輩の船橋アナウンサーはですね、
   ボクはカバン持ちから始めて、その先輩の実況パターンを
   全部いただいちゃったんですけど、この方は、やっぱり凄かったですよ!
   それこそ「古代ローマ、パンクラチオンの時代から‥‥」
   って正統的な煽りは、全部その人からいただいたんですよ。
   で、その人が蔵前国技館で、今の両国じゃなくて、古い蔵前国技館で、
   ジョニー・パワーズ対アントニオ猪木のNWFヘビー級選手権試合
   っていうのをやってた時、ボクはサブ・アナで横について、
   指示出しとかやってたんですよ。
   まだリポーターも出来なくて、で、その時に、
   卍固めにいったんですよ猪木が。
   ここで決め所って云うときに、
   まだそれで試合の決着はつきませんでしたけど
   (船橋調で)
   「アントニオ猪木、卍固め、アントニオ猪木、オクトパス・ホールド、
    タコ固め、アントニオスペシャル、タコ固め、タコ固め」
    っつった後、興奮して
    「タコの足が、10本絡みつくかのように
     ジョニー・パワーズを締め上げている!」
    っつってそしたらディレクターがプッとオレは流石に出せなかったけど、
    指示が出て『タコの足は8本だ』と。
    こういう指示が出たら、パァーンっと撥ね付けましたから。


高: いいと、そんなことは。

古: 今以上に間違ったことを言っちゃいけない時代ですよ、
   20年以上前ですから。 パァーンと撥ね付けておいて10分位経って、
   別な試合の展開、流れが出来てるときに、急に船橋さんが
   「先ほど、ワタクシ、タコの足を10本と申し上げましたが、
    あれは、イカの間違いでありました、お詫びして訂正いたします。
    因みにタコは8本であります、猪木ドロップキックッ!!」
   って言ったときに…
    猪木の足が8本でドロップキックやってるかのように見せかける。

高: なるほど〜

古: もう、だから真面目なトーンで言ったほうがいいですね、
   そういう時は。奥深いなぁとおもいましたよ。

高: 奥深いねぇ、
   すう〜っと入ったほうがいいんだね、ああいう時は。
   勉強になりました…。

別にもったいぶるわけでもなくラジオでさりげなく語られる
リップ・サービスではあるが、聞き流すにはもったいない。
こういう話、つまり「企業秘密」なら、
いつ何時誰でも、聞きたくなるってものだ。
 
あの「やなか高田堂」の打ち上げの夜から4年経って
古舘さんが深夜番組「第4学区」でとんねるずの石橋さんを相手に
プロレス実況アナの頃を語っていたとき、フトしたはずみに
「浅草キッドがプロレスファンで、たまたま会って、
 あの頃の話になったら、アイツら、ファンだからよく憶えてるんだよ」
と語り、あの日、オレが語ったことを
一字一句間違いないほど再現していた。
 
テレビを見ながら、
「よく憶えているのはアンタだよ!」とオレは言いたくなった。
 
あの日、「スナック翼」を出た後、
路上で古舘さんに挨拶したオレを、古舘さんは酔いに任せてか、
一度抱きしめて「こういう時期もあるさ…沈むなよ」と言った。
 
まるで徳光さんの“嗚呼!バラ色の珍生”的な状況で、
クールハートな、古舘さんらしからぬ装飾のない言葉だった。
 
あの抱きすくめられた時、カレーを食べてる少年ではなく、
橋本復帰に百万羽の鶴を折った、純粋なプロレス少年みたいだった。オレ。

笑芸人 vol.3より

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