お笑い男の星座
お笑い男の星座
私情最強編
お笑い男の星座
芸能死闘編 【文庫】
お笑い男の星座
私情最強編 【文庫】

 

 



 ★ 発掘 ★ 『お笑い男の星座』刊行記念インタビュー in リトルモア

浅草キッドも骨のある文体。腰の据わった内容の芸能界大河小説。
軍団は××ポも立つが筆も立つ。頼もしいかぎり。
 「文夫」と「武」イズムを受け継ぎその名の通り「文武両道」な男たち
日刊スポーツ掲載コラムより  高田文夫 先生 

 この本は、単なる芸能界の暴露本ではない。
 芸能界のルポルタージュである。
 浅草キッドは、この本で、芸能界の沢木耕太郎になった。
さくまあきらHP<仕事人日記>より さくまあきら さん 

男のバカさかげんに私は何度も笑い、呆れ、溜息をついた。
 私は笑芸人としての浅草キッドが好きだが、
 ライターとしての浅草キッドにもたじたじとなってしまう。 
WEB現代より 中野 翠さん 

ビートたけしが、闘いの末に「お笑い」のステータスをあげたとはいえ、
 「お笑い」と世間の闘いはまだまだ続いている。
 ズバリ言って、続かなければ、「お笑い」は終わる。
 この闘いの火種を、もっと燃えさかるようにするのが
 キッドの役割なのだろう、きっと。
 つまり、キッドは歩みを止め「お笑い」を忘れたときに老いていくのである。
紙のプロレス No.34号 山口 日昇さん 

浅草キッド(水道橋博士 玉袋筋太郎)からいただいた。
しかもインタビューのなかでだ。
ファンレターにあるように
「テレビに出ている人たちが、いつもバカみたいに必死で戦っているのが面白い」一。
体をはって、突き抜けて、戦う姿が、
まあ見事にリズミカルに、映像が浮かぶように描ききる。
「男の星座」をかくも宇宙の人間ドラマとして描く―― 筆力にも驚いた。
太田昭宏公式サイト 太田昭宏(衆議院議員)さん 

寄せられた「読書感想文コンクール」作品はこちら 

  問題小説 3月号 BOOK STAGE

 かっこ悪くてかっこいいこと   文/松江松恋

 さて、かっこ悪いことをかっこ悪く書くエッセイといえば、
 かつて殿山泰司や小沢昭一といった名手がいたが、
 今は断然浅草キッドにとどめを刺すだろう。
 万が一彼らのことを知らない読者がいるといけないので紹介しておくが、
 浅草キッドの二人、水道橋博士と玉袋筋太郎はあのビートたけしの弟子である。
 しかも「ビートたけしの弟子である」というこちに安閑とせず、今どき珍しく
 浅草のストリップ小屋から下積み修行を開始した真正のたたき上げ芸人だ。
 小さくまとまったサラリーマン芸人とは違い、逸話にも事欠かない。
 ちょっと数え上げても「ラジオで公開包茎手術」
 「水道橋博士偽造変装免許証で書類送検事件」
 「二代目ツービート襲名強行事件」など、枚挙に遑がないほどである。
 その浅草キッドの書くコラムが、飛び抜けておもしろい。
 特に「東京スポーツ」の月曜版に掲載されている「ステ看板ニュース」がよくて、
 ぎゅっと凝縮された漫才をナマで見せられている観がある。
 このコラムのためだけに「東スポ」を買ってしまう人も多いだろう
 (ちなみにこの月曜版のコラムの前任者は大川興業の大川総裁で、
 これも屈指の笑エッセイだった。『総裁は何もしない』とい題名で刊行されている)。

 『お笑い男の星座』は、彼らが雑誌「TV bros」に連載しているコラムが
 一冊にまとまったものである。
 『男の星座』というのは故・梶原一騎の自伝的作品で、
 絶筆のまま遺作になってしまったのだが、その題名を受け継いだ本書も、
 梶原のような侠気あふれる人士に対し、惜しみなく称賛の念を露わにしている。
 総合格闘技が今人気だが、旧来のプロレスからグレイシー柔術にいたるような
 格闘技界の話題も豊富であり、若い読者などは相当楽しめるだろう。
 だが、本当の読みどころは別のところにある。
 本書は当節珍しい、芸人による芸談の本なのである。

 たとえば、ツーヒートとともに八〇年代の漫才ブームを巻き起こした
 B&Bの島田洋七について。若い頃の洋七のスピーディーな笑いは
 改めて読んでもやはりおかしいが、同時に語られる洋七の今もしみじみとおかしい。
 かつてのブームとしか言いようのない売れっぷりを知っている読者にとっては
 落魄と受け取られかねない場面なのだが、それを語る浅草キッドに愛があるため、
 救われるのである。
 それこそ、再び洋七という星が満天の夜空に輝くこともあるだろうという
 気持ちにさせられる。
 また、浅草キッドの同期の芸人である爆笑問題に対しても、
 すがすがしく喧嘩が売られている。喧嘩でありながら、
 単なる悪口に終始せずに芸の批判になっているので不快な印象もないのである。
 おそらく、こういった形で正論を笑いのオブラートにくるんで言える人は
 現在少ないのではあるまいか。立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫)に近い味がある。
 
 もっとも笑いが起こるのは、岸部シロー、水野晴郎、ガッツ石松という
 三人のアクの強い芸人を紹介したパートだろう。
 岸部シローについてはバブルに乗っかった財テクと、その失敗について。
 水野晴郎については、彼を巡るある噂(誰も確認したわけでもないのに、
 誰もが信じているという点では、もう都市伝説の域に達している)の真偽について。
 ガッツ石松については、普段語られることのないガッツの素顔について。
 それぞれ虎穴に入らずんばのインタビューが試みられており、
 おそらくこの辺はテレビ芸の範疇では放映できない危うさだろう。
 水野晴郎の噂については浅草キッドが発信地という説もあり、
 いささかマッチポンプの観が無きにしもあらずだが。
 
 普段は見せない人間の怪しさをひきずり出してくる手法は、
 小沢昭一の芸などを思い出させる。浅草キッドにはこの前に
 『みんな悩んで大きくなった』(ぶんか社)という対談集があるのだが、
 これなどは全編マスターベーション話で、気の弱い女性などは
 読むだけで妊娠しそうなものだった。
 あれは、十年前なら小沢がしていた仕事だったと思う。
 猥談な話の合間にその人の素顔を覗かせる話術が小沢の真骨頂だったが、
 その後継者が現れたのだろう。
 それはかっこ悪いけど、とてもかっこいいことである。


 
芸能・サブカルチャー/reviewer:佐藤哲朗

 『お笑い男の星座』浅草キッド/文藝春秋/92点
 
 <金玉四つに組んだ星座巡礼記>

 テレビっ子の家人に薫陶を受けてファンになったお笑い芸人コンビ、
 浅草キッド(水道橋博士・玉袋筋太郎)による
 金玉四個を賭した怒涛の「エンターテイメント・ノンフィクション」である。

 テレビ情報誌『テレビブロス』連載エッセイをもとにした
 本書のタイトルとコンセプトはもちろん梶原一騎原作の同名劇画を踏襲したもの。
 いやいや、こんな貪るようにページをめくったのは久しぶりだ。

 さっそく週刊文春に取り上げられたという和田アキ子ネタをはじめ、
 虚実皮膜の芸能界エピソード集。
 深夜番組「未来ナース」(TBS系)等々でおなじみのガッツ石松、
 水野晴郎、鈴木その子、宮路社長etcとのハートウォーミングにして
 戦慄走る絡みあい。
 ターザン山本との因縁を含む怒涛のプロレス・格闘技論&観戦記。
 爆笑問題との積年の確執。師匠ビートたけしへの尽きせぬリスペクト等々…
 浅草キッドの「星座巡礼」が強制ボディ・ソニック・プラネタリウムのごとく
 読者の面前に開陳される。

 一読して、彼らの尋常ではない知識量 とその構成力、
 つまり桁外れの頭のキレに圧倒された。
 『Tokyo Boy』(MXTV)で石原慎太郎都知事と渡り合ってる力量はダテじゃない。
 『Kid Return』HPの水道橋日記を読めば、彼がかなりの読書家であり、
 映画への造詣も深いことは一目瞭然だが、
 浅草キッドはそういうスノッブな表象はどうでも良い、
 突き抜けた「知性」の持ち主なのだと思う。血まみれの修練の賜物を、
 むやみに羨むべきではなかろうが、やっぱり羨ましいぞ。

 それでいて、これだけ読んでいて映像や音や時に匂いまでもが
 想起されるような文章も珍しい。
 それも、水道橋博士と玉袋筋太郎のつば吐きまくりのナレーション入りで…。
 「エンターテイメント・ノンフィクション」を標榜する所以である。

 内容の濃さからいって当然のことだが、
 二人の捨て身の営業も手伝って、『お笑い男の星座』は順調に版を重ねているそうだ。
 ずっと前から、「本が売れない」だのなんだのという元気のない声はあるが、
 こういう良書が「売り上げ」という形できちんと評価される土壌が残っているならば、
 大丈夫である。


  紙のプロレス No.34号

 
「お笑い男の星座」の感想駄 文を偉大なる読者に棒ぐ
                        文/山口日昇

 ある日、朝方に編集部に行くあと、机の上に一冊の本が置いてあった。
 『お笑い 男の星座』である。
 後で聞いたら、ボクがいない間に水道橋博士本人が
 わざわざ持ってきてくれたらしい。
 しかも、サインまで入れてくれていた。
 ありがとう、博士! とターザン調にお礼を述べてみたが、
 吉田豪が言うには、ボクにこの本の書評をやってほしいということだった。
 サイケデリコといえばラブではなく、
 まずマスカラスの弟を連想してしまうボクでも、
 書評といえば吉田豪ということに異論はない。
 でも、もうすでに豪ちゃんは、『TVブロス』誌上で
 この本の書評をやっているらしく、ボクにお鉢が回ってきたということだ。
 しかし、ボクに書評など書けるわけがない。
 だからこれは、感想駄文である。
 ボクは、「駄っ文だ!」と志村けん調につぶやいて
 字数を埋めようと思ってみたり、
 締め切りが過ぎてからじゃないと一切原稿を書かないという人間だ。
 いや、普段は、原稿など書いてたまるか! とさえ思っている人間である。
 そういう人間がこの本を読むと、活字を本職にしている者以上の推敲っぷり、
 構成っぷりが、実に凄ェ! ギラギラのぷりっぷりだ! 
 えー、キッドもまだ燃えています! という感想がまず出てきてしまう。
 芸人稼業を続けながらの、非常に濃い執筆活動なので、
 10年もつ体が3年しかもたない
 ということにならなければいいのだが。ンムフフフ。
 ところでこれは、芸能界orマット界で、妖しくも快い輝きを放つ"星"たちを、
 キッドが倍率を上げたり下げたりしながら仰ぎ見て、
 その"星"たちが織りなす滑稽な物語を紹介しながら、
 "男(女)よ、闘え!"というメッセージを滲み出している本である。
 それに加えて、ビートたけし、アントン総帥、馬場さん、
 前田日明、高田延彦、ガッツ石松、故・宮路城南電気社長、
 水野春郎、和田アキ子、岸部四郎、
 そしてターザン山本らの登場人物に対するエネルギーの注ぎ方が、
 危なっかしいくらいに尋常じゃないということを
 再発見できる本でもある。
 巻末で、キッドの師匠であるビートたけしが、
 「おまえらは、誰かをすぐ好きになり過ぎるんだよ」
 というくだりが出てくるが、
 まさにキッドは、一連の登場人物の前に行くと、
 巨大に熱狂しているのがわかるのだ。
 しかし、当然その裏では、しっかりと観察もしている。
 熱狂と観察、二つキッドにありである。
 作家の村松友視さんは、
 『私、プロレスの味方です』の文庫版あとがきに、こう書いている。
 「クソ真面目にプロレスを見るということは、
  徹底的に熱狂しながら徹底的に観察することであって、
  火傷と凍傷を同時に味わうような世界だ。
  しかし、火傷と凍傷が『痛い』という共通の感覚でつながるように、
  熱狂と観察も相似たところがあって、
  同時にこなすことができるような気がする」
 キッドも、"星"たちに熱狂すると同時に観察しつつ、
 自分たちが世間に対峙するスタンスの取り方を考えていくという
 作業をしているのだろう。
 そして、ミーハーな精神とマニアックな精神の両輪を転がしながら、
 "星"たちの物語を紡いているのである。
 な〜んて書くと、なんだか文芸書の書評でもしている気になってくるが、
 これは基本的には「お笑い」の本だ。
 個人的には、故・宮路社長と故・石井院長(大塚美容外科医院長)の
 ロールスロイス戦争の顛末や、ターザン山本の芸人転向計画の大騒動話には、
 確実に笑いが3分は止まらなかった。ズバリ言って非常に面白ェというか。
 師匠・ビートたけしが、闘いの末に「お笑い」のステータスをあげたとはいえ、
 「お笑い」と世間の闘いはまだまだ続いている。
 ズバリ言って、続かなければ、「お笑い」は終わる。
 この闘いの火種を、もっと燃えさかるようにするのが
 キッドの役割なのだろう、きっと。
 つまり、キッドは歩みを止め「お笑い」を忘れたときに老いていくのである。


 SMスナイパー4月号 掲載

 タレント本てなあ、古より人気に寄りかかって愚にもつかない無内容な作文か、
 趣味が高じての、マニアックな世界を展開した得体の知れぬシロモノだったりと、
 いずれにしろそのタレント以外の輩にゃ無縁なモン多し、が定説 だけど、
 中にゃあモノ書き専従者よりも筆が立つキレモノがいたりするモンス。
 とりわけ、お笑い芸人にゃその傾向、大じゃないすかねぇ。 
 ま、考えてみりゃ、コント、漫談の構成を自ら手掛ける芸人なら、
 人様を引き込む文章なんざ、お手の物のハズじゃん。
 それかあんまし、な現状ってなぁ、マジ実力ある芸人が些少であることの証左じゃん。
 なんだかなぁ。
 で、浅草キッドは、しゃべくりも文章もイケるレアな芸人の代表選手。
 敬愛する梶原一騎ヘのオマージュである。『お笑い男の星座』は芸能界、格闘技界の
 人知れぬウラ話、ユーモアを師匠ゆずりの毒ッ気ある文体で楽しませてくれる一冊。
 原田久仁信のイラスト、石原慎太郎のチアーにバックアップされた、
 お笑い+男気の見事なまでのアマルガム。


 
 
北尾トロの腰抜け読書アワー   文/北尾トロ

 読んでも人生の役には立たないかもしれんが、どっこい得難きコクがある。
 そんなヒマつぶしにうってつけな本を愛する腰抜け読書人・
 北尾がオススメするこのコラム。一発目は『お笑い 男の星座』である。

 アントニオ猪木に始まり故・宮路社長、たけし、洋七、
 岸辺シロー、前田日明、ターザン山本、水野晴郎、ガッツ石松などなど、
 登場する面々の濃さはどうだ。
 このラインナップを見るだけで、何か「イケル!」と思わせてくれるではないか。
 濃さという点で、“昭和の一等星”と呼ぶにふさわしかった
 梶原一騎に本書が捧げられているところにも注目だ。

 私は書店でひとめ見るなり吸い寄せられ、迷わず購入。
 帰宅途中の電車内で読み始め、止まらなくなって乗り過ごし、
 ついでだから降りて喫茶店に入り、夢中で読破してしまった。
 所要時間は約2時間。
 さらに、家に帰って寝る前に読み返し、確信した。「これは名著だ」

 期待を裏切らない内容なんだよね。
 というより、読者の期待指数などおかまいなしのガチンコ勝負。
 なにしろ相手が相手だけに、限界まで書かなければハジキ返されてしまう。
 そんなテンションの高さが、笑いのコロモで包まれていても
 十分すぎるほど伝わってくる。
 これまで浅草キッドの著作に漂っていたお手軽感(それも好きなんだが)など、
 ここにはない。

 たとえば元・週刊プロレス編集長、ターザン山本の章である。
 ジャイアント馬場の悲報を受け、浅草キッドは漫才師として、
 それを舞台で表現するのだが、馬場に心酔するターザンは気に入らず、
 殴り込んでくる。
 だが、ビビリながらもその人間の壊れっぷりを芸人・浅草キッドは
 <久々に絡みがいのある相手が現れた>と思ってしまう。

 以後、自分たちの番組やイベントにゲストとして呼んでは抗争を繰り広げ、
 そのたびにターザンはフルチンになって大暴れ。
 まさに思い通りの展開になるのだが、しかし浅草キッドは徐々に
 老醜をさらすターザンに強烈なシンパシーを抱いてゆく。
 その過程を、ボロボロなターザンの私生活まで包み隠さず書くことは、
 男としての尊敬の現れなのだ。

 あるいは水野晴郎のホモ疑惑追及に端を発するガッツ石松とのひと悶着。
 テレビで水野晴郎がガッツ石松監督・主演作品『カンバック』について、
 ボクシングシーンに迫力がないと発言したからさあ大変。
 ガッツ・サイドはカンカンに腹を立てる。トンデモ映画の誉れ高き
 『シベリア超特急』水野vs倉本聡の脚本を自ら全面書き直ししたとの伝説を持つ
 『カンバック』ガッツの“男の星座”的大物対決。
 浅草キッドによる容赦のない両者のバックグラウンド解説により、
 無意味なほどの緊張感で展開されている。

 これも笑いが止まらないほどおかしいのだが、
 描かれているのは男の意地の張り合いである。ごまかさず、飾らず、
 オノレの美学や信念のみを前面に押し出すことで、
 いやがうえにもギラギラした勝負の山場ができあがってゆく。

 強烈なキャラといい、反則スレスレの攻撃といい、
 この本は文章による格闘技、それもプロレスに近い。
 浅草キッドはいちおうレフェリー役なんだけど、ちょっと油断すると
 見境なく殴りかかってくるような相手ばかりを選び抜く、
 プロモーターとしての嗅覚がすごいと思う。

 基準となるのは「パンツを脱ぎ捨てて人生を闘っているか」であり、
 それを満たす者たちが彼らにとっての“星”となるのである。

 うれしいことに『お笑い 男の星座』、売れてるみたいだ。
 知り合いの書店で聞いたら、買うのはほとんど男らしい。
 ここまで男の生きざまにこだわった本はめずらしく、
 それがヤワなハートを持った自分にいらいらしている
 平成の若き野郎どもをグッと惹きつけるんだろう。
 笑って読み終えたあとで「オレもいつかは……」なんて、
 小さくコブシを握りしめたりして。


 さくまあきらHP<仕事人日記>より  
                
文・さくまあきら

 新幹線のなかで、『お笑い 男の星座』(浅草キッド・文芸春秋)を読む。
 先日、放送作家の福本岳史くんが、浅草キッドのふたりに会ったとき、
 贈呈本を私の家に送っているので、
 感想を聞きたいといったことを伝えてくれた。
 ところが、本は家には届いていなかった。
 最近どうも、我が家の郵便事情は悪いようだ。
 いしかわじゅんサンの『鉄槌』もずいぶん届かなかった。
 連絡が取りやすい人は、確認しやすいのだが、
 ますます郵便は立場が悪くなりそうだ。

 でもどっちみち買うつもりでいたので、さっそく購入して、
 あっというまに読き切ってしまった。おもしろい!
 
 この本は、単なる芸能界の暴露本ではない。
 芸能界のルポルタージュである。
 浅草キッドは、この本で、芸能界の沢木耕太郎になった。

 沢木耕太郎さんという人を知らない人も多いだろうが、
 マスコミ業界にいて、この人の名前を知らない人はもぐりである。
 私も20代の頃に、むさぼるように読んだ。
 『電波少年』の猿岩石のアイデアのきっかけにもなった
 『深夜特急』を始め、その代表作の多さは尋常ではない。
 『敗れざる者たち』『路上の視野』
 『若き実力者たち』『一瞬の夏』…、
 とにかく数え切れない。

 この本は、その沢木耕太郎さんと並ぶ名著だ。
 登場人物たちの背中が、とても物悲しいところまで似ている。
 故・宮路社長、島田洋七、岸部四郎、水野晴郎、ターザン山本…。
 沢木耕太郎さんという人が、
 ルポする相手に入れ込めば入れ込むほど、
 相手は不幸になっているところまで、酷似している。
 沢木耕太郎さんの場合、
 取り返しのつかないところまで追い込み過ぎると思うのだが、
 その点、浅草キッドの場合、笑いが入っているので、救われる。


 日刊スポーツ掲載
 
高田文夫の娯楽極楽お道楽 (第129回)

 このところ面白い本が次々と刊行され送られてくるので、
 おちおちと眠ってもいられないから一日8時間しか
 熟睡できない‥‥って、そりゃ寝過ぎだっつーの。
 「ダンカンが行く!」。「激安バスツアー最前線」だの
 「男性エステでモテモテくん」だの、ただひたすらバカな旅日記。
 同行記者のお間抜けぶりを生き生き描写。字で読む漫才の趣。
 ダンカンは見事に日本で数少ない上質のユーモア作家となった。
 拍手は‥‥なし。
 兄弟分の浅草キッドも骨のある文体。
 腰の据わった内容で「男の星座」。芸能界大河小説。
 早くも増刷とのうわさ。軍団は××ポも立つが筆も立つ。
 頼もしいかぎり。「文夫」と「武」イズムを受け継ぎ、
 その名の通り「文武両道」な男たち(松尾伴内だけは別だ)。


 WEB現代 中野翠

 浅草キッドの『お笑い 男の星座』(文藝春秋)を読む。面 白い。
 ビートたけし、爆笑問題、ジャイアント馬場、
 美川憲一、水野晴郎、城南電機の宮路社長……など、
 浅草キッドが仕事の中で知り合った
 奇人・怪人たちの話が絶妙の戯文でつづられている。
 たんなるタレント本だの曝露本だのではない。
 人物に惚れ込んであるいは呆れ返って、
 その人物の魅力(あるいは迫力)の核心に迫っているのだ。
 男のバカさかげんに私は何度も笑い、呆れ、溜息をついた。
 私は笑芸人としての浅草キッドが好きだが、
 ライターとしての浅草キッドにもたじたじとなってしまう。 


  「お笑い男の星座」は現代の「史記」  /久保田正志

 「お笑い男の星座」は現代の「史記」である。 
 浅草キッドの「お笑いのための文章」で最も感服する点は、
 オチを導くまでの間に延々と、
 「掛け言葉・縁語」をつなぎ合わせていく技法である。

 この技法は、漫才台本以上に東スポ連載の「ステ看板ニュース」で顕著だが、
 この技が如何に面倒かは年に数件替え歌の戯作を作る筆者にも、
 容易に想像が付く。

 作者サイドは文末のオチを見定めながら、
 そこまで流していく過程であらゆる「掛け言葉・縁語」を駆使していく。
 文書を初見する読者には、言葉が奔流の如く流れるように見えるが、
 実はその流れ行く先は予定調和により定まっている。

 作品はさながら一つの宇宙であり、
 作者は神として宇宙の全てを調和させなければならない。
 常に「創造主」としての苦労を背負わされているのである。
 ただ、「掛け言葉・縁語」を並べて宇宙を創る作業を日々続けるのは、
 途方もないストレスである。

 言葉は奔放に見えるが、使えるパターンには限度がある。
 言葉の使い方はパターン化していつしか精神にも垢が溜まってくる。
 たまに新しい言葉を「掘り当てる」喜びもあるが、
 締め切りに追われるプロには喜びよりも、
 溜まる「精神の垢」のダメージの方が大きかろう。

 そして、知識が溜まることも「お笑い」には実に有害である。
 知り過ぎていることは笑いの対象にできない。
 対象の構造をいじれなくなるからだ。
 素人は無知だから何でも言えるが、
 「素人」にしか言えない「飛び抜けた」ネタはプロにはできない。

 筆者の経験だが、昔、国会でPKO法案を巡って
 「牛歩戦術」をやっていたころ、
 「横山ノックがタコ踊りをしながら歩いていた」という素人ネタがあった。
 しかし、国会を少しでも知っている人間にはこれは書けない。
 ノックが法案に「賛成」の側で、牛歩などしないことを知っているからだ。
 「ノック → 牛歩 → タコ踊り」という言葉の流れは、
 最初で切れているからこうしたネタはできない。
 一つ知識が増えれば、
 おそらくそれ以上の数の言葉の回路が断ち切られるだろう。

 これは一例だが、さように知識はギャグの「敵」である。
 殊に、「掛け言葉・縁語」を連ねていく場合は
 「不純物」は排除せねばならず、
 「知識」がこれに拍車をかけると、語彙はますます不自由になり、
 結局手垢まみれの言葉を使わざるを得ない。
 これは読者に安定した笑いを与えるが、
 一方ではオチヘの予断も容易に与えてしまう。
 かといって突飛な形で裏をかくことは、
 完全無欠な宇宙の破壊になってしまうからできない。

 キッドが、こうした言葉を集めて張り付けていく日々の作業に、
 何となく嫌悪感・倦怠感を持って居るであろうことは想像に難くない。
 そしてこれは「プロ」であり続ける限り続くであろう。
 筆者はまず、それでもプロとして飽くなき言葉探し・張り付けを続けていく、
 キッドに敬意を表する。

 ただ、「お笑い男の星座」には、こういった倦怠・不快が透けて見えない。
 これが本書を引きつけるものにしている理由であろう。
 無論、キッドが本書でいつもの
 「掛け言葉・縁語」のマジックをやっていない訳ではない。
 プロレスを語る部分では余り見あたらないが、
 水野晴郎編などでは、「ホモ」に関わる掛け言葉・縁語を無数に散りばめて、
 達者なところを見せている。

 本書でキッドの倦怠・不快が見えてこない理由は、
 「元ネタがしっかりしている」ためだろう。
 予め語る内容・枠が決まっていれば、それ自体をいじることはできない。
 あとはその内容をどう料理していくかということで、語り口も制限される。

 キッドは本書では「宇宙を創る」のではなく「宇宙を語ろう」としており、
 「素材の味わい」を生かすものとなっている。
 そうして見ると「お笑い男の星座」という題は意味深長である。
 普段は小なりといえども「宇宙」を創っているキッドが、
 今度は既存の宇宙の「星」を語ろうというのだから。
 自ら言葉の排列に苦労することなく、
 他人の言葉の排列を語るところにキッドの気楽さがある。

 しかし、既存の宇宙の「星」を語る場合、別の苦労がある。
 ひとつはどの星を選ぶか、もう一つはどの角度から星を語るかということだ。
 物理学者はそれを「法則」と呼び、歴史学者はそれを「名分」という。

 水道橋博士は少年時代は歴史小説を結構読んでいた。
 同じような趣味だった筆者はそれが長じて、
 素人ながら「歴史学者」の末端に連なった。
 末端に連なるとこの「名分」というやつが大変面倒なのに気付く。

 キッドの本書での「名分」は
 ぼんやりとした言い方ですれば「戦士への共感」であろう。
 その戦いがモンキー・ビジネスであろうが、聖戦であろうが、
 場に立って五感・第六感を使い、最後は神に祈る。
 それが戦士である。戦士は畏れを知っている。
 戦士同士の見分け方、特に一流か否かのメルクマールはこの「畏れ」である。
 「畏れ」が先に立っているうちは一流にはなれないし、
 「畏れ」がないやつは超一流にはなれない。
 この分水嶺は何とも分からないが、この世界にいる限りは分かる。
 それが「匂い」というものだろう。
 
 閑話休題、
 本書には、「一等星」から「六等星」まであらゆる星が並んでいる。
 星屑も混じっている。
 しかし、六等星にせよ「自ら光る」ものは
 衛星・隕石の類とはゼロと一の程の差がある。

 本書は、「自ら光る」ものを選び、その基準から排列している。
 そして、星を語る者は、
 「自ら光る」ものと 「他に照らされているもの」を、
 粛然と分けなければいけないという「名分論」に支配される。
 この二つの差を知っている限り、
 例え六等星であっても「嗤って」はいけない。
 これが「畏れ」とである。

 しかし、キッドは「嗤ってはいけない」ということを知りつつ
 敢えて「嗤って」見せる。
 これが自分の「モンキー・ビジネス」であるという自覚によるが、
 それ以上に自分も又六等星かもしれないが、
 「自ら光る」ものであるとの自負があるからである。
 そして、自らが「嗤われてよし」とする覚悟もある。
 自負と覚悟が底流としてあるからこそ、本書の格調は格段に高まっている。
 本書に出てくる星々の排列は列伝形式である。

 「列伝」と言えば歴史を多少齧った人間に直ぐ思い浮かぶのが、
 前漢の司馬遷が記した「史記」の「列伝」であろう。
 ただ、筆者が本書を「史記」と比すべきと思った理由は、
 単に列伝形式を採用しているからだけではない。
 歴史学の上でしばしば見られる
 「『創話』が『史 実』になる瞬間」の原型が正に本書にあるからだ。
 「事実は一つ」という言葉が特に刑事訴訟の世界において語られるが、
 こんな「事実」こそ何処にもない。
 事実は人の数だけある。
 そして「事実」は媒介者を通じて加工・発展・歪曲され、
 やがて結実して「真実」となる。

 東洋最古の史書の「史記」の記載で「史実」とされていることすら、
 そうした過程を辿ってきたということを、
 支那学の泰斗・故宮崎市定博士は「『史記』を語る」の中で述べている。
 それによれば、史記列伝に出てくる逸話のいくつかは、
 当時の都市の広場で行われていた芝居や漫談のネタを、
 そのまま拾ってきたものだというのだ。

 そして、そうして拾われたネタが「史記」に排列された後、
 幾百年を経て「定説」と化し、
 「歴史的事実」として揺るぎなくなっているのだ。
 そうした目で本書を見渡せば、
 キッドが五感を通して得た星々の「事実」が、
 随分「加工・発展・歪曲」されているなと多くの人は漠然と受け取るだろう。

 だが、ここで大切なのは、
 その事実が「真実」に昇華し得るかということである。
 その点において、本書の鮮やかな語り口は、
 事実を「真実」に昇華させ得る説得力を持っている。

 この点が、本書が
 いずれは芸能界の「史記」たり得ようと筆者が感じた理由である。

 二昔前の「ビートたけしのオールナイトニッポン」の
 村田英雄コーナーで披露された、いくつかの「創話」が、
 真実として一人歩きしたことがあった。

 本書はそれを活字媒体によりより大々的に行っているということで、
 遥かに「歴史」に残る所為となっている。
 このように歴史を「創る」という点においても、
 本書は「史記」に比肩し得る内容なのであり、
 その形式ともあいまって作者は本書を現代の「史記」と評するのである。

 「史記」の列伝は文庫で5冊分ある。
 本書の末尾にも「第1部 完」とあることから、
 「第2部」が当然想定されているのだろう。
 続編が待望されるものである。



 ダ・カーポ 463号 Lock on! 

 『お笑い男の星座』著者・浅草キッドさんに聞く 文/丸目蔵人

 ロケバスは走り、因果鉄道は進む

 タレントが書いた芸能界の内幕暴露本。こう早合点するかもしれない。
 しかし、爆笑問題と松木人志の対峙、岸部四郎、城南電機の故・宮路社長まで、
 テレビでは伝えきれない強烈なキャラクターたちの逸話は、
 いずれも物語として有り余る熱を帯び、スキャンダルへの好奇心はしだいに興奮、
 さらに伝説から得られるカタルシスへと変化していく。
 水道橋博士と玉袋筋太郎。格闘技の熱狂的ファンでもある二人は、
 あえて火中の栗を拾うような勝負に挑みながら、
 なおかつエンターテインメントとしての読み物に仕上げる力技に出た。

 水道橋博士(以下、博士)「青臭いと言えばその通 りなのですが、
 土下座外交しながら芸能界でかわいがられていくスタイルを
 自分たちは取ることができない。それなら、腹をくくってどこまで踏み込めるか、
 そんな決意で書き始めたのがこの本です。
 もちろん、お笑いとして、いかに面白く書けるかが第一なんですがね」

 同業者同士の闘いの場であり、かつ観客を楽しませる興行として
 成立させなくてはならない、芸能界とマット界の類似性。
 アントニオ猪木と、師であるビートたけし。
 両者の不屈の生命力に魅せられてきた経緯も、冒頭、巻末にハッキリと語られている。

 博士「長いスパンで人生の力比べを続けていく。
 この点でも、レスラーとお笑いは共通している。
 素っ裸で身をさらしながら組み合い、時には返り血を浴びることもあるだろう。
 世の中、軋轢を避ける生き方だって選べるのでしょうが、
 闘っているほうが好きなんですよ。性分なんでしょうね」


 
プロとしての現場処理 修羅場のお笑い人間学

 自らをルポライター芸人と呼ぶ個所があるように、
 テレビ収録の課程で体験した修羅場、椿事への食らいっき方には、
 トップ屋稼業に匹敵する食欲さもうかがわせる。
 それは予定調和で満足しきれない芸人魂であり、資質でもある。

 玉袋筋太郎(以下、玉袋)「リンクサイドで見なきゃ気がすまない。
 現場は最前線まで行くのがオキテ。で、野次馬を通り越して、
 たまに火を放ったりもする」

 博士「さり気なく火種を置いておく場合はありますね」

 しかも、暴発寸前で消火を試み、同時に緊迫した状況を報道する。
 水野春郎とガッツ石松両氏が映画評をめぐって衝突しそうになった
 経緯をつづった場面でも、その張りつめた空気を
 微妙に笑いへと昇華させていくテクニックを披露。

 博士「あくまで、出てくる人が四番バッター。ガッツさんにしても、
 水野先生にしても、人をひきつけるパワーがあるし、
 だからこそ過去の資料を集めながら、いろんなエピソードを元にアプローチしていく。
 しかも、そういう人は知れば知るほど謎であり、因果を含めて魅力的。
 スーパースターは失敗談も含めて逸話を残す。負けっぷりもいいんですよ」
 
 お茶の間の人気者となるのがゴールではない。
 文中「醜い利口になるよりもきれいな馬鹿で生きてやる」と表現するとおり、
 悪役漫才師としての自負も強い。

 博士「ゴールデンタイムの人気者という位 置につけるに越したことはないし、
 実現すればご褒美もあるとは思う。でも、そこに到ろうとする欲求は、
 今までにない現場に立ち会えるという好奇心から来るものだったりする」
 
 玉袋「ゴールデンはゴールデンなりに、深夜番組にはない
 裏のせめぎ合いが見られるに違いないって興味ですかね(笑)」


 
問題をひきこもらせず屹立したペニスをさらせ

 劇画原作者として一時代を築いた梶原一騎の赤裸々な自伝。
 そのお笑い版として真剣に取り組んだ本書は、文体、場面転換など、
 多くの点で梶原作品の緻密なパロディーにもなっている。

 博士「模写しようとして、わざわざ文語体を使用するなど、
 文章にはものすごく気を遣いました。結末部分にしても、
 50パターン近く書いて、そこから絞り込んでいった。
 正直、じつに燃費の悪い仕事ではあります(苦笑)」

 玉袋「ホント、自宅カンヅメ状態で、うなりながら書いてました」

 かつて実際にライター志望だった博士のジャーナリスティックな視点と、
 少年時代から浴びるほどテレビを見続けてきた玉袋の高い芸能偏差値。
 そして、両者を結びつけるお笑いと格闘技への情熱。
 共著として完成させるまでには、電子メールという手段を用い、
 男気添付で文章データが何度となくやりとりされた。
 
 博士「推敲に推敲を重ねただけのものになったという自信はあります。
 とにかく、賞味期間が来れば捨てられていくコンビニ弁当のような本にだけは
 したくなかった。ちょうどこの前、会話の中で
 『さまよえるヴァギナと、ひきこもるペニス』というフレーズが出てきたんですが、
 オレたちはあえて屹立するペニスを書き続けていきたいし、
 ここではそれが表現できたとも思うんです。
 問題点がうやむやにされて、ひきこもっていく状況が嫌いなんですよ」
 
 皆が気にしているはずなのに、保身と遠慮から誰も口にしない。
 そんな閉塞した気分を打ち破るために、多少のむちゃは覚悟で手を挙げる。
 タブーかどうかという判断を棚上げにして語らないよりは、
 プロとして問題提起してしまう道を選んだ、ということか。

 玉袋「この本を発端にして、またオレたちが
 新たな事件に巻き込まれていくところも見てほしい。
 フロレスが場外乱闘を次の興行へつなげていくようなものですかね」

 遺恨を晴らすという意味を持つ対決、敗者復活のリターンマッチ。
 格闘技に限らず、芸能界、さらに政財界でも
 雌雄を決する逸話は人を魅了してやまない。
 主にテレビの舞台裏を語ったようでいて、
 この本がそこにとどまらない印象を与えるのもそのせいだろう。

 博士「荒れ球のようで、じつは巧みにコントロールしているという
 力量も見せたつもり。それだけに、『タレントとは思えない』といった
 評価ではなく、他の著作と同じ土俵で、厳しい判定を受けてみたいですね」

 

 

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